掠れ書き21

エリサベス・ル=グインの Boccherini's Body という本がある。演奏する身体的感覚からボッケリーニの音楽を作る姿勢を観察している。チェロの名人で北イタリアの音楽一家に生まれウィーンからパリに行きスペイン宮廷に雇われた。
その頃の音楽は声と劇場が中心で、楽器の音楽も感情の型通りの表現と場面の交代でできていた。語りかけるような調子をもち軽やかで洗練され技術を見せつけないのがよい趣味とされたが、それを際だたせるためにそれに続く部分ではわざと異様な音色や弱音のなかでも表情の微妙なちがいを指示すること......ベートーヴェン的な普遍主義的構成が支配した1960年代までの2世紀のあいだ忘れられていたボッケリーニのギャラント・スタイルにも二項対立の図式が隠れているのか。

「ソナタよ、どうしろというのだ」(ルソーが執筆した百科全書の最後に引用されたベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネルのことばらしいが)そう言われてもソナタやシンフォニーはしのびよってきた。はじめは歌の前奏や間奏や音楽家を訓練するための教育音楽だったものが周辺から音楽活動の中心へ浸透して19世紀以後ソナタ形式は統一・対立・競争を組み込んだ啓蒙主義の音楽原理になっていた。

原理や理論はすでにある音楽から作られる。音楽が先にありそれらをまとめて共通するやりかたや習慣を一般に適用できるかのように単純化し抽象化して作曲法の規則がつくられる。と言っても解剖図から人間を組み立てることができないように教科書の実例を別としてはシステムや方法から音楽が生まれるわけでもないだろう。それでも音楽を作る時まったく白紙状態からはじめることはない。すでに音楽があるから別な音楽が作られる必要も条件も生まれる。そこで意識されないが前提となっている美意識や技術があって別な音楽を作るうちに具体的な場面たとえばこの音に続く音をさがしているうちに前提としたものからちがう道に踏み出していることもある。気づかないうちに規範が崩壊する。

二元的な対立関係が対等なものでなく優劣や上下が最初から前提になっているならば対話もかたちだけで反論は話をおもしろくするためのみせかけのためにおかれて障害物競走のように乗り越えるたびに中心は勢いを増すだろう。

中心に弱いものをおいた場合は対立項は理解できないもの親しめない異様な空気のただよう表現になってそれをくぐり抜けてもどってくる中心のペルソナは亡霊の出現のように傷つき薄れながら消えていく。聴くものにそっと語りかけて情緒に感染させる18世紀の室内楽のなかである人びとからボッケリーニの音楽が危険なものとみなされたというのもありえないことではない。メランコリーの能動的な面が技術の解体プロセスを見せることと反自然の緊張から降りながらゆるんでいくゆっくりしたうごきの解放感であるかもしれないと想像してみる。

ハイドンとボッケリーニは対照的な音楽と考えられていてその対立図式は明暗・喜劇悲劇・男性女性・知性感性と説明されていた。ボッケリーニはハイドンの陰画でハイドン夫人とも呼ばれた。この二人はおなじ楽譜出版社だったから相手のことは知っていたらしいが会ったことはなかった。ハイドンはボッケリーニにてがみを書こうとしたがスペインのいなかアレーナスはどこかもわからないのでやめたという話もある。

二項対立がみせかけのものならばハイドンからベートーヴェンに受けつがれブラームスからシェーンベルクそして1960年代のセリエルまで続きいまは理論化され技術となって学校で教えられている音楽の方法やシステムの権威のかげでいま周辺からしのびよる別な音楽があるのだろうか。それとも生まれる前から要素分析や認知主義に胎内感染しているのか。

対話がみせかけのものになってしまい障害を乗り越えながら続くモノローグから抜け出せないとしたら第3の声はどこから来るだろう。不毛な対話の往復の臨界点からか。