いつの間にか、月が欠けて、見えなくなるとラマダンが始まった。
日中、空腹を感じ、貧しい人のことに思いを馳せ、日が落ちると一気にご馳走を食らう。ここ数日、ホテルでラマダン明けの食事を取ったが、これがまた半端じゃない量だ。僕は、イスラム教徒ではないから断食はしないけど、ここヨルダンでは、レストランはほぼ全部しまっていて日中は食べるチャンスをなくし、なんとなく断食ぽい生活をエンジョイしている。
さてさて、空腹に耐え、貧しい人のことを考えた暁には何かいいことをしなければいけないのだ。そこで、羊を買って、シリア難民に振舞うことにした。難民支援で集まったお金で生きた羊を1頭買ってあげようということになり、シリア人のバシールに車を出してもらって郊外の羊市場を探した。バシール君は、ホムスから逃げてきて自身も難民だが、他の難民たちの面倒をよく見ている。
しかし、かみさんが最近切れたそうだ。出歩いてばかりいて、自分の家にはほとんどお金もたまらない。人助けもほどほどにしなさい!と離婚を迫られているという。近所に住んでいるヨルダン人のハッジが何とか説得したが、宗教裁判所に行ったりしているみたいで、大変なようだ。
そんな愚痴を聞きながら、車は、郊外の、資材置き場というが、ゴミ捨て場のようなところにやってきた。見るからにやばいものが取引されているような場所。商談が成立しないと、ずどんとやられて、そのまま、遺体は干からびて犬にでも食われそうな場所だ。こんなところの羊はまずそうなので、バシールを促して、もっと砂漠の奥深くへいくことに。
なんでもエジプト人がやっている羊屋さんがあり、この地方では見かけないオーストラリア産の羊も輸入して売っている。毛並みもよくて上品な顔している。やっぱりここは地産地消だ。ヨルダンの羊を注文すると、いつものちょっと下品な羊が出てきた。子羊は、僕はどうも苦手。はやり、十分人生を楽しんだ後のじいさんがいい。
で、ちょっと大き目の羊を選んだ。はかりにのせられるとメーメーと泣き出した。自分の運命を知ってのことなのだろう。体重は丁度50キロで360ドル。早速手足を縛って車のトランクに入れて持ち帰りだ。途中何度も、暴れる音が聞こえた。なんだか、かわいそうになってきた。一体、自分はいいことをしているのだろうか? 羊にとっては、とんでもないやつに違いない。第一手足を縛って車のトランクにいれて、最後は、ナイフで頸をきる。これって、イラクやシリアではびこっているテロリストがやっていることじゃないのか? そこで、僕の正義感がわいてきて、いっそ逃がしてやろうかともおもうが、所詮、誰かに食べられる運命なのだ。ならば、強欲な金持ちに食われ、食い残されたりするよりは、羊とて、貧しいシリア難民に骨の隋までしゃぶってもらいたいだろう。
そうこうしているうちに、屠殺場についた。こちらでは、たいてい肉屋が屠殺場になっている。羊を持ち込むと、1000円くらいで解体してくれる。あっという間に頚動脈を切り、血がどくどくと流れ出る。見事なものだ。見た目は残酷そうでも、苦しむ事はほとんどない。皮をはいで、内臓を取り出して、肉片にわけて。。あっという間でもなかったが、手際よく作業は進み、ビニールに入れて13家族分に分けた。羊が犠牲になり、シリア難民の命をつなぐ。まさに、「頂きます」の言葉の重みを実感した。
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