新・相馬盆唄

「MY LIFE IS MY MESSAGE」と名付けられたライブツアーを追いかけて、福島県相馬市まで旅をした。

ヒートウエーブの山口洋が、2011年から福島県相馬市にピンポイントで行っている復興支援が「MY LIFE IS MY MESSAGEプロジェクト」だ。ホームページには、「何よりも命を大切に考え、自らが汗をかく有志が集まり、被災した福島県相馬市の人々とともに、復興に取り組むプロジェクトです」とある。ガンジーの言葉からこのプロジェクト名をつけたという。相馬駅前で「モリタミュージック」というレコード屋をやっている友人のところに、震災直後に駆けつけて、それからずっと山口洋が取り組んでいる支援活動だ。

ミュージシャンである彼の復興支援は、やはり「音楽で人々を元気にする」というものだ。活動記録を見ると、震災の年の6月には、「美空ひばりフイルムコンサート」を相馬で開いたりしている。寄付やライブの収益を、相馬の人たちを元気にするために使っている。もちろんプロジェクトには相馬の人たちも参加している。

仲井戸麗市も昨年から参加していて、山口洋といっしょの「MY LIFE IS MY MESSAGE」と名付けたツアーが6月9日から7月6日まで、全国12か所で行われた。熊本から始まったツアーは大分、高知、岡山、名古屋、大阪、浜松、東京、札幌、函館、弘前とまわって、最後に相馬に到着する。それぞれの地に、このプロジェクトの思いを分け合う人々が居て、決して大きなホールではないけれど、熱い想いのライブがひとつひとつ重ねられて、最終日の相馬をむかえた。開演前に、入口に立っているスタッフたちの、晴れやかな顔がとても印象的だった。

私は、何より2人の真剣勝負の音楽を聴くために行ったのだけれど。支援などというには、あまりに個人的なささやかなことだけれど、相馬に思いをはせるきっかけになった。ライブは、山口洋、仲井戸麗市それぞれのソロのパートと、最後にいっしょに演奏するパートの3部構成。ハイライトは、ギタリスト2人の競演となる「新・相馬盆唄」だ。福島出身のパンクロッカー、遠藤ミチロウが新しい歌詞をつけて、山口洋といっしょに相馬市松川浦で唄っている映像がYou-Tubeにあがっている。現代の盆唄でとてもいいので、聞きとった歌詞を紹介したいと思う。

ハアアーアイョー 今年ゃ最悪だよ

穂に放射能が付いてヨー


アー 道の小草にも


エイサヨー さわれないヨー

ハアアーアイョー 帰れなくても


帰ってこーい 相馬の盆

ハアアー 君のことを今も

ヤレサヨ 想い出すヨ
ハアアーアイョー 風が吹くたび

海鳴りが聞こえるヨー

ハアアー みんなの元気な
ハレサョー 顔が見たいよ

(遠藤ミチロウ&山口洋 「新・相馬盆唄」)

夕暮れの川べりで山口洋の弾くブズーキに合わせて、福島県の名産の桃を手に遠藤ミチロウが唄っている。盆唄は、死者にも生者にも向けて唄われている。もうすぐ日が暮れる夏の川辺に風が吹いている。ミチロウは、今回のライブに飛び入りできなかったが、仲井戸麗市、山口洋のギターには彼のシールが貼られていた。ボーカリストの居ない盆唄は、ギターが唄うバージョンになる。2人のギターの掛け合いは、魂の競り合いのようだった。

相馬からの帰りを待っていてくれたように、帰宅の翌日に入院中の父が亡くなった。あと1時間で斎場に送り出すという時間、姉が、思い出したように、父にYou-Tubeで「高原列車」を聴かせたいと言う。スマートフォンから、「高原列車」が流れる。デイサービスで、この懐メロに合わせて体操をしていたのだという。それならば父が好きだった曲をと、岡晴夫の「憧れのハワイ航路」を探して、流れ出してきた音楽を父の方に向ける。幼い頃、畳に寝転がって、父がステレオで掛ける岡晴夫メロディーを何曲も聴いた。岡晴夫にどことなく似ていた父。父のアイドルだったんだね。きっと。スマートフォンが役に立つと、心から思った初めてのできごとだった。