7月が終わりに近づくと、毎年思い出すことがある。父の誕生日のことだ。
両親は私が14歳の時に離婚した。そのことについてネガティヴな感情の記憶はない。寂しくも悲しくもなかった。
父はどうやら子どもという生き物が好きではないようだ―そう幼い頃から感じ取っていたので、父が出ていくのは、家族の誰にとっても正解だと思った。むしろ、これから自分の身に起こる諸問題、進学や結婚について、父がいないほうが選択の幅が広がるような気がした。当時は、娘は自宅から通える大学に進学させたいと考える親も少なくなかった。
それでも、20代半ばまでは、時々父と会ってもいたし、連絡をとりあってもいた。語学留学していたパリのアパルトマンで手紙を受け取ったことを覚えている。しかし、その後は、私も働き始めて忙しくなり、すっかり疎遠になった。もう20年近く音信不通だ。もともとお互いの生活に特に興味もなかったし―父が書いた文章が何かに掲載されたといって冊子が送られてきたことがあるが、元気だということはわかったので、一読して捨てた―、振り返ってみれば、面会も、父と娘の責任を果たすためだけに会っていたという気がする。母が気を使ってその段取りを組んでいたのだと思うけれど、学生時代の私には、正直なところ、喫茶店で父と会う一時間がもったいなかった。父も早く帰りたそうだったし、私も友達を別な喫茶店に待たせていた。
そういう意味では似た者同士の平和な関係だ。
父は七月生まれの獅子座、私が九月生まれの乙女座、母と弟、妹は六月生まれの双子座だった。星占いを信じているわけではないけれど、実際、双子座の三人は感覚的に似ているところがあって仲が良く、父と私はそれぞれ単独行動をとるタイプだった。だから、父に対して何を感じることもないが、自分の中に父に似たところがあるとは思っている。私がひとりでいるのを好むのは、きっと父から受け継いだ性分だろう。
数年前、ふと思い立ち、妹に「パパと連絡とってる?」と尋ねたことがある。妹は、当然といわんばかりの表情で「とっていないよ」と答えた。そこで、今度は母に、「パパって生きてるのかな?」と訊いてみた。母は突然の問いに、きょとんとした顔で、「生きてるんじゃないの?」と言う。「パパが死んだら、誰かうちに連絡してくれる人っているの?」と、私がさらに尋ねると、「いないけど」と拍子抜けするような返事。逆に「えっ、あなたパパに会いたいの!?」と驚かれてしまった。私は、慌てて、「全然、そんなこと思っていないけど」と否定した。
「いや、年も年だし、死んでいてもおかしくないかなと思って」と、質問の真意を説明したけれど、母は私がセンチメンタルな気分にでも浸っていると誤解したかもしれない。
結局、私が知ることができたのは、父が生きているか死んでいるかわからないということ、それから、たぶん私たち家族の中で、父は永遠に生きていることにされるだろうということだ。打ち上げられた衛星が地球の周りをぐるぐる回っているみたいで面白いなあと思った。しかし、きっと父も―生きているならば―、打ち上げられた衛星が地球の周りをぐるぐる回っているみたいに、子どもたちは元気に暮らしていると、勝手に思っているだろう。私たちは父を安心して忘れている。父も私たちのことを安心して忘れている。
7月が終わりに近づくと、毎年考えることがある。人は疎遠になった者のことを、生きていることにも死んでいることにもできる。動かしがたい生は、いま目の前にいる人のものでしかない。