よたよたと猫がリビングを横切っていく。毛並みは悪く、やせこけている。名前はサスケ、9歳。4年前に口内炎を患ってからずっと闘病生活を続けてきた。
口内炎というと、ちょっと疲れ気味とか薬を使えばすぐ回復すると考える人が多いのだろうけれど、猫のそれは人と違って患ったら致命傷になる。口の中が腫れ上がり痛がってごはんを食べることができず、衰弱し、やがて死を迎えることになるのだ。
サスケとの出会いは庭だった。草むしりをしていて塀の近くに手をのばしたら、そこに黒に茶がまじった小さなサビ猫がいたのだ。互いに息を呑んで、と、次の瞬間、子猫は姿を消した。
それから、2、3週間が過ぎたころ、このサビ猫と赤トラの子猫が庭を縦横に走りまわるようになった。ダッシュしたかと思うと木によじ登ろうとしたり、ぶつかり合ってころげまわったり。見ていると、ひと回り大きな赤トラが、何につけ積極的でリーダーシップをとる。それにくらべるとサビ猫の方は、栄養が足りないようで、いつも後ろにいて影が薄い。母猫から離れた時期の子猫に、野良生活は過酷だ。このままでは、生き延びられないだろうと思った。
2匹は、庭をすみかと決めたらしく、夜は空の植木鉢の中でくっついて眠り、私の気配を感じるとピーピー鳴き声を上げ、ごはんをせがむ。
ついに根負けし、カリカリをひと粒、ふた粒、手からやってみた。赤トラは躊躇なくつぎつぎと欲しがるが、サビ猫は嫌がる。人が怖いのだ。それでも皿にのせてやると、迷いに迷って食べ始めた。飼うかどうか私の方も迷っていた。まずは1回だけね。
そのあと10日ほど旅行で留守をして、帰ってきてびっくりだった。何と2匹が家に棲みついていたのだ。いろいろなことに判断力を失いつつ合った母が、家に上げてしまったらしい。そして、ドアのわきに並んでこちらを見るその姿に、私は二度びっくりした。
からだはグンと大きくなり、目は輝き、毛並みはつややかで美しい。やせ細って鳴いていた子猫が、たった10日でこんなに見違える姿になるものだろうか。雑巾にも見えたサビ猫は、黒にベージュの毛が混じり鼻筋にはハクビシンのように白い毛が一筋入っている。魔法のようだった。十分な栄養は、生きものを劇的に変えることを教えられた。
かくして野良猫昇格。赤トラのオスはチビ。サビ猫のメスはサスケ。名づけるということは関係を結ぶということだ。2匹はいつのまにかじぶんの名前を覚え、呼べばこちらを見る。そして、おだやかに仲良く、本当に見ていてこちらがなぐさめられるほどに仲良く暮らし、2階の踊り場から本棚が叩き落ちた東日本大震災も、ケガもせず無事にくぐり抜けた。
猫といっしょに暮らしている人なら、きっと感じているはずだ。人と猫、哺乳類同士の何と近しいことだろう。対象物を見つめる瞳は黒く濡れ、臭いを感知するときは鼻の穴を上向きにしてくんくんし、モノを押さえるときは4本の指を立てる。おだやかな気持ちのときはゆったりとからだを伸ばし、怒りのときは目をつり上げ、天気のよい日は外に出たくてそわそわとする。名前を呼び、暖かなからだをなで、いっしょにくつろぐうちに、ヒト科とネコ科の境界は低くなっていく。私も動物、おまえも動物。人というじぶんの存在がゆるくほどけていく感覚の中で、科をこえた生きもの同士の信頼が生まれてくる。
サスケに変調がきたのは2013年の正月のことだった。よだれを垂らしてうずくまり、ごはんを食べない。意を決して病院に連れていくと、診断は口内炎だった。病因に思い当たるところは大いにあった。ひと月前、さらに衰えてきた母が、もう一匹、子猫を家に上げてしまったのだ。私が何度追い出しても子猫は入り込んだ。大らかなチビは平気でも、神経質なサスケには新参者の子猫は受け入れがたいことだったのだろう。概して、オス猫が大らかなのに対しメス猫は気難しい。
毎日、抗生剤とステロイド剤をひと粒ずつ投与することになったのだけれど、これがなめてみるとすこぶる苦い。缶詰のごはんに刻んで混ぜ込んだり、鶏肉の皮の下に挟みこんだり、苦心惨憺。
病気を得た猫は上瞼が落ち、目が三角になる。くぐもった表情の顔を毎日注意深く観察し食欲の具合をみながら、今日は元気だ、今日はいまいちだな、とその調子を測ってきた。
からだをセンサーのようにフル動員して病の進行を感じみるじぶんの中に、20年前、父の闘病を支えたときの記憶がよみがえってくる。あのときもこうだった。病室に入ると、父の表情から調子はすぐに察することができた。あ、落ち込んでいる。お、今日は笑顔がいい、という具合に。そして、新年は迎えられるだろうか、桜は見ることができるだろうか、と先のことを案じては不安にかられていた。
病を経てやがて死を迎える、静かに衰えていくその進行にも、同じ哺乳類、変わりはない。体全体が硬くなり、食が細り、筋肉が落ちて骨が浮き立ち、ときに腹水がたまり、最後は排泄がおかしくなって動けなくなっていく。
4月中旬、サスケはステロイド剤を投与してもごはんが食べられなくなった。背骨は触ると痛いほどに浮いてきて、後ろ足の太ももの筋肉がやせてソファに上がるのもやっとやっと。動物病院の先生は、最後の段階だから、もうこれしか方法がないよといって、50ccの輸液を入れてくれた。
それから週に3日、4日とそんな治療を続けているのだけれど、不思議なことに5月に入るころから、食欲を取り戻し筋肉をつけ、先日は驚いたことに脱走まで図るほどに回復をみせるようになった。
がんばれ。耐えよう。ついててあげる。繰り返し繰り返し、聞かせてきたことばを受けとめたのだろうか。病に倒れたとき必要なのは、人だって猫だって一人じゃないよというメッセージなのだ。
新年を迎えるのは無理と思っていたのに、猫は桜の季節を過ごし、風に揺れる緑の葉を見上げている。この先の季節の風景に、私は祖父母の、父の、看取りと最期を重ねみる。そこにはじぶんのこれからも透かし見える。
もうすぐ夏至がくる。地上の生きものに活力をみなぎらせる高い陽の光が、まだしばらくの間、降り注ぎますように。