ひそひそ星

園子温(その しおん)監督の最新作、「ひそひそ星」を見た。

園子温が自分のプロダクションをつくって、脚本、プロデュース、監督を担当した映画だ。モノクロームのSF映画は、どこか懐かしく、手作りの温かさを感じさせた。宇宙船の内部は、昭和の茶の間のほの暗さだった。見終わったあとに、様々に語り合って飽きない作品だ。

舞台は遠い未来、度重なる事故や災害、戦争などによって人口が極端に減ってしまったころ、人間は宇宙のあちこちに追い立てられ、ほそぼそと生きている。その人間たちからの依頼で、星から星へ、宅配便を届けるアンドロイドの物語だ。

途方もない時間をかけて配達される荷物は、不思議な物ばかりだ。映画フィルムの切れ端、古い麦わら帽子、子どもが写っている写真、たばこの吸い殻......どこが大事なのか他人にはわからないものばかりだが、受け取った人には了解される、送り主との思い出を媒介する記憶のカケラなのだ。

アンドロイドの彼女にも、だんだん「贈り物」という存在が気になってくる。「人間らしさとは何か」ということを考えるキーワードとして、「贈り物」が提示されている。箱に入れてとっておきたい物とは何か、時間や距離を越えて届けたい物とは何か。健気にも思えてくるアンドロイドの仕事ぶりと、宇宙の果ての静けさ、音のないその寂しさが「贈り物」の存在感を一層際立たせている。

映画に身を浸していると、「声」や「風景」もまた、「贈り物」であることが次第にわかってくる。次にこの宇宙船をレンタルする人のために、アンドロイドの彼女がオープンリールのテープに録音する声、宇宙船を運転する人工知能の彼の声(まだあどけなさが残る少年の声なのだ!)、遠い未来のどこかの星として描かれる福島県浪江町の震災後の風景もまた、「贈り物」のように私に届いてくる。

急須で淹れるお茶、雑巾がけ、マッチを擦ってつける火、街角にあるタバコ屋さん......、ひとつひとつ数えあげるように、なつかしい物が登場する。この映画自体、園子温が、未来の人と共有したいと願って大切に箱(映画)にしまった「贈り物」なのだという気がしてくる。