昨年の9月、トルコの海岸に溺死死体となって流れついたシリア難民の3歳の男の子の写真は、皮肉なことに、難民たちに希望を与えることになった。
ちょうど僕は、イラクに行く途中のドバイの空港のラウンジに置いてあった新聞でその写真をみたが、悲惨な遺体というよりは、心地よく海岸で眠っている赤ちゃんのようにしか見えなかった。だからこそ、この子のことをいろいろ想像してみることは、容易に受け入れられた。
難民たちは、経済的にもっとも豊かなドイツに行きたいといっている。なぜドイツは扉を開かないのかという世論の圧力におされ、そして、メルケル首相は、人道主義を掲げ、難民の受け入れを表明した。
難民たちにとって、ドイツは、パラダイスのように見えたのだろうか。私の周りにいた難民たちが、さわさわと動き始めたのである。危険なシリアやイラクから難民としてドイツを目指したのではない。一応安全なヨルダンや、北イラクなどに避難していた僕の友人が次々といなくなっていく。シリア難民だけでない。イラン難民であったり、ヤジディ教徒であったり、イラク人、パレスチナ難民などなど。
「別に、命の危険にさらされているわけではない。難民キャンプにいたら、攻撃されるわけでもないし、何とか食っていける。でも、未来がないんだ。特に、子どもたちの教育とか考えたら、今しかないと思った」
そんな考えが多かった。
一人大体40万円くらいを払えばドイツまで連れていってくれるという。口コミでこの人なら大丈夫というブローカーを見つけるのは難しくない。しかし、一家族200万円くらいの金を、難民から徴収するというビジネスも大したものである。
実は先日、シリア難民キャンプでやけどをした家族がいて、自立のためのビジネスモデルとして八百屋をやりたいというので、屋台を作ってあげた。しかし、八百屋を始めたものの、難民たちはお金を払っていかないというのだ。同じように、キャンプ内で雑貨屋をやっている難民に聞いてみても、「お金を払わない難民が多いよ。なので、あんまり儲からない」という。キャンプ内で自立したビジネスを展開するのは難しいなと思っていた。なのに、ヨーロッパといえば、難民からもそれぐらいのお金を出させるのだ。まるで魔法のような言葉。「ユーロ」
ドイツに続き、各国が、「人道的」に難民の受け入れを表明しだした。日本も受け入れるべきだと、感情的に訴える声も聴く。一体、「ユーロ」という言葉に、吸い寄せられてイラクを去っていった友人たちはどうしているんだろう。もう半年もたっているのだが、彼らはちゃんとユーロな人になっているのだろうか?
まず、フェースブックで彼らの居場所を突き止め、訪ねることにした。
世界難民の日(6月20日)にちなみ、6月19日に以下のイベントを開催します。是非お越しください
「難民の日に シリア・イラク・福島 を考える」