干刈あがた 再会

若松恵子

最近、住んでいる町の市立図書館に出かけることが増えた。本棚で気になる本を次々と抜き出して借りてきて、たとえ積ん読になったとしても古本屋のようにはお金が掛からないという事に今更ながら気づいたのだ。何と1回に借りることができる本は、30冊に増えていた。そういう訳で、図書館で思いがけない本と出会うようになった。

『響け、わたしを呼ぶ声 勇気の人 干刈あがた』小沢美智恵(2010年/八千代出版)は、この夏出会ったそんな1冊だ。1992年に亡くなった干刈あがたの評伝を2010年に出版することになったいきさつが、あとがきに書かれていて、その物語に心魅かれた。

1983年、当時文学好きの主婦だった小沢は、芥川賞の候補作を全作読んで当選作を予想するのを楽しみにしていた。そのなかで干刈の『ウホッホ探検隊』を読み、候補作中でもっとも魅かれ、当選作だと思ったという。残念ながら受賞は逃したが、それ以来、干刈あがたの名前を見かけるたびに作品を読み「年齢はわたしの方が11歳ほど下だったが、子育て中の主婦としての思いは驚くほど共通していて、自分でも気づかなかったもやもやした感情にかたちが与えられる気がしたのである。」という事だ。当時は作品を読むだけで、干刈の実人生に興味を持つこともなかったという。干刈の死を知った時も、これで永遠に新作を読むことができなくなった事を寂しく思うだけだったそうだ。

そして何年か後、小沢が福島を旅していた時に、何気なく入った古本屋で干刈の著作が並んでいるのに偶然出会う。懐かしい人に出会ったような気持ちになり、未読のエッセイ集も含め、安価だったこともあって全部買い込んで帰った。さらに、干刈の父母の故郷である沖永良部島は、小沢の夫の故郷でもあり、祖母の葬儀に島に帰った夫が、干刈がデビュー前に自費出版した『ふりむんコレクション 島唄』をおみやげに持ち帰る。それは、自費出版後、干刈の父の逆鱗に触れ、ほとんどを焼却処分にした幻の本で、小沢が実物を見てみたいと思っていた本だった。偶然が重なり、干刈との縁を感じた小沢は、評伝を書くことで干刈の意思を引き継いで、次の世代にバトンを渡していけないかと考えたという。

「私が今とても大切だと思うことは、『継承』ということ。先を歩んだ人から何かを受け継ぎ、あとから来る人に何を伝えていくかということ。タテのつながりだけではない。今という同じ時代に共に生き、それぞれの場所で考えたり行動している人が響き合っていくことも継承だと思う。男の仕事はともすると競い合いになりがちだが、女たちの仕事は小さくても、継承によってより大きな力になっていけると思う」(「デカダンスは男のものである」『女性教養』88・2)小沢の胸には、干刈のこの言葉が響いていたという。

私も、小沢の書作によって懐かしい人に出会ったような気持ちになったのだった。本棚で眠っていた干刈あがたの著作をありったけ出してきた。小沢からさらに10歳年下の私は、結婚や出産を経験する前に干刈の著作に出会っている。「女」特有の生きづらさには、あまりぶち当たらずに済んできたが、それは、先達の女たちが切り拓いてくれた道があったからであり、周りの人たちに恵まれたという幸運もあっての事だったと思う。干刈の作品に対して「女としてもやもやしていた部分」に形を与えてもらったという読後感は私には無い。

私は、干刈の「やさしさ」に魅かれたのだと、今回いくつかの作品を読み直して、あらためて思った。まず、文章の平明さという「やさしさ」がある。凝った言い回しではなく、暮らしに近い言葉で書かれていて、読む人を選ぶなんてことは無い。ページを切り取って、ずっと大切に取っておいた干刈あがたのインタビュー記事がある。インタビュアーはたぶん吉原幸子だったと思うが、質問に答える干刈の言葉遣いが「やさしい」。それは、女の持っている「やさしさ」という感じで、同じ女として女っていいなと思うような柔らかい言葉遣いなのだ。

記事の冒頭、干刈の印象は「少年のように飾り気がなく、笑うと唇の両端がくぼんでウサギちゃんみたいに可愛い」と書かれている。1986年のインタビュー記事の題名は「ジーパンをはいた母たち」。1943年生まれの干刈は、「ジーパンをはいた母」の先駆けだったのではないかと思う。「母親らしく」には縛られなかったけれど、「母であること」に誠実に悩み、「母であること」を放棄したりしなかった干刈の姿に、私も影響を受けていると思う。「それぞれの場所で考えたり行動している人が響き合っていくこと」、そのことによって「女たちの仕事は小さくても、より大きな力になっていける」と思っていた干刈。人と連帯していこうとする「やさしさ」が彼女の作品の根底に流れていて、そこを好きになったのだと、今は、わかる。

40歳になる前に買って、忙しい40代には読まなかったエッセイ集『40代はややこ思惟いそが思惟』(1988年/ユック舎)をゆっくり読んだ。干刈と同い年で小出版社「ユック舎」を切り盛りする岩崎悦子への連帯の思いが、あとがきに書かれている。「女性作家カレンダー」という文章があった。映画会社が作る女優のカレンダーのように、好きな女性作家をカレンダーにするならば、という内容だ。干刈が選んだのは、
1月:宇野千代、2月:アン・ビーティ、3月:田辺聖子、4月:新井素子、5月:樋口一葉、6月:マルグリット・デュラス、7月:与謝野晶子、8月:アメリカ黒人の女性作家たち、9月:藤本和子、10月:林芙美子、11月:富岡多恵子、12月:佐多稲子。

女を生きた先輩がずらっと並んでいてうれしくなる。干刈が、今活躍している韓国の女性作家たちの作品を読んだならば、きっと喜んだろうなと思ったりする。干刈あがたは何月だろうかと考えてみる。彼女の命日「コスモス忌」のある9月だろうか…。私が選ぶなら、11月。きらびやかな12月の前で、あまり目立たない月だけれど、小春日和の明るさと温かさ。寒さにむかう静かで澄んだ季節。