しもた屋之噺(279)

杉山洋一

そう長くないうちに、この家を引越そうと決めたからだけでもないのですが、最近、庭のリスがクルミをねだりにやって来るとき、手渡しするようになりました。今まで一定の距離をとって付き合っていたので、3匹棲んでいることこそ分かっていましたが、どれもほぼ同じように見えていたリスですが、手からやるようになると、顔も性格もそこそこ違いがわかるようになってきたのが面白いところです。

3月某日 三軒茶屋自宅
家人は三善先生の「こんなときに」を練習している。彼女は昨日、梅の咲き乱れる亀戸天神すぐ傍の「ライティングハウス」で、オーボエの古部さんと演奏会をひらいた。互いに顔色を窺うような演奏は、聴きながら困憊してしまうけれども、家人と古部さんは引き立て合いながら一切忖度もなくて、実に心地良い。「丁々発止」という言葉は正にこういう時のためにある。
ゼレンスキー・トランプ会談は、記者たちの面前で激しい口論となり大失敗に終わった。これが敢えて仕組まれた寸劇でないのなら、実に憂慮すべき泥濘に我々は明らかに足をとられつつある。最早何が正しいと言える状況ではなく、以前の常識や世界の均衡といった概念が、音を立てて崩れ去ろうとしている。今後、一体ヨーロッパはどうなってしまうのだろうか。今日の会談もそうだったが、「武士は喰わねど」ではないが概してウクライナ人は誇り高く、体面も大切にしているように思う。それに比べれば、14世紀からヨーロッパの列強から支配され続けてきたイタリアは、何かと言えば「まあ腐っても鯛ですしね」と自らを卑下するような、捻くれたプライドで強かに生き抜いてきた。今や世界のどんな僻地であっても皆がスパゲッティを食べ、音楽用語が未だにイタリア語なのは何故なのか、彼らはよくわかっている。ゼレンスキーがイタリア人だったら、トランプやバンスに揶揄されても、下手に出たり煽てたりして、ちゃっかり援助を手に入れられたのかもしれない。ともかく今回の会談については、早晩、日本の現代社会の教科書ですら掲載されるようになるに違いない。
昨年、或るイタリア人文化関係者と話したとき、現在のイタリアに特に大切なのは、現代芸術文化の育成と海外への普及だという。何百年経ってもイタリアは、自らの文化をダヴィンチやカラヴァッジョで体現するのに甘んじている、と手厳しい。

3月某日 三軒茶屋自宅
東フィル本番。ドレス・リハーサルで角田さん指揮の演奏を聴く。とても丁寧に独奏者に寄り添っていらして、学ぶところが沢山ある。これから自分が振る楽譜にも目を通さないといけなくて、落ち着いて耳を傾けられないのがもどかしい。角田さんは、実に感じのよい紳士で、現代作品も好きなんです、と微笑んでいらした。何でも昨日のリハーサルも聴いていらしたそうだ。終演後馬込に出向くと、五反田辺りで激しい雪。五反田駅ビルの和菓子屋で赤飯を購い夕飯とする。

3月某日 羽田空港
母の90歳の誕生日。ちょうど日本にいることが出来たので、町田の小田急デパート地下で好物のタカノのケーキを購い、名前も書き入れてもらう。「9」と「0」のロウソクも足してもらったところ、状況を察したのか、店員の物腰も途端に柔らかくなった気がする。確かに、90歳の母と誕生日ケーキを囲む姿は、誰にとっても心温まる風景に違いない。
あり合わせの食材、キャベツ、じゃが芋とアンチョビーで作ったパスタを食べてから、40年ぶりに母が弾くピアノを聴かせてもらった。バッハ「平均律1番フーガ」とシューベルト「即興曲2番」。特に、何十年も弾いていなかった上に、腱も痛めているにもかかわらず、むつかしいフーガを器用に弾く姿にびっくりしてしまった。自分の親とは言え、失礼ながら、まさかあんなに弾けるとは思いもかけなかったし、帰宅した父も、「お母さん、よく弾くでしょう」と自慢げである。お陰で40年ぶりに聴く母のピアノの感慨に耽る時間もなく、ただもうびっくりしてしまった。
父にカレイと牡蠣を揚げて貰って早めの夕食にして、3人揃って誕生日ケーキに舌鼓を打った。母はロウソクの火を、まるで仏壇の線香のように手で消したので、それは息で吹き消すものだ、と大笑いした。タカノのイチゴ・ショートケーキは甘すぎず、良質の果物と相俟ってたいへん美味であった。90歳になるというのは、一体どんなものなのだろうか。夜は家人と三軒茶屋の掃除をしてから、10時過ぎに羽田空港に着いた。

3月某日 ミラノ自宅
急に寒が緩み、道行く人の顔も少しほころんでみえる。サンドロ宅で、一日レッスン。ミラノにいる、ロシア式メソード、いわゆる、ムージン指揮メソードを教えるイタリア人に3年習ったモレーノのレッスン2回目。ベートーヴェン2番。ムージンの指揮法は全く違うメソードなので、指揮のテクニックには触れずに、不安定だったテンポを、メトロノームで丁寧に音楽をほぐしてゆくと、自分でも少しずつテンポが可視化できるようになってくる。テンポを支える支柱のようなものが自分で見えるようになると、音も見えてくるものである。指揮というのは、音を振るよりも、意識してその支柱を空間に建ててゆく感じに近い。そうすると、その支柱が磁石のようになって、演奏者の音が自然と吸い付いてくるのである。その感覚がわかれば、本人も面白いのだろう。最初は、ずいぶん不貞腐れて文句ばかり垂れていたが、途中から率先してメトロノームをつけて練習し出したので一同笑い転げてしまった。
ロシアンメソードがどのようなものか以前から興味はあったので、つぶさに観察することができて有難かったが、最後まで、強弱の指示の仕方がよくわからなかったので、直接彼に尋ねると、左手で指示するのだという。ストラスブールの劇場で働いているアンナリサは、ハイドンの「驚愕」を持ってきた。人間の機智を知り尽くした作曲家が書いた最高の愉悦に、何よりまず耳がよろこぶ。音楽はすっかり攻めているのにも関わらず、どこまでも朗らかで、健康的である。目新しさを誇示するでもなく、気品に溢れる遊び心に下卑た表現は一切なく、必要最小限の素材が、無理に使いまわされるでもなく、適材適所、ああ聴きたいとな思う箇所によい塩梅に挿入されていて、倖せな感じ。

3月某日 ミラノ自宅
聴覚訓練の期末試験で、アンドレアと話す。アスペルガーのPが授業の進行を妨げて困る、という話。病院からのアスペルガーの診断書は学校に提出してあるそうだが、あんなに怒りっぽければ卒業しても仕事も出来ないだろう。きっと親の手に余るからうちの学校に入れたに違いない。どういうつもりなんだかわからないが、親も無責任だ、と手厳しい。
そのPは、こちらの授業にも参加していて、自分は指揮がやりたいので、お知り合いになれて光栄です、と最初から恭しかった。絶対音感はそこそこあるので、聴覚訓練の授業ではいつも自信満々で参加しているのだが、その過信が仇になり、しばしば間違えてしまう。確かに、その度に気分を害しているようなので、どう扱うべきか少し気にかかってはいた。
先日の授業中、別の生徒に、あまりあちこちを視点を動かさずに音を聴く練習をしてみることを勧めると、休憩時間にPがやってきて、実は自分は多動症で軽い自閉症も入っているから一点を見続けることが出来ないのですが、自分が指揮を習うのは無理でしょうか、と、他の生徒に聴こえないように声を落して相談された。指揮と言えば、演奏者と感情のコミュニケーションを取ることが最も大切な部分だろうが、それを果たして教えることができるか。一瞬言葉に窮したが、ともかく各人演奏者との関係の作り方は違うから、君の場合も君に見合った方法を一緒に見つけよう、と答える。

3月某日 ミラノ自宅
フェデーレ宅を訪れ、今秋予定している訪日に関するインタビューをする。彼が俳句に魅了された理由は5・7・5のシンメトリー構造の美しさだという。そして、フラクタル状にこの構造の内部に同じ5・7・5を入れ子にしてゆく。自然とテキストとの有機的な関係も魅力の一つだという。
日本の好きなところは、他者へのリスペクトがあるところ。若い作曲家たちへのメッセージとして、他者に聴かせるための音楽の意識をもつことを挙げていた。
ポマーリコとは、ミラノ音楽院時代、ディオニージの作曲クラスで一緒だったのか尋ねると、学年がずれていたから、音楽院では一緒ではなかったが、その後、ポマーリコとリッツィと一緒にトリオを組んでいたからだ、と笑った。フェデーレはピアノを担当し、ポマーリコはファゴット、リッツィはフルートを吹いていた。チェルニーにとんでもなく難しい曲があってね、あれは凄く大変だった、と懐かしそうに話してくれた。
完成したばかりのピアノ協奏曲2番の楽譜を見せてくれて、長7度と完全5度の音程で作ったこの楽章なんだが、自分で改めて弾いてみて、その美しさに思わず感動してしまう、と言って、居間に置かれたタッローネのピアノの前に坐って、音程だけで即興をして見せてくれる。
イスラエルによるガザ大規模爆撃で500人死亡。アメリカがウクライナから連れ去られた子供らの情報を消去との報道。

3月某日 ミラノ自宅
30年以上前になるが、伊左治君たちと毎年「冬の劇場」を開いていた同仁キリスト教会で、J-Trad ensemble Mahorobaが「炯然独脱」を演奏してくれたので、代わりに両親が聴いてきた。Mahorobaの演奏が鮮烈だったことを大喜びしていたが、同じくらい、30年ぶりに訪れた同仁教会の佇まいや、すっかり風景が変わった、東大病院あたりの様子を嬉しそうに話してくれた。安江さんにJeux IVの楽譜送付。結局、飛行機でとったスケッチをそのまま生かして、作為的なことは一切なしに作曲。最後まで作曲の手を躊躇わせ、逡巡させていたのは、毎日目にし、耳にする世情との乖離であった。ギターの藤元さんが、その昔笹久保さんのために書いた「間奏曲」を再演してくださるというので、メールでのやりとりが続いている。間奏曲IIは長すぎると思ったので、大幅にカットすることにした。何度か練習の録音を送ってくださる藤元さんの音楽は、研ぎ澄まされている。当時作曲にあたり、瑞々しい霊感を吹き込んでくれた笹久保さんの音楽の素晴らしさにも、感動を新たにしている。

3月某日 ミラノ自宅
息子二十歳の誕生日。昨晩0時の時報を聴いて、夫婦揃ってさっそく息子をお祝い。
朝から学校で授業をしていると、息子からのメッセージで立て続けに何度か着信ベルがなる。「ルカ」で予約しておいた彼の誕生日ケーキを受け取りにいったが、予め代金を払ってあるのか知りたいという。何度も、代金は払ってあるから、受け取って来るだけで良いと説明してあったのだが、いざ店に行くと不安に駆られるのだろうか。
夕食には息子の好物を並べた、と言っても極端な粗食である。ごくシンプルなトマトとフレッシュ・バジルのパスタと、庭のローズマリーで香りをつけた牛肉のステーキとサラダ。こちらは、ステーキの代わりにモッツァレルラ・チーズを喰べる。彼は本来何も入っていないトマトソースのパスタが好きなのだが、精をつけさせたい親として、いつも何某か食材を加え「XXXトマトソース風味」にしてしまうのが、息子には甚だ心外なのである。母の誕生日ケーキで奮っていた「90」の蝋燭が気に入ったのか、息子は自分でスーパーに出かけて「2」と「0」のロウソクを買ってきて、ルカの特製誕生日ケーキに飾った。母の時と違うのは、母は、タカノのケーキの味そのものに興味津々であったが、息子は先ず、その誕生日ケーキと一緒に、自分でポーズをとって写真を撮らせることが先決で、なかなか気に入った写真が撮れなくて何度もやり直しさせられた。何しろ、昔使っていた古いデジタルカメラを気に入っていて、この古びた画像が気に入っているので、それを使って撮るのだといって譲らない。こちらからすると、家人の携帯電話で撮って、何ならその画質を落とせばよいだけではないか、とも思うが、よくわからない。

3月某日 ミラノ自宅
先週、今週と日本からの来客2組。先週ミラノを訪れていたAさんは、フィレンツェに観光に出かけ、イタリア人の友人と連立って歩いていたところ、追いかけっこをしていた二人組の若い男にぶつかられたらしい。翌日気がつくと、見事にパスポートだけが抜き取られていたという。あわてて一緒にカラビニエリを訪れ盗難届を用意して、領事館で緊急用パスポートを用意していただき難を逃れた。何よりすられたのがパスポートだけだったことと、身体にあまり後遺症が残らなかったのが不幸中の幸いであった。
今日は別の友人一家がミラノを訪れてくれて、日本領事館からほど近い、家人お気に入りの老舗レストランで昼食をご一緒した。ご夫婦はオッソブーコとミラノ風カツレツ、我々夫婦は葱のパスタと玉葱のスープ。来月過ぎれば気温も高くなって、オッソブーコも玉葱のスープも旬から外れてしまうところであった。

3月某日 ミラノ自宅
息子がロベルト・カッペルロのオーディションから帰ってきた。国立音楽院のマスターコースのオーディションだったのだが、他の参加者はピアノの独奏曲を用意していたところ、彼だけモーツァルトの協奏曲466を持って行ったらしい。特に伴奏者も用意していなかったが、その場でカッペルロがオーケストラパートを弾いてくれるというので、これはすごい機会だと息子が慌てて録音したものを、持って帰ってきて聴かせてくれたのである。
カッペルロはオーケストラパートをすべて諳んじていたから、息子が持参したリダクション譜は開かなかった。前奏も省略せず全部弾いていて、それが何とも典雅な響きを織りなす。多少古めかしいスタイルとでもいえばよいか、遅めのテンポながら音色はどこまでも明るく輝きを帯び、オーケストラのようにそれぞれのパートがまるで違う響きを紡ぐ。そうやって弾きながら、隣で弾いている息子に向かって「もっと左手」などと楽しそうに声を掛けていて、確かにカッペルロは低音楽器の音を適当に増やして弾いていたから、モーツァルトであっても少し重厚な響きが好きなのだろう。1楽章を全部弾き、2楽章の繰り返しに入る前まで弾いて、「後は覚えていないからここまで」と止められていた。2楽章冒頭はカッペルロが隣でテンポを振ってくれたのだが、それが何時もよりずっと遅いテンポだったので、最初はどうしようかと思った、と息子は笑っていた。一風変わったオーディションである。
カッペルロ自身が録音している466は、ピアノソロの部分では自由にテンポを揺らして即興的に聴かせつつ、オーケストラが入ってくるところでは、引き締まったテンポで推進してゆく、そのバランスが絶妙であった。家人も「本当にイタリアにはあちこちに巨匠がいるから、歩けば巨匠にぶつかる」と感嘆している。息子は昨日、ちょうどジュセッペのオーケストラと466弾き振りのリハーサルを始めたところであった。

3月某日 ミラノ自宅
新美圭子のテキスト「それでも私は、この震える海を渡ろう」伊訳完了。伊左治君からこの詩をうけとり、まず日本語を読んだ印象と感覚だけでざっとイタリア語に直したものを、暫く放っておいた。単純に時間がなかったからだが、少し時間を置いて寝かせたかったのもある。日本語の詩を伊訳するのは初めての経験で、思いの外むつかしかった。日本語は、少し空間にあそびをもたせながら単語を並列してゆくだけで、単語どうしの隙間から見えてくるものがある。それぞれの単語の関係性を殊更に限定させることもない。単語に性別も単数、複数の違いもないから、寧ろ読み手がそれをどう意味づけてゆきたいのか、面白みもある。敢えて主語と動詞を書かずに、述語節のみを並置することで見えてくる風景もある。それを眺めているのは、自分なのかもしれないし、他者なのかもしれない。つまり、そのように書かれているテキストを敢えてイタリア語に訳す行為は、自らの解釈を公表することに他ならない。日本語で読むとき、少し茫とした光景がむしろ心地良かったところを、イタリア語にすれば否が応にも鮮明になる。それどころか、テキストが内包していたドラマツルギーが、全て剥き出しにされて、実に分かりやすくなってしまって不安になる。本来のテキストでは、こんな風に限定的に読む必要はなかったからだ。
マリア・シルヴァーナに相談して、最初に書き出したイタリア語テキストを読んでもらったところ、何がどこに繋がっているのかわからないというので、敢えて、原文に書かれていない動詞を全てカッコつきで書き足し、且つ、文章の本意であろう内容を別途説明しつつ、改めて最初の原文を読返してもらう。
そうして幾つか整理してゆくうちに、最初の粗訳で焦点が定まっていなかった光景が、くっきり浮かび上がってくるのはとても心地良く、何かがすとんと落ちる感じがする。
その爽快感はまるで、何となく楽譜を読んで弾くのと、作品を理解して演奏するときの違いにも似ていて、結局自分が日本語をしっかり理解していなかっただけかと呆れつつ、昔、吉本ばななの「キッチン」と「N.P.」を先ずイタリア語で読んでから、後に原文で読んで、まるで印象が違ったことを思い出す。
昨年ウンガレッティの短編詩を邦訳して、イタリアでウンガレッティの詩が俳句に相当すると言われる意味はわかったが、俳句を読む感覚とは随分違うのは何故だろうと自問していた。一見、ウンガレッティのシンタックスは似ているようでいて、単語相互の関係性の鮮明度がまるで違ったわけである。https://shorturl.at/CBsui https://shorturl.at/vFl0A

3月某日 ミラノ自宅
「ヴェルディの家」にでかけ、本当に久しぶりに千代崎さんの歌声を聴く。突き抜けるような声の力なのか、懐かしさからか、聴いていて背骨がぞくぞくする。尾骶骨で感じる「オテロ」であった。長らくこちらの劇場で活躍されていたから、と言ってしまうと簡単だが、声が本当に遠くまでよく通る。文字通り「飛ぶ声」というのか。「ヴェルディの家」に住む、リタイヤした音楽家たちより、万雷の拍手。彼は日本に戻ってどれくらい経つのだろう。ミラノに住み始めたころ、とてもお世話になった方の一人である。

3月某日 ミラノ自宅
ミャンマー地震による死亡者が2000人を超えた。一部報道によれば、1万人以上に達する可能性も既に報道されていて、確度すらわからないものを既に報道機関が公表するのもどうかとおもう。
ミャンマー地震に続き、深夜のトンガをマグニチュード7,1の地震が襲い、一時は津波警報が発令された。自然災害を前に、我々は立ち尽くすのみ。
我々には思考能力や感情があって、そうした人間同士の機智を駆使して、現在まで複雑な社会構造を構築してきたはずであるが、一体どの時点で、我々には思考能力や感情を身につけたのだろうか。類人猿が力を合わせて獲物を狩る必要に迫られ、社会生活が生まれたと習った気がする。こうした小さな社会を構築する以前に、我々の祖先は既に感情や感性を宿していたに違いない。
我々は、動物にも感情の起伏もあり、愛情表現もあるのを知っている。魚でも簡単に懐くのを知っていて、特に知能の高い種類が存在するのも知っている。それは鳥もあまり変わらない。草木はどうだろう。感情がある、と言う人もいる。町田の両親は長年月下美人を育てているが、音すらたてつつ、ぐっと頭をもたげていきなり花を開かせるときの月下美人は、どうにも感情があるようにしかみえない、という。人工知能にも心が宿る、という人もいるが、確かに人工知能とチャットしていると、ていねいに編み込まれた思考回路がさまざまに結びついて、いつか独自の人格を獲得するような気もしなくもない。
これらすべては、我々が知能のピラミッドの頂点にいることが前提であり、我々の知識、知能こそが、森羅万象を分析し計測し得るスタンダードだとアプリオリに理解している。その結果、全ての我々の手に余るような現象、それは地球温暖化や原子力の他にもおそらく何某か存在しているに違いないが、我々の知能が作り出せることを知ってしまった。
宇宙についても、現在の能力では我々自身はどうにも到達できない遠隔地の情報を、我々自身が享受できるようになった。
そこでふと、立ち止まって考えてみて空恐ろしくなる。我々は、無から有は生まれないのを知っている。ならば、我々の知性も感情もどこからやってきたのか。
もちろん、進化の過程で感情が生まれた、という、我々にとって至極都合のよい定説を信じている分には問題はないかもしれないが、こうして我々に問題がある事象が降りかかるのは、結局我々の知能の限界、分析能力の限界を大きく超える存在を意識せざるを得ないのではないか。
半世紀以上も生きてきた良い大人が、今更何を馬鹿げた戯言を書いているのか、と笑い飛ばしたくなる気もするが、我々が知能で理解できる範囲というのは、所詮その程度なのである。この歳になって、怪しげな宗教論か、終末論か、さもなくば、極めて原始的なアミニズム回帰なのか、と、我ながら呆れかえりながら、今更ながら気づいたのである。この頭で理解できること、想像できることなど、せいぜいその程度までが限界であることを。その先に何があるのか、ないのか、我々は一体何のプラットフォームの上で日々生かされているのか。自分の想像を遥かに超えた視座からは、文字通り自分の知能を遥かに超えているから、何もわからないのである。
単細胞生物ならば分裂しながら生き続けられるのに、なぜ我々は性などを分けて、生殖活動をしてきたのか。単細胞生物には、知能はないのか。そもそも、知能とは何なのか。
全て我々のもつ知能や知識で測ることもできて、観察が可能であり、我々が想像可能な常識の範囲で理屈づけする上でしか、物事を咀嚼できない。それも全て後付け、英語で言うところのverification やらauthentificationとかいう一方方向の観念だ。本当に、我々が何かを理解しているというのであれば、知能を無から生み出すことができるはずではないか。根本的にすっぽり何かが抜け落ちているのは明らかだ。それが何かはわからないが、驕り高ぶった我々の知性では恐らく理解が許されないものに違いない。
人が諍いをやめられないのも、何らかの形で我々自身のDNAを後世に残そうとする本能が働いているからに違いないが、それがどこからやってくるのか明快に答えてくれる科学者でも存在すれば、地球は全く違った形での共存が可能になるのかもしれない。
Covidの頃から、我々の生活を蝕んできた何か。それを今日まで曳きずりながら歩いてきた我々の頭脳は、最早考えることを放擲している。

(3月31日 ミラノにて)