ここ20年のインドネシアの電話・インターネット事情

冨岡三智

7月末からインドネシアに来ている。『水牛』のことを思い出し、安宿でいま慌ててパソコンに向かったら、昔インターネットで文章を送るのが大変だった時代のことを思い出した。2006年3月号4月号に「ここ10年のインドネシアと日本」と題して、当時までの10年間の日本とインドネシアの電話事情、インターネット事情について振り返っているのだが、2006年当時は家の電話器のモジュールジャックからインターネットにつないでいたのだった。まだwifiはなく、旅行者はインターネットカフェのパソコンから送るか、自分のパソコンを個人オーナーのワルネット(電話機にコインを投入するのではなく、管理者にお金を払って使用するタイプの公衆電話。電話機は普通に家庭で使っているタイプ)に持ち込んで、その配線ジャックを自分のパソコンにつないで送らせてもらうか(オーナーに嫌がられるが)だった。過去には、インドネシアでその通信がうまくいかず『水牛』を送れなかったこともある。今読むと化石のような情報である。そして、当時はインドネシアでも多くの人が携帯電話を持つようになっていたものの、まだ携帯電話でSMSを送るのが主な通信手段だった。

これを書いたのがもう20年近く前のことだというのに愕然とする。この5年後、私は2011年1月~2012年4月にジョグジャに滞在していたが、その当時はUSBモバイルwifiが出ていた。私が滞在していた大学のレジデンスにはwifiがあったが、大勢の人が使うためか、ものすごく通信速度が遅かった。この滞在でいろいろお世話になったインドネシアの友人に教えられて、パソコンのUSBに差し込むモバイルwifiを買い、使用していた。こちらはレジデンスのwifiより通信速度が速かった。友人との連絡手段はまだSMSだった。私がコンパス紙に執筆した(2012年8月)時にものすごく反響があり、私の友人知人や、彼らから私の電話番号を聞いた人がどっとSMSを送ってきたことを覚えている。

私がホワッツアップ(WhatsApp=WA)を使い始めたのは確か2012年に入った頃。2012年9月にインドネシアの芸術大学を招聘して島根で行ったスリンピ公演を手伝ってもらったインドネシア人アートプロデューサーの人から使うように勧められた。海外の人―特にアメリカ人―とのやり取りはWAでやっていると言う。WAは日本のLineのような無料メッセージアプリだが、電話番号で登録する。今調べるとWAの提供が始まったのは2009年5月かららしい。私がジョグジャに滞在していた時、私のインドネシアの知人たちで他にWAを使っている人はいなかったように思う。一般のインドネシア人同士がWAでやり取りするのが一般的になるのは2012年よりは後のように思う。今では私とインドネシア人とのやり取りはWAが主で、facebookのメッセンジャーなどでつながっていた人ともだんだんWAでやり取りするように切り替わってきた感じがする。

インターネットの確保だが、2018年に行った時にポケットサイズのモバイルWifiをインドネシアで買ったので、それ以後渡航するときにはそれを使っている。インドネシアに着いたら空港でSIMを買って、モバイルwifiに入れて使う。いまや安宿でもwifiはある時代だが、出先でwifiがない場所もあるから、モバイルwifiは重宝する。2014年から2018年まではインドネシアに行けなかったので、いつ頃このポケットサイズのwifiが普及したのか知らない。

というわけで、こういう状況もまた「あの時代は…」と振り返る時期が来るのかもしれない、2010~2020年代の風俗資料になるかもしれないと思って、ここに記録を残しておく。