風がやんだ。木々の間から、神戸の街が見えた。陽は高く昇っていたけれど、足元が冷えてきた。目の前のカーブを曲がると、高山植物園が見えてくるはずだ。
 正直、疲れてはいたけれど、まだ歩けそうやった。僕は一歩ずつ歩いた。なにしに六甲山に来たのかなあ。ずっと歩き通しで歩いていると、歩くことが目的のような気がしてきてた。
 カーブを曲がると、バス停があった。バス停のベンチに、あんたが座ってた。なんでやろ。僕はそんなに驚かんかった。そこに、あんたがおるなんて思ってなかった。僕はもうあんたが死んでるもんやと思ってたんや。
 そやのに、あんたはベンチに座ってた。僕はあんたの隣に座った。
「六甲やったんやな」
「そやな」
「夙川は?」
「あそこは、夜風が強い」
「なるほどな」
 僕は笑ろた。なんか、静かに笑い始めてしもた。僕が笑い続けてると、あんたも一緒になって笑ろてたな。
「笑うなや」
 笑うな、と言いながら、あんたはだんだん声を出して笑い始めて、最後には僕より大声で笑ってたな。
 あんたの笑顔は高校生の頃のまんまやった。僕はなんとなく、背後にある六甲山の山頂の方を見た。神戸の背骨のような山並みが見えた。
「帰ろか」
 僕が言うと、あんたは笑うのをやめて、僕の目を見つめた。
「帰れるかな」
 あんたが言う。僕は笑いかけた。
「大丈夫や。誰も文句言う人はおらへん。美幸さんもあんたの帰りを待ってる。大丈夫や。一緒に帰ろ」
 僕がそう言うと、あんたはホンマに心細そうな顔をして、もう一回、帰れるかな、と言うた。
 僕はあんたを励まそうと、あんたの肩に手を置いた。あんたの肩はびっくりするほど冷たかった。
「なんでこんなに冷たいんや」
 僕は驚いてちょっと大きな声を出してしもた。そしたら、あんたはふらふらっと立ち上がった。そして、両手を上に上げて、ゆらゆらと揺れ始めた。ああ、これはあの時の文化祭の踊りやな、と僕は思った。
 冷たい身体で、あんたは六甲山の中腹で、ゆらゆらと昆布みたいに踊り続けた。
 僕も立ち上がって、同じように身体を揺らした。風が止んだ。僕はあんたの方を見ないようにして、「帰ろか」と声をかけ、山道を下りはじめた。(了)