コンピュータは何らかのことを「すでにわかったこと」とみなした上で、さまざまな問題を解決する。その際、ひとたび「わかったこととみなした」ことについては、コンピュータ自身の中の情報をどうひねくりまわそうと、変換しようと、その前提自体を「疑う」ことはできない。システムがつくられたときに設定された前提自体を「問い直す」ということはできない。人間だけが、いつも、根本的な問いを投げかけ、本当にこれでいいのかと問い直せるのである。 佐伯胖
(佐伯胖『コンピュータと教育』岩波新書)
佐伯胖は認知心理学者。認知心理学とは佐伯によると次のような学問だという。
「どんな動物でも、昆虫ですら、意味のあることしかつかんでいない。そうすると意味をわかろうとしているのが本来なんだ。意味がわからないものは受け付けないのが一番自然なんだ。人間は意味がなくても、練習さえすれば学習するのではないかというのは、ものすごく無理をしている。無理やりそういうことに適応できるような体につくればできますが、それは本来ではないとわかってきたのが認知心理学です」(佐伯胖ほか『学ぶ力』岩波書店)
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コンピュータ教育を考える際に、「コンピュータの導入で教育はどう変わるか」という議論が多いが、これはそもそもおかしい。これでは、教育というものがテクノロジーにあわせていろいろ変化するということが前提になっている。しかし筆者が提唱したいことは、そもそもテクノロジーに教育を適合させることを考えるべきではなく、教育にテクノロジーを合わせるべきだということである。つまり、「コンピュータやインターネットを教育にどう活用し、どう教えるか」という観点からコンピュータ教育を考えるのではなく、まず「現代社会において、教育はどうあるべきか」という観点から出発し、そこにコンピュータがどのような形で貢献できるかを考えるのである。 佐伯胖
(佐伯胖『新・コンピュータと教育』岩波新書)
今やパソコンは「家電並み」といってもいい物となっている。だから、パソコンの基本操作についてわざわざ学校で何か特別の「教育」をすべきとは思えない。そういう状況でも文科省は学校にタブレットを導入し、さらなるICT教育をすすめようとしている。そこには「現代社会において、教育はどうあるべきか」という視点が欠けているのではないか。
佐伯胖は『コンピュータと教育』以来、一貫してコンピュータと教育の関係を説い続けている。「コンピュータもまた、人間にとって道具なのだ。愚かな使い方は不幸をもたらすし、賢明な使い方は幸せをもたらす」(『新・コンピュータと教育』)。
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生成AIは「人間のように文を理解し、発せられるようになった」わけではなく、なにか別のメカニズムによって、「文を理解し、発せられるように見えているだけ」ということでしょう。生成AIは、人間のような知性を獲得しているわけではありません。私たちが打ち込んだ文の意味を「理解」しているわけでもありません。ただ、「こういう文章に対しては、こう返すべし」という「確率情報に基づいた応答」が極めて上手だということです。 川原繁人
(川原繁人『言語学者、生成AIを危ぶむ』朝日新書)
川原繁人は言語学者。川原の妻(桃生朋子)も言語学者で、小学校に通う二人の子どもを育てていて、スマホやタブレットをどこまで子育てに使ってよいのか悩んでいたという。そんな中、2022年11月、OpenAI社から公開されたChatGPTに代表される「生成AIブーム」が到来し、「生成AIを搭載した子ども向けのおしゃべりアプリが開発されている」というニュースも飛び込んできた。それ以降、「幼児が生成AIと会話することは、果たして、人間の健全な成長という観点から、「安全」なのか?」という問いに本気で向き合ってきたという。
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人間が自分の生存を、役にたつとかたたぬとか計ってはいけないことだと、わたしはつくづく考えました。そして、あくまでも生きていようと、ひとり心に決めました。「生きのびているだけで、それが手柄だよ」という窪田空穂先生の言葉が、いまも耳の底にひびいています。 戸井田道三
(戸井田道三『生きることに◯✕はない』新泉社)
戸井田道三(1909〜1988)は、長い療養生活のかたわら能・狂言に関する著作を多く残した。また、「忘れる」ということに注目した『忘れの構造』という独自の随想も残していて、長く読み続けられている。学校は「覚える」ことを熱心にすすめるが、「忘れる」ことも重要ではないだろうか?
「夢はみる必要があって人間におこる現象だとすれば、眠りからさめた瞬間に忘れてしまうのもまた忘れる必要があるからにちがいない。コンピューターの記憶装置は忘れない。もちろん夢をみることはできない。だからコンピューターで未来を計測するのはあぶなっかしいことにちがいない。そう思うのである」(戸井田道三『忘れの構造』ちくま文庫)