しもた屋之噺(146)

杉山洋一

まだ暗闇で人影も疎らな早朝のミラノの中央駅から、特急が走り出したところです。今朝は目が覚めると時間に余裕があったので、始発のトラムに乗り、地下鉄の夜間代行バスに乗り換えて中央駅まで来るという酔狂を思いつきました。初めての経験でしたが、バスがすし詰めだったのには驚きました。

 2月某日
夜、学校が終わってから、カドルナに鼓童のライブにでかける。中国人街を通り抜け、競技場の傍で、ジョギング中の若者に道をたずねた。実は一昨日も息子を連れて鼓童の演奏会へでかけたのだが、ちょうど自分が息子くらいのころ、親に連れられて、眞木さんと鼓童の演奏会には何度もでかけたから、息子にも同じ経験をさせてやりたいと思った。鼓童のTさんにその話しをすると、昔とは随分違うでしょう、と言われたのだけれど、あの時の記憶は、子供だった自分が大人の世界を背伸びしてみている興奮が先立っていたかもしれない。今は反対に大人の自分が子供の視点にもどって興奮している。人生とはつくづく不思議な巡り合わせだとおもう。眞木さんが没後十年だと聞いて、時間の早さに言葉をうしなう。Tさんは眞木さんのモノクロームを中央で見事に統率していらした。この曲は子供の頃から何度も見たし聴いたけれど、40の齢を過ぎて最初の一音で鳥肌が立ったのは、なぜだろう。

 2月某日
仕事をしていると、家から何度も電話がかかるので、流石に何かあったのかと気にかかり電話をする。知らせを聞いて、日がな一日どんよりとした気分で過ごす。日本から立て続けにメールが届くが、申し訳ないけれど、皆に同じようにしか返事がしたためられない。それしか言葉が浮かばない。

 2月某日
本年度、勤めている学校は長らく悲願だったヨーロッパの共通大学資格をとった。今年の新入生は当然大学生となるが、去年までに入学した学生は、改めて大学生としてやり直すか、音楽院生として最後まで続けるか選択しなければならない。移行期真最中で大学資格のお陰で学生数が3倍に跳ね上がったとか、国立音楽院から学生が市立に流れてきたとか噂が流れてくるが、実際はよく分からないし興味もなかった。
ところが、大学資格の初めての記念すべき試験が、あろうことか自分が担当するクラスにあたり、学校総出で馴れない手続きをしているその真っ先端につまみ出されてしまった。大学試験は従来の音楽院の試験と違い全て公開で、試験中は他の受験者も熱心に聴いている。受験者は誰も聴いてほしいとは思っていないが、法律で拒否できないそうで気の毒だ。
一人終わるごとに試験官3人は退室し、隣室で点数を話し合うところは非公開。従来の10点満点での採点ではなく30点満点制で、18点以上が合格でそれ以下は落第だが、基本的に落第という形はとらず、教師が次回の再試験を奨める。幸い今回落第者はいなかったが、審査員の点数に本人が納得できなければ、その点数を拒否して、再試験を受けられるので、20人の受験者中3人が再試験を希望した。これはなかなかよいシステムではないか。そのうち1人は、こちらが26点という良い点数を提案したにも関わらず拒否した。
イタリアの学生がこれほど成績に固執しているとは気がつかなかった。一人は特に成績が悪くもないのに、もう一回勉強をやり直してから試験に臨みたいと、試験に登録すらしなかった。

 2月某日
Sさんよりメールが届き、10年以上お目にかかっていなかったMさんが亡くなっていたことを知る。Mさんはとても優秀なコックでミラノで修行中だったけれど、その後東京に店を構えて、とても成功されたと聞いていた。彼がアルコール中毒に陥り、自ら命を断つとは想像すらできなかった。「やられたなあ」と思います。Sさんも辛そうだった。

 2月某日
「誄歌」を素材して曲を書く。構造や規則の上で自由な曲を作ると「脱構造」という構造に絡みとられて身動きできない。無構造から構造を築くのは、制約や制限とほぼ同じだ。社会構造に似て妙に人間臭い。

ピザを齧りながら、イランから留学しているババクに、君はイスラムかと尋ねると、イラン政府は確かにイスラム教を推奨しているが、実際はみな無宗教かゾロアスター教ですと笑う。自分も無宗教で母親は何とかという仏教徒ですが、名前も知らないそうで、頻繁にインドに出かけるので、高僧にでも会っているのではないでしょうかと言う。
イランはアラブではなくペルシャですので、イスラム教は借り物ですと誇り高くいわれて、少し納得するが、ならば日本はどうなのだろうとしばし考え込む。

 2月某日
音符の裏に神秘は存在するのだろうか。指揮をしていて、演奏者の想像をかきたてる言葉を期待される瞬間があるが、胡散臭くて言葉にできない。カリスマティックな文句を期待されても、何も言えないので、ロマンもへったくれもない。ここで悲劇の光がきらめき、というより、和声構造が崩れていたり、楽器のリズムが崩れていたり、音程がわるければ、いくら悲劇の光が各々の奏者にきらめいても、あまり意味がないように感じてしまう自分が、正直なところ少しつまらない。人生もう少しドラマティックなほうが楽しかろう。指揮をする上で自分でもどうなのだろうと思う。もっと夢のある想像力豊かな音楽づくりが出来ればいいと自分でも思うし、何故これほど即物的で俗物かとあきれる。
ドナトーニに習ったからか、音の付加価値に殆ど興味がない。音が発せられた瞬間に、何かが生まれるとは思うが、それは音を置くものが先に期待したり、計算したりするものではない。誰にも帰属しない何某かを神秘と呼ぶのであれば、おそらくそれは確かに存在する。
口ではそう言いつつも、自らにへばりつく音の付加価値に対する不信感から、音楽の神秘など、実は殆ど信じていないのではないか、自身を不信に貶めることもある。
聴き手はセンチメンタルで構わないし、他の演奏者は自分のように夢のない音楽家ばかりでないことを祈る。世知辛い昨今、さもなければより殺伐としてきそうで、少し恐い。

(2月27日ローマ行特急車内にて)