犬狼詩集

管啓次郎

  97

耳飾りの大きさと空の青が彼女を特徴づけていた
銀と金それぞれの美しさを日没との関係において論じている
車が川のように流れる首都高速を音楽的に指揮していた
ロス・アンジェルスをいかにして再天使化するかをバイリンガルで議論する
サボテンの葉肉を練りこんだ緑色のパスタを作った
「汗をかいていますね」といわれて浅い眠りから覚める
死んだ三人の友人と四人で夕方の海岸を歩いていた
どこに行っても犬たちが全速力で体当たりしてくる
性的差異のエチカをあくまでも言語的に素描したかった
ずっと上方に見える指のかたちをした岩におにぎりをひとつ置いてくる
バランスがすべてなのでありえないかたちで小石を積んでみた
「ここからは飛行機が真上に見える、ここでキスして」と十四歳の少女がいう
あまりに多くの魚が水揚げされるのを見てから二度と魚が食えなくなった
精神は分岐点を探し見つかればそれを立方体として表象する
これから新しく覚える文字はたぶん実際には使えないという年齢になった
知恵が情報化されるので人はもう筆談以外に話らしい話ができない

  98

明るい夜を低空で渡ってゆくうちに気温が12°まで下がった
レモンとライムの輪切りを交互に重ねて美しい彫刻にする
じゃがいもを収穫したあとの畑にぽつんと一本の樹木が立っていた
低い位置から森を越えて旅客機が着陸する
横顔を左からしか見せない彼女の理由は取るに足らないことだった
嘴は青、喉は赤、頭は黒、オレンジの細い線一条
骨格は中空構造で軽くて大変に丈夫だった
海抜ゼロ米の墓地なので埋葬といっても架空の出来事だ
美人じゃないからという彼女の困ったような横顔が美しかった
ひとつの種が優勢になることはすべて滅亡への線路にすぎない
北海道は開拓をアメリカ型にしたためすべての狼を無用に殺した
エゾジカの個体数が数字として湖のように岸辺からあふれてゆく
きみがオレンジをくれたのでぼくは栗とヘーゼルナッツをあげた
熊と栗鼠と鳥と魚をまさかおなじ銃で撃つつもりか
追跡の情景を墨だけで描いていった
混合サラダさえ作れないシステムのせいで市電が廃止される

  99

記憶が物質をすり抜けてゆくという事態を再現したかった
珈琲の入れ方がまちがっていてストッキングの味しかしない
教会の鐘がやかましいほど鳴って勤労に感謝した
路面電車の軌道をよろよろと老いた天使が歩いている
美しい文字を書きたいので一日だけ七時間練習した
「野生の虹」という言い方にばかばかしさを感じる時がある
少しでも遠くを見ようと犬が彫刻作品に飛び乗った
二人の中学生がハンブルグ訛りの英語でビートルズを次々に歌っている
生命が上陸を決意したとき海を体内に残すことが問題だった
馬を見れば馬、山を見れば山の輪郭をなぞっている
「花札」というゲーム用カードの意匠に異国的なおもしろみを感じた
グリム兄弟の母親の墓に子猫がちょこんとすわっている
詩人としての透谷も啄木もまるで知らなかったのでごめんなさい
未来主義とはいうが未来に過去の実現を見てはいけない
あるときパンが崩壊し見る見るうちに小麦の穂に戻った
「獣道を今日も山頂まで」と幼稚園児が無言で誓っている

  100

河口近くの泥からきみの手のかたちをした生命を掘り出した
太陽が中空に架かって経済活動を封印する
当時の子供たちはアメリカザリガニをマッカーサーと呼んでいた
蟻たちの実効支配によりきめ細かい都市を形成しよう
一枚の写真の影からその日の時刻を正確に割り出した
なだらかな曲線を見るとなぜ植物的フォルムと呼ぶのだろうか
果汁により記憶をよく洗い細かいことにはこだわらなくなった
標高ごとに茶の葉の色合いが微妙に変わるようだ
雨傘をくるくると回してシェルターの意味を考えた
美しい動物の気配だけが森に立ちこめている
音響を二時間遅延させたのでたったいま雷鳴が聞こえた
自己とは自己の計画を達成する限りで自己なので私に自己はない
夜半の雨に濡れて歩くと思考が異常に明晰になった
一本の樹木に大きな石を載せてその成育を見守っています
ジュゼッペ・ペノーネの名はなぜかいつも葡萄を思い出させた
森の木の枝に小舟がひっかかり通りがかる人々を身震いさせている

  101

たしかに白人なのにアジアを濃厚に感じさせる夫婦だった
グレープフルーツ独特の苦みがピンクの果肉にはなくて目が覚めない
路面電車の前を盲目の夫婦が横切るので思わず悲鳴をあげた
空港でリフトに乗りずっと下降すればそのまま対蹠地に着く
ブラジルにいたころ一羽のarará(オウム)が妙によくなついてくれた
Tatuzinho(アルマジロ)に紐をつけて散歩させた甘美な一日の思い出
Croissant(三日月)とmedia luna(半月)というがおなじものだった
“Ohne, ohne!”と幼児が叫んで炭酸なしの水を欲しがる
橋にむかう道を45°の角度でまちがえていたためどんどん離れてしまった
河川以外に土地の主人はなく河川の汚染は自分の髪で首を吊るようなものだ
雄鶏亭(Le Coq)という居酒屋で朝食に生サラミを食べた
秋が深まって獣脂の甘みが心からありがたく思えて合掌する
「電線がスパゲッティのように揺れて」という画面の言葉にみんな頷いた
大自然の「大」をすべて「犬」に換えて独特のfake感を出す
写真を撮るなら写真を撮ることに徹したいので被写体はむしろ邪魔だった
一枚の板チョコを組織的に十二分割して十二人で同時に食べる

  102

場面ごとに主人公が入れ替わってゆく一貫性を欠いた映画だった
塩に籾を入れて湿気を吸わせているようだ
米には元来ものすごい数の種類があるのにすべて捨てられた
対岸がヨーロッパかアジアかという議論ほど無意味なものはない
トーゴから来たアフリカ人のドラムが五十七分間止まらなかった
幾何学的な庭園にワイルドな山を築き漢字をちりばめる
白鳥の離水があまりに不格好でみんなが笑った
まっすぐな水路の延長線上に迷宮と南極がある
遠征から帰った男たちを川の中洲に隔離する文化だった
新しい猟犬を慣らすため一日中一緒に素手で野豚を追う
十分望んだ角度が得られないので体をむりやりそらせてみた
音声は聞き届けられ波形としては消滅した直後に意味を発生させる
暴動が自然発生するのを雷雨の訪れのように見ていた
木目をじっと見つめて自己催眠による自己治癒を試みる
場面ごとに主人公の髪が伸びている映画だった
そこに見えている敵を敵だと思ううちは心に平安はない