先月号でも少し書きましたが、5月末にマニラで上演したコラボレーション・パフォーマンスについて書きとめておきたいと思います。
作品タイトルは「crossoverlap」。クロスオーバーとオーバーラップを1つにした造語です。作曲:田口雅英、バイオリン:Criselda Peren(マニラからのゲスト)、パーカッション:伏木香織、舞踊:岩澤孝子(タイ舞踊)&冨岡三智(ジャワ舞踊)。アジア、西洋、伝統、現代…といったものが、私たちの身体を通して、思いがけない方向へとクロスオーバーし、波紋のような感じでオーバーラップして出てくることをテーマに作品が作られています。
作り方としては、まず作曲ありきなのですが、彼が時間枠を作ったという感じ。その中でパーカッションとバイオリンと2人の舞踊が、それぞれのサイクルでパターンを繰り返す、けれどそのときどきでパターンの順序が変わっていったりする、という感じです。パーカッションと舞踊の人には、声を出す部分もあり、舞踊の2人には途中でそれぞれがクマナ(ジャワ宮廷舞踊で使う、バナナ形の打楽器)を叩くパターンもあります。パーカッションとバイオリンのパートについては、作曲家がそのパターンを作りましたが、舞踊の動きの選択に関しては、踊り手に任せられ、それぞれの伝統舞踊ベースの動きをしました。
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作品全体についてではなくて、私が自分のパートで気づいたことを書きます。
私にはA、B、Cパターンのそれぞれがだいたい2分半から3分半というところなのですが、この時間サイクルが難しかった。ジャワの伝統音楽ガムランだと、西洋音楽ほどテンポが厳密ではないとはいえ、この形式でこの速度指示だとだいたい何分かかるというのが読めます。宮廷舞踊の楽曲で長い部分だと1周期が2分くらいなので、2分というのは1つのスカラン(一まとまりの動き)か、1分のスカラン2つ分の長さなのです。つまり、カウントしていなくてもだいたい2分の長さが取れるのです。またパーカッションは30秒ごと、1分ごとに時を刻んでくれるのですが、2分、つまり30秒の4倍を超えて、その5倍とか7倍の長さを感じるのは、意外に難しい…。ガムラン音楽が4の倍数ごとに刻むのは生理に叶っている気がします。
それからクマナの楽器を叩きながら声を出すことが難しかった、というよりもそれに抵抗がありました。作曲家からはクマナを叩く間隔について指示があったのですが、自分で声を出すと、記憶とか理性がふっ飛んでしまうのですね。自宅で時計を見ながら小さい声で練習していたときにはできていましたが、いざ大きな声を出したら、時間の長さが分からなくなりました。時を刻む音が耳に聞こえているはずなのですが、それでも分からなくなるのです。それには、動きと、クマナを叩くのと、声を出す間(ま)をつかないようにしてほしいというリクエストが作曲家からあったせいかも知れません。普通、ガムラン音楽を伴奏に歌ったり踊ったりしていると、節目を刻むゴング類の楽器が鳴るたび、「ああ今はここまできたのね」と、まるで信号を確認するように時間軸を感じることができるのですが…。
他のジャンルの人には、ジャワ舞踊は楽曲構成に当てはめて作られている、という風に思われているようです。ガムラン音楽はさまざまな節目楽器が音楽の周期を刻む楽器なので、そう思われがちなのですが、私に言わせると、ジャワ舞踊のうち宮廷舞踊の系統は、歌が作りだすメロディー、それはひいては歌い手や踊り手の身体の内側から生まれてくるメロディーにのって踊るものです。クタワン形式などのガムラン曲も、朗誦される詩の韻律が元になって歌の旋律が作られています。その証拠に、私の宮廷舞踊の老師匠は、しばしば歌いながら踊っていました。停電でカセットが途切れても、かまわず歌いながら踊ってしまうのです。つまり、流れるメロディー先にありきであって、その後で、それに合わせて棚枠の楽曲構成が作られた感じがします。だから枠の組み立ては少しゆるゆるとしていて、時間を少し前後にひしゃげることができます。けれど、メロディ・パートの踊り手と枠を作る側とで体内基本速度があまりにもずれると、1つの枠に入れ込んでしまうのがちょっと難しくなる…。
このパフォーマンスを見た猿の研究者の人が、時間枠がずれていく感じがしたと言ってくれました。クロスオーバーし、オーバーラップしていったのは、西洋とか伝統とか現代とかという以前に、それぞれのパフォーマーの体内時間だったのではないかなという気がします。でも、作曲家が意図したようには、ずれていかなかった気もしますが…。
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タイ舞踊の人と初めて一緒に踊ってみて感じたのが、タイ舞踊は木の上で跳んでいる鳥、ジャワ舞踊は地を這うナーガ(大蛇)という感じだなということ。彼女の方ばかり見て踊っていたわけではないのですが、いつも空に向かってピョンピョン飛び跳ねているような気配がありました。タイ舞踊が描くキンナリという伝説の鳥(日本に入ってくると迦陵頻伽)というのは、たぶんこんな跳び方をするに違いない、羽ばたいて飛翔はしないだろう、という感じです。私はというと、「地獄の釜の蓋をあけたみたい…」だったそうな。蛇はキンナリの方に向かっていこうとするのですが、追いついた頃にはキンナリは目の前にいないのです。私に言わせれば、鳥の逃げ足の方が早いのですが、蛇のほうがトロすぎて協調性に欠けていたそうです。そのトロさが、地獄に引きずり込んでいく感じに見えるらしい。
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というわけで、今回も主観と言い訳だらけの文章になっています。
これを書いている今、インドネシアの古都・ジョグジャカルタを拠点に活動する劇団テアトル・ガラシの公演準備をしています。私の活動名「ジャワ舞踊の会」の主催で、大阪公演をすることになりました。7月1日が公演なので、来月号で公演の顛末を書きたいと思います。最後に予告だけしておきます。
2010年7月1日(木)15:30-/19:30- アトリエ・エスペース(大阪市)
テアトル・ガラシ「南☆十字路」(原題”Je.ja.l.an”)公演。
伝統と現代、都市と裏通り、勝ち組と負け組など、東南アジアの都会を舞台にした葛藤・衝突・矛盾がテーマ。ダンスをベースにした身体表現と、様々なイメージを喚起する舞台装置による実験的現代演劇。
詳しくは「ジャワ舞踊の会」をご覧ください。