チリのサンチアゴから飛行機はイキーケを経由してボリビアのラパスに朝9時過ぎ到着。ラパスの空港は4200メートルと世界1高地にあるため、ここに着いた人は高山病で悩まされるということですが、私は以前来た時もなんともなく、おまけに今回は2200メートルのメキシコ・シティーに2年あまりも住んでいるのですからへっちゃらです。しかし、ここは急な坂が多く、すり鉢状になった街の上にいくほど貧しい人たちが住んでいます。そして底の部分には官公庁や市場など中心地がありバスや車が右往左往しながら行きかっています。道路はいつも車でいっぱいで、おまけにあちこちで団子状態になり動けなくなっています。そして坂のアップダウンは高地に強い私でさえとてもつらくて動くのがいやになります。ボリビアはほかに低地もあり、気候も温暖な場所もあるのに、なぜこんな動くとしんどくなるようなところに首都があるのかと不思議でした。それともみんな高地に慣れているので肺の構造が違っているのでしょうか。
ここではメキシコの学校で知り合い、友達になったふみさんが働いているので、私がメキシコにいる間に会っておこうとチリに行ったついでにボリビアにもやってきました。彼女の家に泊めてもらうことにし、その日はボリビアの有名なチャランゴ奏者のエルネスト・カブールが館長をしているという楽器博物館に行きました。この博物館のあるハエン通りはかわいいコロニアル建築が並び、ラパスのにぎやかで雑然とした街並みのなかでは少し雰囲気が違っていました。
博物館にはたくさんのケーニャやサンポーニャ、ボンボ、ギターなど、民族音楽のフォルクローレに使われる楽器をはじめとして、5方向にネックの伸びた円形のギターや両面にネックのあるバイオリンなど、演奏しているところを見てみたいと思うような珍しい楽器が展示されていました。ここボリビアはペルーと並びフォルクローレがとても盛んで多くのライブハウスがあります。しかし、私はいつも一人旅なので、夜遅いライブはほとんど行けません。でも今夜は一緒に行ってくれるふみさんがいるので、エンタメ好きの私にとってライブが聞ける絶好のチャンスです。
夜8時、タクシーに乗りライブハウスの近くまで行ったはずが、タクシーの運転手が間違えたのかまったく別のところで降ろされてしまいました。そこで歩いている人に道を尋ねるのですが、きくひと、きくひと全く違う答えが返ってきます。メキシコではいつも3人にきいて多数決で進むのですが、ここでは5人にきけば5通りの返事が返されどうにもなりません。あっちに歩き、こっちに進み、でも結局お目当てのライブハウスは見つけられず、別のところに行きました。それにしてもタクシーの運転手といい、道行く人といい、そのいいかげんさにはあきれ果ててしまいました。
行ったライブハウスは有名でわかりやすいところにあったのですが、観光客価格でとても高かったです。音楽のレベルは低くはなかったのですが、そんなに満足できるというものではなく、ちょっと残念でした。
次の日、ふみさんは仕事に行き、私は世界一高地にあるチチカカ湖に浮かぶイスラ・デ・ソル(太陽の島)に1泊の予定で出かけました。ここでの見ものは沈む夕陽と昇る朝陽です。ラパスからバスで約4時間、途中船に乗り換え10分、またバスで30分、コパカバーナという街に行き、ここからまた船で1時間半、やっと島に着きました。しかし、ここからが大変、ホテルは山の頂近く。ホテルまでひたすら山道を40分登らなければなりません。チチカカ湖が標高3800メートルでそこからまだ300メートル位の上り坂。心臓が爆発しそうでしたが、エクアドルで5000メートルの山にも登ったのだから行けないはずはないとがんばりました。
ホテルに着いたときはもうへとへとになりましたが、夕陽を見るには頂上まで登らなければならないので、荷物を置いて少し休むとまた歩きました。山のてっぺんまで行くとちょうど陽が沈みかけていました。白い雲や、ピンクに色づいた雲、空はオレンジ、黄色、薄い緑、青とグラデーションになり、自然の作り出す色彩の多様さには驚くばかり。そしてそれが刻々と変化していくさまは名状しがたい美しさでした。その美しさに心奪われてしまい、気がついたときはすっかり暗くなってしまっていました。急いで下方の薄明かりを頼りに山を降り始めると、大きなバケツをもった小さな子供がそばを通りました。名前はマリアちゃん7歳で、ホテルの近くで飼っている黒豚にえさをやりに行く途中でした。彼女には兄弟が7人いて豚の世話は彼女の仕事だそうです。
この島の頂上付近には今でもアイマラ語を話すインディヘナが1000人ほど暮らし、急な段々畑でジャガイモや豆などを作り暮らしています。生活は貧しく主食はジャガイモで肉を口にすることもなかなかないということでしたが、そういえば彼女が運んできた豚のえさもジャガイモでした。
ラパスでは安い肉が山のように積み上げられ売られているのに、彼女たちはそんな肉さえ口にできずにジャガイモや豆ばかり食べているのかと、ちょっと胸が痛くなりました。ちょうど持っていたキャンデーをあげるとマリアちゃんは「グラシアス(ありがとう)」とうれしそうに帰っていきました。
翌朝は日の出を見ようと暗いうちから早起きして待機。少しづつ太陽があがってくると湖がきらきらとまるでスパンコールのように輝きだしました。この光のじゅうたんも少しづつ場所と大きさを変えてきらめきます。こちらの方もとても美しく見ほれてしまいました。
チチカカ湖畔には紀元前6000年ごろから文化が興り、このイスラ・デ・ソルはインカ帝国発祥の場所だといわれています。神殿跡などの遺跡もあり、ホテルから20分だというので行ってみようと、歩き出しました。しかし行けども行けども何もなく、30分ほど歩くとはるかかなた島の下のほうにそれらしいものが見えてきました。でもこの道を下るということはまたあがらなければならないということ。帰りの船の時間には到底間に合わないので行くのはやめました。それにしても20分で行けるなんてどこからそんな数字が出てくるのか全く理解できません。ホテルのおばさんはひょっとすると昔、短距離走の選手で今でも早く走れるとか、いやいやそんなことはないと思います。ものすごく太っていましたから。
イスラ・デ・ソルからラパスに帰り今度はウユニ塩湖に行くため夜行バスに乗りました。ボリビアのバスはひどいと聞いていましたが本当でした。座席がとてもせまく、身動きがとれないのです。おまけに乗客が大きな毛布を持ってバスを待っていたので、これは相当寒いのだろうと防寒着をいろいろ用意したのですが、バスは暖房が効きすぎ暑いといったらありません。用意した防寒着が邪魔になりさらに座席をせまくしてしまいました。おまけに道路もでこぼこ道で揺れがきつく、なかなか眠れず13時間の苦しい移動になりました。
ウユニ塩湖は標高3760メートル、面積は約1万2000平方キロメートル、20億トンの塩でできた湖で、乾季には水が干上がりまるで雪原のように白一色の世界ができるというところです。朝8時に着き、次の日出発の2泊3日のツアーに申し込み、その日はウユニの町でゆっくりすることにしました。ウユニは塩湖への基点になるため観光客は多いですが、町そのものは特別に見るところもない静かなところです。その日はひまそうにしているおじさんとよもやま話などをしながらのんびり過ごしました。
次の日の朝、フランス、米国、ドイツの若者とカナダの若い女性2人と私という6人のツアーでジープに乗り出発しました。塩湖はとても大きく限りなくベージュに近い白の大平原が広がっていました。あまりの広さにここが湖だとはちょっと信じられないくらいでした。この白い世界は一見、非常に幻想的な大雪原を思わせますが、異なっているのはここには潤いが全くないということでした。「延々と続く乾ききった白い大地」、というのがウユニ塩湖に対する私の印象でした。しかしこの白い大地に太陽が落ちるとき、湖面はオレンジ色に変わり、それは美しかったです。
この塩の大地を突っ切り湖のほとりにあるホテルに着きました。しかしツアー会社から予約が入っていなかったようで、ガイドが一軒、一軒、空きを尋ねて回るのです。その中の一軒に空きがあり泊まれることになりましたが、どうにもいいかげんな話です。
おまけにこのツアーに申し込むとき1泊はドミトリーだけれど、1泊は個室だと聞いていたにもかかわらず2泊ともドミトリーだというのです。さらに男女一緒でツアーのメンバーで一部屋だといわれました。私は頭にきて個室がないなら男女別のドミトリーにするよう要求しましたが、ガイドは他の女性たちにこのままでいいかと聞くのです。すると彼女たちはこのままでいいというのです。えー、考えられないと私が彼女たちを説得していると、米国人のサブロンが欧米では男女一緒のドミトリーが普通だというのです。そんな常識はもちろん知らなかったけれど、みんながいいなら仕方ないとあきらめました。
ツアー2日目はウユニ塩湖からチリ国境に向かいオジャグエ火山や4つのラグーナ(小さな湖)をまわりました。各ラグーナはそれぞれ成分が異なるため赤や緑、黄、青などいろとりどりで、フラミンゴがたくさん生息していました。これらはみんな砂漠をジープで走らないと行くことができないのですが、何十台ものジープが連なるように走るものですからその砂ぼこりのひどいことといったらありません。マスクをしているにもかかわらず鼻の中は茶色くなっています。そして風も強く標高が高いためとても寒くて長く一箇所にとどまる気がしません。
体中砂だらけで早く帰って熱いシャワーをしたいと思っていたのですが、宿には水シャワーしかないといわれ、またまたびっくり。この寒さで水シャワー、とんでもない。汚いけれど風邪をひくよりはましだとシャワーはあきらめました。それにしてもいままでいろいろなツアーに参加しましたが、このツアーは一番悲惨なツアーになり、そのとどめがその夜のできごとでした。
私以外の若者たち5人は英語での会話もはずみ、すっかり仲良くなっていました。私は次の朝4時半に起きなくてはならないので9時にはベッドに入りました。すると夜中の1時ごろ5人が部屋に帰ってきてワーワー、キャーキャー大騒ぎです。どうやらマリファナを吸ってお酒を飲んできたようです。ベッドをひとつに寄せ、みんなでかたまってふとんをかぶり乱キチ騒ぎです。私はもちろん目を覚ましてしまい、静かにするよう注意しましたが騒ぎは収まらず、十分に眠れませんでした。翌朝、誰かひとことでも何か私に言うかと思いましたが、誰一人悪びれた様子もなく何の挨拶もありませんでした。男女一緒のドミトリーなどもう金輪際こりごりです。
もしウユニ塩湖にはバックパッカーが利用するようなこんな宿泊施設しかないのであれば、子供づれの家族やお年寄りでは到底無理です。そこでラパスに帰ってから調べてみました。するとラパスで申し込めば、値段は高くなりますが、小さなジープではなくもっと楽な車をチャーターして湖の周りにある民宿で泊まるという手もあるそうですが、現地でツアーを探すと私の参加したようなものしかないということでした。
ウユニ塩湖の中には塩でできたホテルがあり、見学のコースに入っていますが、ツアーとなるとこのホテルは使われません。その上ホテルと呼べるのはここだけであとは私が泊まったドミトリーと民宿だけだそうです。ウユニ塩湖という大観光地でこんな宿泊環境だというのはちょっと不思議です。おまけにラパス、ウユニ間の交通手段はあのひどいバスしかないと思いますし……。何も豪華ホテルが必要だとは思いませんが、ウユニに来たいと思っている人がだれでもきやすくなる環境をつくれないものかと思ってしまいました。