アジアのごはん(23) ダージリンと紅茶

森下ヒバリ

インドの北部の町、ダージリンがお気に入りである。ダージリンは紅茶で有名な地域だが、その名前の知名度の割には、じっさいに訪れた人は少ないのではないかと思う。もちろんインド人にとっては憧れの避暑地である。イギリス植民地時代のイギリス人の避暑地であったことからコロニアルな洗練された建物が軒を連ねる美しい町を想像すると、ちょっと違う。もちろん、植民地時代からのシックな建物も多いが、町はやはりインドであり、車も多くてゴミゴミしているところも多い。けれども市場に行くと、インド文化と少数民族の文化が混在していてとても楽しい。

今回のインドの旅は、まずコルカタからダージリンメールという名の寝台急行でダージリンのふもとの町NJPに行き、そこからまずは東のブータン国境へ。そこから西のカリンポン、そしてシッキム州と回り、シッキムのペヤマンツェから南下してダージリンへとたどり着いた。

このあたりの山の標高は2000メートル程度だが、日本の山々のようになだらかな山ではなく、かなりの勾配の山が連なっている状態である。さしずめ、緑のたけのこが一面に生えているような感じかしらん。つまり、移動する場合、たけのこをひとつ、ぐるぐる回りながら降りていって、地面にたどり着くとまたふたたび次のたけのこを上って……という具合になるので、一つの谷を越えていくのが大変なのである。しかも、たけのこの表面にはみっしりと木が生え、けっこう段々畑も刻まれている。

ダージリンもそのたけのこのひとつの上にある町である。ペヤマンツェのあたりは野菜や穀物の段々畑だが、ダージリンたけのこに入ると、いきなりお茶畑ばかりになった。ものすごい急勾配の道をジープはがんがん登っていくが、窓の外にはとんでもない急斜面の茶畑が続く。茶摘みをしていてもふと気を許したら畑から転げ落ちそうなほどである。ジープも気を許すと転げ落ちそうであるが、なんとか尾根近くのダージリンの町に着くことが出来た。あの急勾配の畑を霧が這い登って、おいしい紅茶が生まれるのだな、と身をもって納得。

ダージリン・シッキム地域にはチベット人が多いことから、チベット料理の軽食堂が多くありどこでもチベット餃子のモモを食べることが出来る。このモモこそが、カレー続きのインド旅行の救世主。モモを食べれば元気が出た。ダージリンの町で食べたモモが一番おいしかった。

おいしいといえば、ダージリン紅茶。ダージリンで買った紅茶を飲んでから、すっかり紅茶党である。もちろん紅茶は好きだったが、今の好きと、以前の好きには格段の差がある。食事のあとのお茶も紅茶、三時のお茶も紅茶。ふーっと疲れたときに紅茶。ダージリン紅茶をポットに入れて熱湯をそそぎ、ティーコゼーをかぶせて待つ。カップに注ぐとほのかに甘い、高貴なかおり。うっとり。口の中に広がるさわやかな渋みと深い味。グレードの高い紅茶の場合は、おいしいばかりでなく三口目ぐらいでぽーっとして軽く酔ったようになる。お茶酔い、とでもいう状態でちょっと恍惚感さえある。

南インドでおなじく紅茶の産地であるニルギリ高原に行ったときには、町で手に入る紅茶はたいしたものではなかった。品質のいい紅茶はすぐに大都市に送られていたためである。産地だから、新鮮でいいものが手に入るとも限らないのだ。しかし、ダージリンには優良な茶園がたくさんあるうえ、ダージリン産の紅茶はブレンドされるよりも茶園の特色を持ったままの茶葉が尊重される。買い付けに国内外から人がやってくるし、おみやげに求める外国人旅行者も多いので、町でいい紅茶が簡単に買えるのである。

紅茶といえば、日本ではリプトン、フォーション、トワイニングだとかの紅茶パッカーと呼ばれる会社のものがほとんどである。会社のブレンドによる差はあるが、トワイニングのダージリンというブランドの場合はトワイニングのブレンダーが、その年のダージリン産紅茶の味を調べ、味や香りのバランスを考えていろいろな茶園の紅茶をブレンドし、さらに輸出国の水質なども考慮して味を均一にして缶に詰めて出荷する。

しかし、ダージリン産紅茶は、香りが高く味もいいが水色はうすめ、という共通点はあるものの、その年の茶葉の出来、各茶園によってそれぞれの味と強い個性を持っている。もちろん、同じ茶園でも特級からふつうまでさまざまなレベルのお茶がある。ダージリンにやってくると、均一化された、ブレンドされたものでない、それぞれの茶園の特色のあるお茶を手に入れることができるのだ。

町でいちばんのナトムルスという店でいろいろなダージリン紅茶を試飲させてもらいながら何種類かを買ってみた。店で飲んで、うん、まあまあだな、と思った紅茶を買うのだが、日本に帰って自分で入れて飲んで見ると、おもわずため息が出るほどおいしい。

タイのチャイナタウンでウーロン茶を買うときもそう思うのだが、日本の水はほんとうにすばらしい。産地の水がいちばん合っている、というのが通説だが、そうは思わない。日本の水で淹れると、ほんとうにお茶はおいしく入る。だから、産地でほどほどの味でも、これは日本で飲むとすばらしいな、というのが少しずつ分かってくる。

すべてオーガニックのマカイバリ農園の紅茶のティーバックがあったので買ってインドで飲んで見ると、すぐに苦味だけが出て、味のバランスがとても悪く飲めたものではなかった。これは失敗、なんでこんな味のバランスの悪いものを売っているのかとふしぎに思ったが、日本に戻って淹れてみると、とてもおいしいではないか。しまった、好きな味じゃないと思ってほとんどタイで人に上げちゃった〜。

ちなみに、お茶にはミネラルの多い硬水である山や鉱泉などのミネラルウォーターは合わないので、水道水を浄水器に通してろ過したものをその場で沸かして使ってください。保温ポットのお湯では紅茶はおいしく入りません。

ダージリンの地元の人が飲んでいるのはダージリンのストレートティーのほか、煮出しミルク紅茶のチャイか、チベット系の人ならばバター茶である。しかし、バター茶も本来ならプーアル茶を使って塩味でまとめるものなのに、紅茶を使ったり、プーアル茶の場合でもミルクに砂糖を入れたり、というふうに変化していることが多かった。紅茶がかんたんに手に入ること、紅茶には砂糖が合うことなどが影響しているのだろうか。チベットの伝統的なお茶文化が揺らいでいる場所でもあった。またもう一度行って確かめてみたいことがたくさんある町である。

じつはこの五月の連休明けにひさしぶりの著書が出る。タイトルは『タイのお茶、アジアのお茶』(ビレッジプレス刊)。ここ数年、お茶好きが高じて、お茶にかかわる地域の旅ばかりしてきた。ダージリンのお茶の話も淹れたかったけれど、そうしていると、いつまでたっても本が出ないので、去年のお茶の旅までのお話である。旅先にそこでしかないお茶や、体験したことのないタイプのお茶(漬物茶とか燻製茶とか)などがあると楽しい。おいしいとなお嬉しい。旅先のお茶の時間は格別。お茶にまつわる人々の暮らしも興味が尽きない……。

朝焼けにうす桃色に染まっていくヒマラヤ、カンチェンジェンガを静かに眺めながら飲んだ朝の紅茶。ダージリンでいちばんうつくしい一瞬を、いま、紅茶の香りでゆっくりと思い出しています。こんなふうに、アジアの各地で一緒にお茶を飲んでいるような気になってもらえたらいいな、と思いながら書いたお茶と旅の本です。