ドバイでなかなか飛行機が飛ばない。なんでも軍事作戦を実施しているらしい。追い詰められた「イスラム国」への最後の作戦なのだろうか。アルビル国際空港に到着したのは、一時間ほど遅れてだった。滑走路には、ちょうど米軍の輸送機が離陸準備をしており、我々の着陸と入れ替わりで飛んで行った。この飛行場は、民間の飛行場だったのに、「イスラム国」掃討作戦がはじまってからすっかり軍の飛行場のようになっている。任務を終えた戦闘機も停泊しているのが見える。
もう9月も終わりにちかづいているのに、まだまだ40℃近い暑さだ。大使館から電話が入る。9月25日に控えた「クルド独立を問う」国民投票。「前後を含め5日間ほど休みになるかもしれない。お店も閉まってしまうことも考えられるので、食料を備蓄しておいたほうがいいですよ」とのアドバイスをいただいた。早速、スーパーマーケットに行き、カップラーメンとか、缶づめを大量に買い込む。半分は事務所に、残りは住居に運び込んだ。ローカルスタッフは、普段はこてこてのクルドの家庭料理を食べているから、インスタント食品は珍しく、「これは緊急時なの?」と今すぐにでも食べたい様子。
イラク政府は、もとよりトルコやイランは強く反対し、力ずくでも阻止するという。アメリカもこの時期に国民投票を行うのはふさわしくないとした。本当に、国民投票を支持しているのはイスラエルだけ。そんな状況で国民投票は延期せざるを得ないだろうというのがメディアの論調だった。
町中を歩くと、クルドの国旗だらけ。9月17日は公園で集会があるという。クルドの民族衣装や、国旗をデザインした衣装に身を包み、楽しそうに集まってくる。一万人以上はいただろう。政治的なアピールとい言うよりは、ミュージックフェスの雰囲気。次々と歌手がステージで歌って踊る。この盛り上がりは、阻止できないだろう。
中央政府に言われたからといって、国民投票を中止したらバルザーニ・クルド自治区大統領の面目が丸つぶれだ。だからといって国民投票をやったら、今度は国際社会から厳しい仕打ちをくらう。難しい局面に追い込められた。先ほどから上空を飛び回って、サービスをしているクルド警察やクルド軍のヘリが事故でも起こし、落ちてくれば、延期する口実になるかもしれない。もしかして、すでにゴルゴ13が雇われているかもしれない。
バルーザーニ大統領は各地のサッカースタジアムで遊説して回り、9月23日、アルビルのフットボールスタジアムで最後の演説を行った。4万人は集まったという。スタジアムの収容人数は、サッカーのためかと思いきや、こういう使い方があるんだ。
「私たちは、バグダッド政府と、友好的に分かれるときが来た。国民投票は、私の手の中から離れ、政治ではなく、すべては、あなたたちクルドの人民にゆだねられたのだ。」と締めくくった。
殆どのクルド人は、国民投票を楽しんだ。国際社会がピリピリしていることなどあまり理解していなかったと思う。クルドが独立することは99%がYesだろう。ただこの時期がどうなのかというと慎重派もかなりいた。乱暴な推測をすれば半分はこの時期に独立うんぬんは避けたいと思っている。
クルドは、特にイラク戦争後は、自治というのを謳歌していた。バグダッドがなかなか治安が良くならず、挙句アンバールやモスルは、「イスラム国」の手に落ちてしまった。そんな中で、クルド自治区だけが治安を安定させ、経済発展をつづけた。
しかし、2014年の初めには、クルド自治政府が、中央政府を無視して石油を独自に取引を行っていたことに、中央政府が怒り、国家予算の17%をクルド自治政府に割り当てるという約束を差し押さえてしまったのである。その結果、公務員の給与は25%から75%のカット。予算がもらえないなら、自分たちで石油収入を頼りに独立国家を運営する!というわけだ。
しかし、そもそも、石油で稼いだお金はどこに行ったのか? バルザーニ大統領の独裁政権に疑問をいだいているクルド人も多いのだ。2005年から任期8年ですでに有効期限が切れているバルザーニ大統領。選挙が行われていないのも問題だ。
「俺は、国民投票に行かない」といっていたドライバー。選挙を見たいので、車を出して投票所に連れていってもらった。みんな、お祭り騒ぎ。楽しそうなので、急遽、その場で投票してしまった。「君は反対だったから、Noに投票したんだね?」と聞くと、「いや、Yesと書いてしまった」という。
もう一人、投票にはいかないといっていた、ヤジディ教徒の青年。もともと彼がいたシンジャールは、中央政府の支配地域だったが、「イスラム国」の攻撃で避難生活を送っている。クルド政府がヤジディ教徒の人権を守る気があるのか疑問だという。投票に行ったの? と聞くと、「投票所を見に行ったんだ。そしたら、友達が、投票しろて言うから、投票してしまった」自分の名前は、その投票所にはなかったが、誰かの代わりということでと評してしまったらしい。「で、Noに?」「いやYesと書いてしまった」
シリア難民も何人かは投票しているらしい。モスルから避難している国内避難民も投票に行っている。投票に来ない人の分をその場で何回かなりすまし投票をした人もいるらしい。こういうのがちゃんと無効票に数えられていればいいのだが。かくしてお祭りは終わり、72%の投票率で、賛成が92%という結果だった。
大使館から電話。
「イラク中央政府が、金曜日から飛行場を閉鎖するといっています。帰れなくなるかもしれませんので早く出てください」
急遽、ヨルダンに避難し日本に帰ることになってしまった。カーニバルは終わりをつげた。
飛行場につく。クルドの国旗がでかでかと飾られている。思ったほど人が殺到しているわけでもなかった。チェックインを終えてフライトをまつ。ぺシュメルガ(クルド軍)を称える歌がながれている。勢いのある歌のはずがなぜか物悲しく響く。滑走路には、米軍機が着陸し、そして入れ替わりで、私の飛行機が離陸した。
さらば、クルディスタン。