旧暦のお正月を過ぎるころから日差しはずいぶんと明るくなって春が近づくうれしさを感じているのに、3月11日に向かって日ごとに息苦しさが増していく。冬は行っていない、でも春はまだ少し遠い。東北では3月初旬はまだどっちつかずの季節で、その宙ぶらりんな季節感があの日の記憶を呼び起こす。
この原稿を書いている2月27日夜、夕方から降り始めたみぞれまじりの雪はまだやんでいない。あの日もこうだった。信じがたいほど長く激しく何度も揺らされたあと、電気のつかない部屋でラジオをつけて津波の襲来を知り、夜になってカーテンを開けると庭はいつのまにか雪で真っ白に染まっているのだった。その光景がありありと浮かんでくる。人をとりまく自然がどこまでも不意をついてくるようだった。
7年がたち、被災地でさえ記憶の風化がいわれるようになる中で、じぶんの中にまだこういう感覚が生々しく残っていることに正直驚いてしまう。私は家を流されることも、身内を失うこともなかったのに。
あまり報道されることはなかったけれど、仙台の沿岸部も大津波でかなりの被害を受け900人以上が命を落とした。記憶がよみがえってくるのは、震災後、沿岸部に通って、子どものころから親しんできた浜の風景が根こそぎさらわれているのを見続けたからなのだろうか。被災した人たちに会って、津波から逃げる話や立ちゆかない自宅の再建の話を聞いてきたからだろうか。震災後、私は沿岸部の集落を訪ねて60人をこえる方たちから話を聞いてきた。いつのまにか、その物語は私の中に入り込み私の物語になっているのかもしれないと思ったりする。
1月末、久しぶりに沿岸部に出かけた。出かけるといっても、東に向かって車でわずか15分ほど。ぽーんと開けた水田を抜けると、その先は砂浜と青い海…というのがこのエリアだったのに、ほこりっぽい県道を盛んに大型トラックが行き来し、その先には海ではなくて、真新しいコンクリートの防潮堤が横たわる。
仙台市南端の藤塚という地域には避難の丘ができていた。高さは10メートルほど。階段を登りつめて見下ろし、思わずため息が出る。原野のような広大な土地のあちこちに土が盛られ、パワーシャベルが絶え間なく動いている。沿岸部を南北に貫く県道のかさ上げ工事が行われているのだ。川の対岸、大きな被害を受けた閖上(ゆりあげ)にも何基ものクレーンが立ち並んでいるのが見え、工事の音が響いてくる。ここは、巨大土木プロジェクトの現場なのだ。私にはもう、いつ終わるのか、見当もつかない。
集落があり、田んぼや畑が広がり、野菜をつくる暮らしがあったことは、もはやかき消され忘れ去られていくのかもしれない、と不安になる。
被災した人たちの暮らしはさまざまだ。
藤塚で暮らしてきたWさんは、最初の避難所から6回移転を繰り返し、2年前に自宅を建てて落ち着いた。その間、大病もされた。いまは、庭に小さな畑をつくり季節季節の野菜を夫婦で育てるのを楽しみにし、毎日かつて暮らした場所を見に行くという。一方で妻のM子さんは、近所とのつきあいの薄さを心配している。
仙台市の沿岸北部に住まいのあったWさんは、当初、家を修理して住み続けてよいという市の通達でご主人みずから家を直したのに、あとになって市の判断が一転、地区は災害危険区域となり、泣く泣く移転を余儀なくされた。家を建ててようやく平穏な暮らしが戻ってくると、今度は妻のM子さんが2度も病に倒れた。何年にもわたるストレスと疲れのせいだろう。
いつか話が避難に及んだとき、突然M子さんの目に涙があふれ指先が震え出したことがあった。避難の際、車が津波に追いつかれて浮き上がり、運よく近くの家の屋根に乗りかかるかたちでとまり、生まれたばかりの孫を抱いて2階に逃げ延び命を拾った。その恐怖がよみがえってくるのだ。いつもは、手料理を用意してくださっておだやかに話しをされる方だけに、PTSDのつらさを目の当たりにした思いだった。
仙台の沿岸部で最も大きな集落、荒浜で代々漁業を営んできた80代のSさんと娘のY子さんは、家を流されたあと、無事だった船を頼りに半年後には漁を再開した。会うたび、「津波のあとは豊漁続きだ」と話し、「俺は幸せな男だよ、海はよくしてくれる」とまでいう。そのことばに、海に生きてきた人の自然とのつきあいを教えられてきた。
大津波のあと、漁師たちの再開は早かった。船を失った人も中古船を買って、秋の鮭漁に沖に出ていった。それから6年半。Y子さんがいう。「でも、みんな疲れが出てるの。病気したり、入院したり」
仙台市は震災から5年後に復興事業局を廃止した。多くの人が仮設住宅から再建した自宅や復興住宅に移り住み、復興は一段落したという判断もあるだろう。でも、それぞれの事情はさまざまで、家を建て直したからといって生活がもとに戻ったとはいえないのは、話をうかがっていればよくわかる。事情は被災直後よりばらけ、誰もが7つ歳をとり、簡単には口に出せない思いと疲れを胸の奥に深く沈めている。そうして、またあの日がめぐってくる。