水曜日の創作クラス(1)

植松眞人

そのクラスに参加することになったのは、地元の有志たちが集まるボランティア活動で、来てみないかと誘われたからだった。
 引っ越して間もない私にとって、この町は不自由な町だった。牧歌的とも言えるような南部とは違い、大きな山脈を越えて数百キロという距離は、まるで違う土地柄を育てるには充分で、越してきた翌日には町全体に手強さを感じてしまったのだった。
 引っかかるのはほんの些細なことだった。並んでいる家々の屋根の仕様が見慣れたものよりも少し大きい。高速道路の料金所で、係員から手渡されるお釣りと領収証の順番が違う。子どもの小学校編入手続きの際の副校長が妙に腰が低い。
 そんな小さなことが引っ越して以来、妙に気になってしまい自分たち家族はこの町とは合わないのではないか、という不安が徐々に大きくなっていたのだ。
 だからこそ、私はあえてそんな些細なことなど平気だと宣言するつもりで、隣人に教えられた町内の週一回の清掃ボランティアに参加したのだ。
 驚いたのは妻だった。これまで住んでいた町では、家の中の掃除もしたことがなかったし、家の外の掃除など想像したこともなかった男が、自ら志願して、地域の清掃ボランティアをやろうと言うのだ。それは驚かないほうがどうかしている。
「最初から無理してると続かないわよ」
 そう妻に言われた時、私は言い返した。
「最初に無理しておかないと、途中でなんとかするなんて無理だよ」
 かくして、私は毎週土曜日の朝十時からの清掃ボランティアに参加することになった。集まってくるのは毎回同じ顔ぶれが五人ほど。そこに、不定期で参加する数名が出たり入ったりして、だいたい八人から十人程度が、私の家の前にあるベンチが一つあるだけの小さな公園に集まり、ビニール袋を手に目に付いたゴミを小一時間ほど集めるのであった。
 作業自体は簡単だった。一切のゴミを残さないのだ、というほど必死にもならず、ただただ目に付いたゴミを集めるだけ。みんなでこの一週間の出来事を話しながら、町内を一周するわけだ。
 毎回揃う五人の顔ぶれは五十代の男性が一人、四十代が私、その他は五十代の女性と三十代の女性が二名だった。
 三十代の女性二名と五十代の女性一名は、女三人寄ればという慣用句通りのかしましさでボランティア全体を明るくしてくれる。その明るく賑やかな船に乗りつつ、黙々とゴミ拾いを続けるのが私と五十代の男性なのだった。
 妻の予想に反して、そして、私の予想にも反して、勢い込んで始めた清掃ボランティアは意外にも楽しかった。女性陣たちの賑やかさはこちらに、同じような賑やかさを強要するものではなかったし、五十代の男性も黙々と作業はするが暗い性格ということでもなかった。時には冗談も飛ばし、ひとしきり話したらまた黙々と作業をしての繰り返しで、その緩急の付け方が私と似ていたのかもしれない。私と五十代の男性は三回目のボランティア清掃の後、近所のスターバックスで一緒にコーヒーを飲むようになった。
 その頃の我が家は二人目の子どもが生まれたばかりだった。家の中が三歳の長女と生まれたばかりの長男をなんとかいなそうとする妻とでずっと微熱を発しているかのようだった。そして、会社に行けば行ったで、拠点間を大きく移動してきたばかりで、不慣れな人間関係と、不慣れな商習慣に戸惑ってばかりだった。
 五十代の男性は橋本という名前で、私が住んでいるエリアに越してきて七年だと自己紹介した。私たち家族と同じように、北部から引っ越してきたのだという。
 ボランティア清掃のあと、コーヒーショップに初めて行った日に私が自己紹介すると、ああ、似たような仕事をしているんですね、と橋本は人なつっこい笑顔を浮かべた。
 聞いてみると、確かに会社が事業を展開している業界は似ているのだが、事業規模はまるで違っていて、橋本の会社が交渉の席でテーブルを叩けば、私の会社はその振動だけで吹き飛びそうなくらいに大きかった。
 それでも、橋本は自分の会社と似たような事業をしている私の会社を対等に論じて、私たちの仕事も、同じような苦労と喜びに彩られていると疑うことなく話すのだった。
 私はそんな橋本との会話にやられたのだった。なんのてらいもなく、声をかければ答えてくれる。こちらが黙っていれば、なにげない会話のきっかけをくれる。私は、橋本とのスターバックスで会話することを楽しみにボランティア清掃に出かけるようになった。「もう、だいぶこっちでの生活には慣れましたか」
 ある日の清掃の後、いつものようにスターバックスでコーヒーを飲んでいると、橋本が私に話しかけた。
「そうですね。なんとかやれている気がします」
「お子さんがまだ小さいと大変でしょう」
「ただ、この町は保育園が多いので、越してきてすぐに子どもたちを預けることが出来たんです。だから、妻は向こうにいたころよりも余裕が出来て、明るくなりました」
「そうですか。それはよかった」
 橋本はそう言うと、少し私との間合いを詰めて、その分、声を落としてこう言った。
「私と一緒に、公民館のクラスに参加しませんか」
 公民館、という言葉だけが宙に浮いたように聞こえて、私は「え?」と聞き返した。橋本はもう一度、同じことを言い、それでも私は橋本の言葉にいままで感じたことがなかったような不安な思いを持ってしまったのだった。
「公民館ですか?」
「そうです、公民館です」
「クラスというのは?」
「公民館ではいろんなクラスがあるんですよ」
「クラスというのは文化講座のようなものが開かれているということですか?」
「そうです。私が参加しているのは創作のクラスなんです」
 創作という言葉に、私は自分の出身大学にあった文学部の創作専攻を思い出した。彼らは小説を書くために日夜原稿用紙に向かい続けていた。
「小説とか、そういうものを書くためのクラスなんですか?」
 私が聞くと、橋本は一瞬私の顔を見つめた後、声を出して笑った。
「いやいや、小説ではありません。私を見てくださいよ、小説なんて書くように見えますか。違うんです」
 橋本はそう言うと、しばらく笑い続けた。私は橋本が笑っている間、どうしたらいいのか困惑していた。橋本は私が困惑しているのを知りつつ、笑いが止められないといったふうで、しばらく私に両手を合わせて謝りながらも笑い続けた。よほど、自分が小説を書いているのと思われたことが意外だったようだ。しかし、橋本自身は物静かで知的な思考が表情にも表れるような風体なので、趣味で小説を書いているのだ、とか、実は詩人なのだ、と言われても、安易に信じてしまいそうな人物ではあったのだ。
「小説ではありませんが、とりあえず創作する、ということでは同じかもしれませんね。でも、もっとハードルが低くて、もっと気軽に始められる創作なんです」
 私は橋本の言葉を待った。
「クラスにいつも集まるのは、だいたい三名から五名くらい。先生はいないんです。毎週水曜日の夕方、集まれる人が集まって、みんなで自分が作ったものを持ち寄って感想を述べ合う。そんな気軽なクラスです」
 そのクラスはなんのために開かれているのだろう、と私は思った。そして、そう思っていることが伝わったのだろう。橋本は話を続けた。
「絵を持ってくる人もいます。俳句を持ってくる人もいます。なかには、家族を役者に見立ててホームビデオで短編映画を撮ってくる人もいました」
 そこまで話すと、橋本はその短編映画の内容を思い出したのか、少し微笑んだ。
「最初にこのクラスが開かれたのは六年前だそうです。たまたま水曜日の夜、公民館にやってきた初老の男性が『絵の教室ってありますか』と聞いたそうなんです。受付をやっていた女性があるにはあるが今日はやっていませんと答えると、男性は『そうですか』ととても残念そうな顔をしたそうです。なんだか少し可哀想なくらいに。そうしたら、奇跡的というかなんというか、いつも公民館で絵を習っている男性と同い年くらいの女性が通りかかったそうなんです。事情を聞いた女性が絵を拝見したいと言い出して、空いていた教室を開放してあげたらしいのです。このクラスはそれから毎週開催されているのです」
「六年間、毎週ですか」
「はい、毎週です」
 その週から、私は橋本と一緒にそのクラスに顔を出すことになった。(つづく)