なよたけのさいごのことばは「竹! 竹!」
なよたけ! おまえは何を言ってるんだ!
何を! お月さまが迎えに来るなんて、
そんなことがあるもんか! おまえは、
疲れてるだけなんだ。 からだをおやすめ!
高畑さんが言う、「姫の犯した罪と罰」は、
わらべ歌のなかから聞こえる。 でも、
ぼくらには聞こえないね、わたしたち。
妖怪は引き継がれる、光源氏(源氏物語)へ、
かぐや姫も妖怪変化、その終り方――
箕(み)をあおり、姫をかなたへ飛ばし、
手足を切って籠に編む。 「風立ちぬ」の歌も、
世界が一冊の神話たりえているために、
世界が一冊の神話たりえている限り、
ぼくら、わたしたちの信頼のなかで生きる。
もう、かぐや姫はいない。 犠牲者のあと、
もののけ姫もいない。 おしらさまも、
おりひめも、火のなかから水晶の叫び。
鼠の浄土で逢おう、ぼくら、わたしたち。
そんなにむずかしいことじゃない、逢おう。
(現代詩って何だろうな。どう書けばよいのか。「何を今更」じゃない、わからなくて日歿の時、井戸の涸渇だ。「なよたけ」は加藤道夫『なよたけ』でも、知らない人、多いし、そういう情報、要らないね。「竹! 竹!」がほしいのに、朔太郎の「竹」がじゃまをするかな。そちら 近代で、こちら 月がお迎えにくる時代よ。加藤は折口の『死者の書』を軍装から手放さず、ついに持ち携えて帰国した。そんなこともいま、要らないね。かぐや姫は竹だから、手足を折られ、皮は「竹籠に」と細工されるのさ。哲学者デリダの詩の定義に「大省略」というのがある。すべては大省略よ。なんで「姫の犯した罪と罰」がここに出てくるの? 大省略だから、説明は要らない。アニメ『かぐや姫』のキャッチコピーだった。いや、『もののけ姫』だったかも。)