杉田工事舎
二十代の時
アルバイトで働いていた
二年位の期間
私のアルバイト経験の中でも
よくこの時期の事を思い出す
ちょうど道に迷っていた時期でもあった
親方は舞踏家杉田丈作さん
父笠井叡の弟子でもある
人がいないと言う事を母から聞き
ちょうど何もやる事もなく
時間も余っていたので
ちょっと働いてみようと思い
働きはじめたのがキッカケ
杉田工事舎のメンバーは
親方の杉田さん
兄貴的存在の青江さん
そして変わり者の武井くん
そして自分の四人体制
朝7時半くらいにウチの近所の
東八道路のクリーニング店の前で待ち合わせ
そこに車で迎えに来てもらい現場へ向かう
車中ではよくいろいろな話をした
舞踏の事やくだらない下ネタ話まで
舞踏の事は当時まだまったく興味がなかったので
その時はそんな世界もあるんだ程度で聞いていた
そしてよく父の事や学生運動の話もしてくれた事を思い出す
車中ではいつもラジオがかかっていた
そして必ずAM放送であった
私はいつもFM放送にしてほしいと
ひそかにいつも思っていた
最初は師匠の息子という事でちょっと
気を使ってくれていた気もする
でもすぐに親方と従業員の関係になり
私としてはそれでよかったと思った
給料日には国立に集まって
よく飲み会をした
飲み会の終盤になると
決まって杉田さんはからみ酒になる
「お前は親父を超えなきゃいけないんだよ」(杉田さん)
「はあ そうですか・・・・!」(笠井)
「おい 聞いてんのかお前」((杉田さん)
「ああはい」(笠井)
「ああはい? 分かってんのかお前」(杉田さん)
「・・・・・・・・・・・・」(笠井)
「おい 聞いてんのかお前」(杉田さん)
「いい加減しつけーんだよ」(笠井)
「なんだとこの野郎」(杉田さん)
そして飲み会が終わる
そして翌日気まずい気持ちでクリーニング店の前で待つ
でも決まって杉田さんはその事を忘れている
そしてその事についていつも何も触れることはなかった
踊りを始めていなかった私には
親父を越えろと言われても
正直よく理解できていなかった
杉田工事舎を退社して二十年近く
この歳になり杉田さんがなにを
言いたかったのかちょっと分かる気がする
杉田さんは私が踊りをするとを分かっていたのかもしない
いやいや
ただの酔っ払いだろう
でもあの時から
きっと踊りの道は始まっていたのかもしれない
そう考えるとなにか不思議な感じだ