別腸日記 (30)酒席文化研究──国際学術会議における

新井卓

 三年前、人類学者の中原聖乃さんのお誘いで国立民族博物館の共同研究「放射線影響をめぐる「当事者性」に関する学際的研究」のチームに入れていただいたのを契機に、年に一、二度、国際学会なるものに顔を出すようになった。初めは研究者の一群にまぎれた風体の怪しいアーティストが、彼/彼女ら目にどう映るか甚だ不安だったのが、各国の研究者たちの最先端の知見に触れ、また自分の拙い発表にも思いがけない反応をいただく楽しさに、いまでは毎回、うきうきしながら渡航する身体になってしまった。科学史、環境史や人類学の発表を興味の向くまま渡り歩くのは刺激的で、なぜかとても快楽的である。

 2017年、天津ではじめて参加した東アジア環境史学会で、農業史研究者の藤原辰史さんにお会いした。藤原さんは『ナチスのキッチン―「食べること」の環境史』(水声社、2016)『トラクターの世界史―人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』(中公新書、2017年)『戦争と農業』(集英社インターナショナル、2017)、『給食の歴史』(岩波新書、2018)など農業や食の歴史を通して、世界の見方が逆転するような斬新な視点を提示しつづける気鋭の学者である。「自由と平和のための京大有志の会」発起人で、活動家の顔も持つ彼の佇まいはどこまでもやさしく、お会いするたびその言葉と精神のやわらかさに救われるのは、きっとわたしだけではないだろう。

 開南大学で会議と夕食が終わると、毎晩、飲みものと軽いつまみを買い込んでは──ホコリの積もった「長城ワイン」を連夜、二瓶求める日本人に、売店の老夫婦はあきれ笑いを浮かべて応じてくれた──藤原さん、中原さん、政治学者の西佳代さんを(半ば無理矢理に)お誘いして、延々と語り合った天津の一週間は、いま思えば夢のような時間だった。自分が何を話したかまったく記憶にないが(記憶にあったとしても、でたらめなことを口走っていたに違いないから特に思い出したくはない)その後藤原さんには研究会に招いていただいたり、逆にわたしのスタジオで開催していたサロンで講演していただいたりと、今もご縁がつながっているのが心底嬉しい。

 つい二週間前、8月17日から23日まで、今度は「東アジア国際科学史学会」に招かれた。韓国は全州の全北(チョンブク)大学で、パネル・ディスカッションと小さな展覧会をひらく機会を得たのは、おなじく天津で出会った科学史家・ムーン・マニョン(Moon Manyong)さんの厚意によるものだった。ムーンさんは、科学の背後にある民族主義を、日本占領下に旧満州で行われた蝶の研究から鮮やかに浮かびあがらせた学者である。ムーンさんとはやはり天津で、白酒(パイチュウ)の乾杯コンテストをしてお近づきになったことを、いまこれを書いていて思いだした。おそらく慣れない場の緊張を解きほぐすためいつも以上に飲んでいたのだと思うが、その結果として、常に好ましい状況が生みだされるわけである。

 そのような経緯で、今回もスーツケースに一升瓶を仕込んで、意気揚々とソウルへ飛んだ。金浦空港からバスに乗り継ぎ、全州へ──台風10号の名残の豪雨で霞む全州に到着すると、街のそこかしこに「NO・アベ」の反旗が翻っている。旗は安倍晋三の笑顔の顔写真入りで、どうせならばもっと醜怪な写真を選べばいいのに、などと思いながらも居心地が悪い。ホテルにチェックインして荷を解きながら、どれほど政治のありかたを憎んでいても、結局のところ国家から〈わたし〉を完全に切り離すことなどできないのだ、とぼんやりと考えていた。自分の身体から体臭のように漂う国籍や民族のにおいに、ひとりの異邦人として見知らぬ街に立ったとき、はじめて気づかされるのだ。

 展覧会を設営し、初日に発表を終えて、さあ、これで心置きなく飲めるぞ!と思ったのはわたしだけだったらしい。初日に「わたしたちは飲まなくてはならない」と神妙な表情で肩を叩いてくれた当のムーンさんは、ホスト側の全北大学の教授だったから飲むどころではなく、毎日忙しく奔走する姿を遠くから見守るほかなかった。やがて藤原さんら京大の研究者たちが到着し(不覚にも直前までいらっしゃることを知らなかったので、余計に嬉しかった)、わたしも若い研究者たちに少し顔見知りが増えたころ、ようやくその時がきた。ムーンさんを筆頭に10人ほどの人々が、雨が降りしきる市場を通って、気楽な大部屋の海鮮居酒屋に落ち着いた。満を持して日本から密輸した「神亀」の一升瓶を食卓に供えると、あたりの酔っ払いたちの視線があつまり、それはなんの酒だ、と訊かれた(たぶん)。「イルボンスリムニダ(日本酒です)」ネットで検索した韓国語を棒読みすると、ジンロの空き瓶だらけのテーブルに片ひじをついたオジサンが、わたしの頭の先からつま先まで、ジロリ、と一瞥した。一杯いかがです? というと、とんでもない! という様子。特段他意はなさそうだったが、劣化した政治のために、いらぬ想像をしてしまうのが煩わしい。

 コチュジャンをこれでもかとまぶしたイカ焼き、プルコギや豚足の煮込みと格闘していると、ムーンさんが「そろそろ本当の酒を飲みましょう」と言った。彼は神妙な表情でビールをグラスに八分目まで入れ、おちょこに並々と注いだ焼酎を加えた。それからおもむろにステンレスのスプーンを取って、勢いよくグラスの底に突っ込んだ。すると一気に泡がたつので、それがこぼれないうちに慌てて飲み干す、という代物であった。「爆弾酒」というらしく、どことなく軍隊の匂いがするキナ臭い酒だな、と思いつつ、その儀式めいた飲みものに向きあい、襟を正していただいた。それが何杯、わたしたちの喉を通過したかは定かではないが、翌朝目覚めると、不思議と二日酔いはなかった。爆弾酒は宴会終盤の記憶とともに爆裂し、どこか異次元の彼方へ雲散してしまったらしい。

 諸科学と芸術は19世紀初頭まで、もっと近しい存在だった。20世紀を経ていま、ふたたび互いを求める時代が到来しつつある──全州からソウルへ向かう特急の中で、藤原さんとそんな話になった。そしてわたしにとって、研究者たちは憧れの存在に近いのかもしれない。緻密な知の積み重ねによって、今まで見えなかった世界の諸相が見えるようになる。その方法はわたしの実践と対極にあるようにも思え、その一方で、決して無関係ではない、とも感じている。

 さて、次の学会は10月の台南、藤原さんのパネルに参加することになっているから、やはり緊張で飲まずにはいられないだろう。すると今度は何のお酒を持っていこうか? そんなことより肝心の論文にいいかげん、着手すべきことは分かっているのだけれど。

◎お知らせ:東京のPGIギャラリーにて新井卓「イマーゴー/Imago」展開催中。2019年8月30日-10月18日(日曜休)。9月20日(金)18:00〜、9月21日16:00〜 短編映画『オシラ鏡』上映会あり
詳しくは https://www.pgi.ac をご覧ください。