Tosh Tosh Mary One

管啓次郎

思い出を話そうか
ともだちの家に遊びにゆくと
いちばん簡単なレコードプレーヤーがあって
45回転シングル盤が一枚そこに載っていた
見るからに古いレコード
妹がよく聴いてるんだ、とともだちがいう
その妹は3歳か4歳
ともだちは10歳くらい
ぼく自身の年齢はわからない
妹がレコードをかけてくれた
聞こえてきたのは「メアリさんの羊」のメロディー
でも歌詞がちがう

Tosh tosh, Mary One, Mary One, Mary One
Tosh tosh, Mary One, Mary in the snow

子羊がいかにかわいいかは知っている
子羊は元気でよくなつく
誰が相手でも頭をゴンゴンぶつけるのが好きで
かまってほしいときには前足で
チョンチョンとこっちを引っ掻いてくる
そんな生きた子羊は歌にはいないが
子羊の雪のような白さと
抱き上げたときの体温の高さが
歌のおかげで瞬時に甦ってくる
妹が歌詞カードを見ながら
歌に合わせて単語を指さしてゆく
ぼくらは一緒に歌った

Tosh tosh, Mary One, Mary One, Mary One
Tosh tosh, Mary One, Mary in the snow

楽しい歌
幼児がときどきそうなるように
妹はもう止まらなくなって
笑いころげながら何度でも
歌おう歌わせようとする
元気な子だ
それにつきあってぼくらも何度でも歌うのだが
たしかにそれはおもしろい
するとともだちがいうのだ
この歌、意味がわからないねー
だがぼくは突然自覚する
なぜならぼくはもう大人だったから
ともだちはまだ小学生だろうに
ぼくは歌の言葉を理解する
この toshはね、たぶんフランス語のtouche だよ
さわれ、ということさ
マリアさわり、か! とともだちが飛び上がった
それはぼくらの村の行事だよ、と彼がいうので
ぼくは身を乗り出すようにして真剣に聞く
森の中にマリア像があるんだよ
子供たちだけでその像まで歩いていって
彼女にふれてくる
足にさわるのが普通だけど
ふざけておっぱいにふれても叱られないし
口づけしてもいい
子供たちだけで行くんだ
これは村の昔からの年中行事
そう聞いてぼくはあっと思う
また啓示がやってきた
だったらそれは「最初のマリア」のことなんだ!
彼女はMary One
それはMary Two に先行するマリア
つまりキリスト教の聖母マリア以前のマリアだ
なぜこの歌がそんなに古いものにむすびつくのか
ぼくはほとんど青ざめる
妹がにこにこと笑っている
妹の名前を知っていたはずなのだが
思い出せない
アリシアかな
ベルフィオーレかな
いやナターシャだったかもしれない
森に行ってみよう、とともだちがいうので
ぼくらは家を出て歩きはじめる
森はみちたりて美しい
人はいない
ナターシャ(?)が先頭に立ち
ともだちとぼくは後をついてゆく
途中まで隣の家の犬がついてきた
鳥の歌が聞こえる
風に木の葉が音を立てる
小動物がやぶでかさこそと動く
なんというみちたりた小径だろう
道をさらにたどると
そこは冬だった
ぼくらがマリア像に着いたとき
すでに子供たちが集まっていた
ともだちが何人かに挨拶し
抱擁を交わし頬に口づけする
少し年上の(12、3歳?)少女たちが
蝋燭に火をともす
そろそろ行くよと
リーダーらしい少女が真面目な顔で告げる
見るとマリア像は木の台座に載っていて
台座には2本の棒が橇のようについていて
神輿のように肩に
かつげるようになっているのだ
片側に4人ずつ
計8人の子供たちが
マリア1をもちあげた
大きな蝋燭をささげもつ
年長の少女3人を先頭にして
マリアの神輿が出発する
針葉樹の林の
小径を歩いてゆくのだ
子供たちだけの集団が
冬の日はもう暮れて
どっぷりと濃密な闇だが
闇が濃い分、星空が明るく
蝋燭の炎が強く輝いて感じられる
マリアさまは私たちを守ってくれるから
とナターシャが優等生のようにいう
子供たちの肩に揺られながら
マリア1は森を無言で飛んでゆく
降誕祭が近いけれど
このマリアはイエスを生まない
このマリアに夫はいない
このマリアは森そのもの
土であり水であり
木であり金属であり
太陽であり月であり
雪の中で燃える火だ
蝋燭の灯りがマリア像の
表情を照らして神々しい
なんという精神世界に
ぼくらは来てしまったのか
やがて行列が歌いだす
みんなで歌いだす
Tosh tosh Mary One!
ナターシャが機嫌よく大きな声を出す
明るく楽しい気持ちになる
なんだか笑いがこみあげてくる
これから村の広場までゆき
そこには焚き火があって
熱いチョコレートが用意されている
それがマリア1のお祭り
冬のある夕方から夜にかけて展開する
子供たちのための祭りだ