「全体というのはない」
レコーディングを終えて、ある雑誌のインタビューで悠治さんがそう答えた。探る演奏、そうも言い換えた。テイクを重ねるたびに、異なる道程をさまよう悠治さんのサティ。そのありようを示しているように思う。
それにくわえて、濃密なレコーディングにともなった連日のおびただしい飲酒のせいで、どこに向かうかわからない演奏と千鳥足の酩酊が、記憶の中で奇妙にリンクして今に至っている。
焼き鳥屋での打ち上げ、酒も旺盛に進んだところでわたしは、思い切って、ある告白を悠治さんにした。わたしが3歳のころ水牛楽団のコンサートに連れていったこともある母は、父とともに60年代から学生運動に積極的に参加していた。わたしの名前は、父がつけたもので、子の時分、風呂に入っているときに由来をたずねたら、親友のペンネームからつけた、と言われたことを覚えている。あまりそれ以上詳しくは語りたがらなかった父。けれどやがて母から、その人の名は青木昌彦さんという学者のペンネームであることを知らされた。それは姫岡玲治といった。
時は経ち、レコーディングからさかのぼること1年前、佐野眞一の「唐牛伝」を読んだ母から突然メールをもらった。この姫岡玲治の玲治は、玲はレーニン、 治は親友の高橋悠治からとったと書いてあったという。自分の名前の中に、もうひとつ古層のようなものが垣間見えたようで、さらに以前から演奏に接していた存在が、どこか遠くからつながってきたようで、ひとり興奮を覚えた。
そのことを、酒の勢いも手伝って、鼻息荒く告白したように思う。が、こちらの劇的な告白の高揚感はよそに、そこまで盛り上がらず、いつしか別の話題に移行。宴は狂騒の中終わりを迎え、タクシーで悠治さんを送り出し、果てたように記憶している。
とはいえ、録音翌日、二日酔いのわたしのもとに悠治さんから届いたメールは、なによりの宝物になった。
「2日間きもちのよいチームワークでのしごとができました どんな響きになっているか たのしみです」。