せまい借家の二階から階下へと素早い物音がする。何だろうと顔を向けるのだがなにもいない。物音と言いながら、その運びは生きている動物のようで、数ヵ月前までなら飼い猫の足音で間違いはなかったのだが、夏の暑い日に逝ってしまってからは、私ひとりの家の中で物音などしようはずもない。それでも、何度か確実にその音は響き、その度に耳をそばだてている。そのうち「ああそうか、やっぱりマロンか」と逝ってしまった猫の名前をつぶやく。別に格段、スピリチュアルな思いもなく、ごく普通に、猫のマロンがまだ家の中を走り回っているのだと納得する。
そんな思いをまだ大学に通っている娘に投げてみると「そうだよ」と落ち着いた声が返ってくる。「いまごろ何言ってるの」とでも言わんばかりである。娘曰く、マロンはみんなのことを心配してまだこっちにいるのよ、ということだ。その口調はまるで、玄関の鍵はここに置いておくからね、と確実にある物をはっきり手渡すときのような明快さだ。
しかし、猫が心配するこっちのこととはいったいなんだろう。マロンは十五年前に我が家へやってきた。その頃私はまだ四十代になったばかりで、娘は中学生、息子は小学生だった。初めてのペットであるマロンは家族に可愛がられ、愛想を振りまき、家の中をドタバタとまるで仔犬のように走り回って大きくなった。
数年前から仕事の都合と高齢となった母の世話をするために、私と妻は生活の大半を関西で過ごすようになり、息子は就職してひとり暮らしを始めた。結局、マロンは東京の借家で娘と一緒の時間が多くなり、たまに私たちが顔を出すと多少不服そうに甘えてくるのだった。しかし、娘が一声かければ娘の側に行き、そこから動かなくなり、娘とマロンの仲の良い様を眺めているのが私は好きだった。
そんなマロンだから、逝った後も心配になるのはやはり娘のことなのだろう。それが証拠に、亡くなったとはどこへでも顔を出せそうなものなのに、この荒川の家でしか、マロンの気配を感じたことがないのだ。
娘が言う、「マロンがみんなのことを心配している」というのは、結局、娘のことなのだろう。娘は芸術大学で彫刻を作っているのだが、現在、博士課程の二年目である。本来なら留学などを計画していたのだが、昨年から世界的に猛威をふるっている新型感染症のおかげでいろんな計画が頓挫してしまった。ただ抑え付けられるような時間を消費しつつ作品制作を続ける日々を送りながら、娘は鬱々とした気持ちになっているのだろう。声に出してもなにも解決しないので、本人はなにも言わないけれど、そのストレスは相当なはずだ。そう考えると、逝ってしまったはずの猫の足音は、そんな娘を一人にしないための何かなのだと思えた。
しかし、娘がいないときにも、家の中を走り回る音がするのはなぜなのか。娘だけではなく、私にも何かを伝えようとしているのか。もしそうだとしたら、マロンは私の何を心配しているというのだろう。私の人生は甘い見通しと我慢の効かない弱い性格が災いして、人生の要所要所であまり当てにならない味方を増やし、大切な仲間と袂をわかってきた。だから、これから稼げそうだ、というところで舞台が暗転する、ということが多くあった。そのあたりは、自分でも心配しているところだが、猫のマロンもそんな私を心配しているのかもしれない。
そんなことを考えていたら、マロンのことが急に思い出された。久しぶりに顔を確かめてみようとスマホを取り出そうとショルダーバッグを探る。バッグの中でスマホに手が当たり引き抜いてみると、スマホと一緒にマロンの毛が出てきた。茶色い栗色をした毛が数本、スマホのくたびれたシリコンカバーに引っ付いている。
我が家へやってきたばかりの幼い頃のマロンの表情が不意に思い出され、写真など見なくてもいいくらいに、頭の中いっぱいに広がるのだった。そして、なぜかマロンは娘のことも私たちのことも一生懸命に心配してくれていたのだという確信が胸に押し寄せた。不思議なのだけれど、足音を思う気持ちと目の前の鞄の底から出てきた毛の感触が同時にあって、私ははっきりとマロンの気持ちを知ったのだ。間違いはない。マロンは私たちをそして私をものすごく心配していたのだ。そして、亡くなった今も心配してくれている。
古い借家の床を足を擦らせながら走る音がした。音は二階へと上がっていく。いま座っているソファからは見えないのだが、階段を下に立ち、二階を見上げると、そこにはきっとマロンがいる。そして、マロンは二階から一階の私を遊んでほしそうに見つめているはずだ。(了)