言葉と本が行ったり来たり(3)『ロボ・サピエンス前史』

長谷部千彩

八巻美恵さま

以前、お話ししたことがあるかもしれませんが、若い頃、私は自分で作ったパソコンを使っていました。身近にそういった趣味を持つ友人がいて、プラモデルみたいなものだよ、と言うので、それならば、と自作するようになったのです。
ケースを選び、CPUを選び、メモリを選び、グラフィックボードを選び、作業の半分以上はパーツ選び。そこから先は本当に簡単で、言葉通り、プラモデルを組み立てる要領です。不要なパーツが出ると、新たにパーツを加え、パソコンをまた別に組み立てて、頼まれもしないのにひとにあげたり。作ることがとても楽しかったのです。
ですから、八巻さんからいただいたお手紙の“パソコンはなくてはならない道具だけれど、単なる道具という閾をとっくに超えてしまっているのに、その芯の部分のようなところがわたしには理解不能です。”という一文を読み、私はパソコンを電動自転車のようなものと捉えているけれど、それは私にとってパソコンがブラックボックスではないからかもしれない、と思いました。

私に自作を勧めてくれた友人は分解マニアでもありました。ゲーム機など新機種が発売されると入手して、ケースを開けて構造を確認するのです。型番違いのものも調べたいと言うので、私のゲーム機を彼のゲーム機と交換したこともあります。中を見たくて仕方がないようでした。
東京を離れた彼とは疎遠になり、いまは連絡先もわかりません。でも、当時の彼は私にとって頼れる友達で、パーツを買いに秋葉原へ同行してもらったことなど懐かしい思い出です。
バイク便のライダーの彼とブランド物で身を固めた私は、傍目には奇妙なコンビだったかもしれません。けれど、私も洋服を買ったら、必ず裏返しにして仕立てを確かめるし、訪れた国の政治情勢がどうなっているのか調べたくなるし、いま思えば似たもの同士だったのです。
解体したり、裏返したり、構造を確かめると、それに対する認識がダイナミックに変わるというのは、ひとつの事実だと思います。あえて知らないままにしておくという選択もありますが。

今月読んだ中で面白かった本は、島田虎之介さんの『ロボ・サピエンス前史』。SFコミックです。ロボットの数が人間の数よりもはるかに増えた未来が舞台。ロマンティックで素敵なストーリーなのですが(そしてせつない)、私が「いいなあ」と思ったのは、メインキャラクターがロボットということもあり、台詞が少なく、表情が極端に抑制されているところです。
一般的に表情が豊かというのは良いことのように語られます。でも、その豊かな表情が必ずしも感情をそのまま表しているわけではない。例えば、人間の笑顔の半分ぐらいは、円滑に会話を進めるため、敵ではないことを示すために浮かべているものではないでしょうか。少なくとも私はそうです。
では、恣意的に選んで顔に載せる表情、他者へのメッセージとしての表情を排したら――?感情の表出だけに表情を浮かべるなら、案外人間も淡々としたものかもしれない。内面では多くのことを感じながらも、言葉にするのだって実際はほんの少しですし。そんなことを常々考えているので、笑い転げたり、泣き出したりしない、わずかな表情だけを使い分けて生きるロボットのほうに、私はむしろ裸の人間の姿を見たのでした。
作中、核廃棄物が無害化するまで、25万年もの間、ひとり静かにロボットは貯蔵施設の管理を勤めます。ひとは物語が好きだから、一生をドラマティックに綴りたがる。それはきっと欲望のひとつですよね。けれど、神の視点で見下ろせば、人間もそのロボットと同じように、80年なのか90年なのか、孤独の中を粛々と生きているのかもしれません。

今年も残すところあと一ヶ月。八巻さんに紹介していただいた『センス・オブ・ワンダー』は、年内中に読もうと思います。次の手紙には感想を書けるかしら。
東京もだいぶ冷えてきました。風邪など引かぬようお気をつけ下さい。
それでは、また。

長谷部千彩
2021.11.30

 
 
*編集部註:言葉と本が行ったり来たり(2)『センス・オブ・ワンダー』(八巻美恵)は長谷部千彩さん主宰のサイト、memoranndom.tokyoに掲載されています。まさに、行ったり来たり、です。