水牛的読書日記 2022年9月

アサノタカオ

9月某日 まったくうんざりさせられるニュースだ。東京五輪をめぐる汚職事件で、大会組織委員会理事だった高橋治之容疑者が、出版社のKADOKAWAが大会スポンサーに選定されるよう組織委に口利きした疑いが発覚。その後、高橋容疑者はKADOKAWAから賄賂を受け取った容疑で再逮捕、KADOKAWAの角川歴彦会長や関係者も逮捕された。

出版業界の末席にいるものとして、知らぬふりをすることはできない。出版や言論やアートの世界で、「五輪」に尻尾をふったものたちは誰か。厳しく注視していきたい。

9月某日 亡くなった詩人でトランジスター・プレス主宰の佐藤由美子さんの部屋を訪問。病床で読み続けたという『敷石のパリ』(トランジスター・プレス)。佐藤さんの詩も収められていて、元気な頃は各地への旅に持ち歩き、朗読することもあったという。ペーパーバックの表紙には無数のスレ、シミがあり、角は折れている。ぼろぼろになったちいさな詩集と対面して、「本を読むって、こういうことだ」と心の底から思った。

《私のような一人出版が、これからしていかなければいけないのは……そのイメージを地図にして、見えない共和国を探っていくこと》。そんな言葉を残して旅立った佐藤さんは生前、自分が編集した大原治雄写真集『ブラジルの光、家族の風景』(サウダージ・ブックス)を大切に読んでくれたらしい。偏愛するロバート・フランクの写真集とともに。

ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグら、アメリカ発のビート・ジェネレーションの作家や詩人の精神を継承する佐藤さんの部屋には、ニューヨークで撮影した晩年のハーバート・ハンキーの写真が飾ってあった。

9月某日 沖縄の詩人・高良勉さんから、メールで沖縄県知事選挙の結果報告。米軍普天間基地の辺野古移設反対を訴える現職の玉城デニー氏の再選。胸をなでおろして、久しぶりに勉さんの詩集『群島へ』(思潮社)を棚から取り出す。

9月某日 東京・渋谷のギャラリー zakura で、宮脇慎太郎写真展「RIASLAND」を鑑賞。四国・宇和海の風景と人間をテーマにした写真集『UWAKAI』(サウダージ・ブックス)刊行記念の展示。徳島の和紙製造メーカー・アワガミファクトリーの用紙に印刷されたオリジナルプリント。写真作品が表現するおぼろげな光に感心した。

9月某日 個展のために香川から東京にやってきた宮脇慎太郎とともに、神奈川県立近代美術館葉山へ。アメリカの写真家アレック・ソスの展示「Gathered Leaves」がすばらしい。ミネアポリスからミシシッピ河を南下するロードムービー的な連作「Sleeping by Mississippi」がとくに。ある写真には、ノートの切れ端に書き付けられたアレン・ギンズバーグの詩の一節が写り込んでいた。図録を買いそびれたし、もう一度観に行こう。

美術館訪問のあとは、葉山・一色海岸の浜辺で寝転がって夕日を眺めた。なんだか、すべてが気持ちいい。

9月某日 大学での授業の後、東京・分倍河原駅前のマルジナリア書店へ。フォトグラファー疋田千里さんの作品のポストカードを購入。疋田さんの旅の写真はどれも暮らしの時間の厚みを感じさせるもの。ポストカードの古紙再生紙の感触もよい。

お店では夜の街灯りを眺めながらおいしいコーヒーをいただき、フリーの冊子「マルジナリア通信」を読む。「毛玉から南極へ」というショートショートの小説が心に残った。作者は、お店のオーナーの小林えみさん。

9月某日 雨。昼過ぎの羽田空港、JALのカウンター前に大勢の旅客が長蛇の列をなしている。前日関東に上陸した超大型台風のせいで羽田発の多くの便が欠航し、足止めを食らった人たちだ。自分が予約していた飛行機は無事に飛び立ち、とかち帯広空港へ。何年ぶりだろうか。北海道に降り立つと秋めいた曇り空、やはり東京よりもずっと寒い。空港から車に乗り込み、広大な農村地帯や森林地帯をぬけて取材地へ向かう。人気のない十勝・豊頃の海沿いの丘を歩いていると、夕方、雲の間から光が出てきた。

9月某日 北海道への旅の2日目のお昼、帯広の有名店「インディアンカレー」へ案内される。「これ、十勝のソウルフードなんですよ」と。前夜は「鳥せい」で山盛りのから揚げと炭火焼きをご馳走していただいたのだが、やはり「ソウルフードなんですよ」と。豚丼の有名店の前を通りがかり、「ソウルフードなんですよ」と。つまり農と食の王国・十勝ではすべてがソウルフードということか。

ちなみにこの食べ歩きルートは、当地在住の小説家・河﨑秋子さんが文芸誌『すばる』2022年4月号で紹介していたいわば鉄板ルート。今回の旅をきっかけにして河﨑さんの小説を読んでみたいし、途中で挫折した上西晴治の長編『十勝平野』(筑摩書房)にも再度チャレンジしたい。

9月某日 旅から戻り、河﨑秋子さん『颶風の王』(KADOKAWA)を読む。北海道開拓民の家族史、過酷な自然を生き抜きながらも歴史の波に翻弄される人間と馬たち。荒ぶる北方の野の世界の描写に圧倒されたが、河﨑さんは元羊飼いとのことで納得。読み応えのある小説だった。今後、農と食と地域をテーマにした文学を探して読んでいきたいと考えている。

9月某日 精神科の医師でトラウマ研究の第一人者・宮地尚子さんの『傷を愛せるか』(ちくま文庫)が届く。大月書店の旧版単行本を愛読してきたので、増補新版での文庫化というのがうれしい。

9月某日 連休の3日間でK-POPのMVを150本ほど鑑賞。正しく「沼落ち」したということだろう。おおむね東方神起以降、(基本的にNCT127など男性グループのファンであるため)普段は嗜まない女性グループのTWICEや宇宙少女のMVなどもまとめてみると、逆に自分の「Kぽ愛」の傾向がクリアになってきた。そして、「案外こういうのが好きなのか……」と自分で気付かなかった自分の一面を発見して驚いている。

2020年デビューの韓国のガールズ・バンド、Rolling Quartzの MVを見て、「うわあ、ほんとに歌ってる!」と思わず声を上げてしまった。金素月(1902〜1934)の詩「つつじの花」をハードロックで絶唱するとは……、なんともシブい。YouTubeの動画に日本語字幕をつけ、『キム・ソウォル(金素月)詩集』(林陽子訳、書肆青樹社)を手元に視聴。Rolling Quartzについては、言語学者・野間秀樹先生のご教示による。

9月某日 宮内喜美子さんの詩文集『わたしたちのたいせつなあの島へ――菅原克己からの宿題』(七月堂)が、小野十三郎賞詩評論書部門特別奨励賞を受賞とのこと、おめでとうございます。

9月某日 大学の授業でメディア論の話もしているので、マーシャル・マクルーハンの主著を再読。『グーテンベルクの銀河系』(森常治訳、みすず書房)や『メディア論』(栗原裕・河本仲聖訳、みすず書房)など。「メディアはメッセージ/マッサージである」という名言の意味するところぐらいは知っておいてほしいと考えて。ところで30名ほどの学生には、宿題で好きな本の書評を書いてもらった。いまどきの文系大学生の読書傾向が見えてきておもしろかったし、読んだことのないたくさんの本を知ることができてよかった。

授業の後は、恒例となりつつあるマルジナリア書店へ寄り道。温又柔編・解説『李良枝セレクション』(白水社)を購入。作家の温さんが厳選した李良枝の小説とエッセイの並びが完璧すぎる。美しい装丁の本。

お店ではフランスとウクライナへの旅から帰国した写真家・渋谷敦志さんと待ち合わせ、久しぶりに語り合った。ロシアによる侵攻後のウクライナ社会の空気感について、キーウ、ハリコフ、ブチャなどの町々で出会った人たちの声について、そして今後の写真活動について。渋谷さんのことばのひとつひとつが、重い。その重みをしっかり受け止めたい。

9月某日 渋谷敦志さんの新著『僕らが学校に行く理由』(ポプラ社)を読む。世界各地の紛争や貧困の渦中にいながら学びを求める子どもたちの姿を記録した児童向けのノンフィクション。カラー写真も満載で、とてもよい内容。大人が読んだっていい。この本と『李良枝セレクション』の2冊を来週、大学の授業で学生たちに紹介しよう。