何も意味しないとき、静かに朝を待つ(上)

イリナ・グリゴレ

こぼれ落ちてもう二度と帰ってこない日常を必死に思い出そうとして、スマホの写真アプリを開く。写真は薪ストーブで温まったように暑い記憶と違って、冷えている。窓まで積もった雪の上に屋根から落ちた氷柱の痕と同じ、写真の跡が私の身体に深い跡を残す。何年か前の娘たちは髪の長い妖精にしか見えない。海、植物、虫、鮮やかな服、階段に散らかっているぬいぐるみ、バレエからの帰りの練習着で食べる唐揚げ、ラズベリーで汚れた手、川の近くで交尾する蝶々、りんご畑、タンポポ、カエル、フキの葉っぱが天井からぶら下がる写真。獅子舞の映像と写真、インタビューの録音と録画、インフォーマントの若い時の写真。お寺、桜祭り、おでん、焼いたお菓子、パン、庭の赤い実、杏、山菜、キノコ、雪の上の鹿の足跡、信号待ちの映像、また虫、動物の写真、妊娠中のお腹の写真、出産の映像。祖父母の若い時の写真、何年前かルーマニアに帰った時の弟と私。弟はハリウッド俳優のような顔つき。何年も会ってない。会いたい。2月に家族と行くと言ったのに、戦争で飛行機代が一人30万円もするので諦めた。

ここ数年、私は意識して必死に自分の日常を撮り、いつかインスタレーション映像と展示を作ろうとしている。誰にも興味のない個人の日常が消え去る一瞬前に撮られたイメージだ。だが普通の写真と違う。それは事件が起きた後の証拠写真に近い。大きな穴を掘っている時に土から出てきた面白いゴミのようだ。誰も価値があると思わないようなものが土を洗うと鉱石の美しさが明らかになる。透明な木の根っこが、あの写真に写っている全ての生き物を子宮の中にいる赤ん坊と臍の緒のように囲んで繋いでいる。しかし、いくら探しても私がそこにいない。写っている20代後半から30代の女性が自分だと認識できない、私の脳が、壊れたA Iのようだ、エラーが出る。この絡み合いの中で私は確かに存在していたが、絡み合う命に溢れている生き物の一部でしかない。娘の発表会のピアノの中にもいたし、森の木の中にも、海の泡にも。確かにいた。こうして写真を見ると音楽に近い状態で存在していたと思うようになった。自分の身体がこれらのイメージと音が響く平地のような物体だった。広がった、開かれた。外か中にいるのかわからないまま。冷たい川の流れの一部になる日々だった。川の水に雪が降って、また水の一部、流れの一部になる。私もこの写真の川に溶ける雪結晶だ。

バッハの『音楽の捧げ物』の「6声のリチェルカーレ」が車内に溢れる。歯医者から帰るところだった。顔の半分が麻酔で動かせない。狭い雪道を運転するのは難しい。ブレーキは効かないし対向車があれば譲り合うしかない。自分の車の前に学校から帰る女の子がいて、反対からは車がずっと走ってきてなかなか進めないから、後ろの車がクラクションを鳴らした。女の子は私が鳴らしたと勘違いして、とても寂しげな目つきで私の目を見た。「私じゃない」、「私じゃない」と泣き始めた。この世を傷つけているものは私ではない。麻酔で動かせない顔の半分で泣く。だから戦争がまだあると思った。イライラしてクラクションを鳴らしたのは後続車の男だ。でも私が泣いたのは誤解を受けたからではない。女の子の眼を見て泣いたのだ。私たちはあの人と同じ世界を共存しないといけない。お互いのことを何も知らないまま。彼は知ろうとしない。雪の中を歩く白い犬が綺麗。あの犬になりたい。

スマホの写真の中で探していた写真を見つけた。4年前のシャガールの展示を見に行った時、初めて来日した父が笑顔満々の赤ちゃんの次女を抱いている。この写真を見ると次女をではなく、父が私を抱いていると感じる。あの頃も孫に会いにきた父と毎日のように喧嘩していたが、昨年の夏にもう一度父が来日したとき初めて共存できた。父は私の周りの知り合いの女性にかっこいいと言われて人気者になった。父はこんな人だったのかと思うようになった。女性に好かれて、かっこいい男の父。冗談を言う父、孫と一緒に散歩に出かける父を見て、自分の父もこの絡み合いの一部であることがわかった。私たち、いわゆる娘と父の作られた関係ではなく、何かの条件で塊として交差している命だ。父を初めて生命としてみた。人間ではなくてもいい、お互いに、偶然に風に飛ばされた土に触れた葉っぱのような関係でいい。

父のアル中をずっと理解できなかった気がする。この前、東京に行って、潰れるまで酒を飲んだ。自分は酒を飲むとき父になりきっている。今回は自分の限界を超えるまで飲んだ。目眩しながらホテルの部屋で倒れた。いつも少しだけいいホテルの部屋を選ぶにはまだ誰も言ったことがない秘密があるからだ。次の朝に大事な約束があったから起きようとしたが動けなかった。酒が全然抜けてなかった。味わったことのない吐き気に追われて壁を押しながらなんとか洗面所にたどり着いて痙攣しながら吐いた。東京のホテルの部屋で身体が動けないままベッドに倒れた夜。飛ぶはずがない白鳥の声が聞こえた。白鳥の声が苦手と思いながら。辛かった。この状態が自分の外からくる湯気のようで火傷するほど暑くって苦しい。誰かを呼びたかった。誰かを呼ぶとしたら誰を呼べばいいと身近な人の顔が浮かんだけど、小さな声で「お父さん」と言った。その朝に自分の父が来て、助けて欲しかった。自分の父の苦しみを初めてわかった。二人で初めて生きる苦しみを分かち合った。今までの喧嘩と苦しみには何の意味もなかった。お互い理解し難い存在だった。何も意味しない時、静かに朝を待つ。次女が言うには、その時、魂が剥ける。蝉のように、蛇のように皮が剥けるまで待つ。こぼれ落ちる日常が去るまで待つ。なんとなく身体を動かして、イヤホンでKendrick Lamarの『DNA』を聴きながら朝の混んでいる山手線の電車に乗って渋谷へ向かった。