仙台ネイティブのつぶやき(84)夏至の光の下で

西大立目祥子

 6月は気忙しく過ぎた。ひとつには誕生月だったから。
ハンパに若いときは、誕生日なんてうれしくもなしと思っていたけれど、還暦を過ぎたあたりから、友人ががんと宣告されて闘病もむなしくあっけなく亡くなったり、久しぶりに連絡をとると足首骨折で全治4ヵ月と知らされたり、中には災害で命を落とす知人がいたり。明日はどうなるかわからないと実感することが増えてきて、1年を無事に過ごせるということは相当によろこばしいことだと思うようになった。遠方の友からのお祝いの品をありがたく受け取り、お茶しようと誘われればいそいそと出かけていく。

 思えば、いきあたりばったり無計画に生きてきて、なんとなくこんなところに立っている。生きていくということは、いつも後ろから押し出されるように否応なく前に行かされることなんだ、と感じてきた。つぎつぎ見たこともない風景が現れるので見飽きることはないが、やっていることはといえば、あいも変わらず仙台のまちでぼんやり空をながめ歩き回っているだけ。

 ふっと、じぶんの腕を見たりするときに、見たこともない小さなちりちりのシワがあるのに気づいてじっと見入る。若いときの腕はどんなだっけ。何もおぼえていない。変化が起こるから人は気づくものなのか。いつのまにか何をするにつけても「あと◯年の・・」と、頭に枕詞のようにくっつけてものを考えるじぶんがいる。

 あと何年の梅仕事、と思い立ち、一昨年から梅干しを漬け始めた。えーと、1キロ。そういうと梅干し何十年歴のツワモノばあちゃんたちに一蹴された。最も、効率がわるーい!と。去年は、塩漬けにしたところで思いもかけずにコロナに感染してしまい、赤シソを入れずに白梅漬けで終わってしまった。
 今年はがんばってみようかと、小梅を1.5キロほど梅干しに、青梅を1キロシロップ漬けにし、順調に梅酢が上がり、瓶の中の氷砂糖が溶け出したところで、友だちから連絡がきた。梅の実50キロぐらいもいできたから、取りに来てー。

 一瞬迷ったが、もらいに出かけ、デカい紙袋の底が抜けそうなくらい持たされ帰ってくる。体重計に乗せると5.5キロ。追加で梅干しを3キロ仕込み、シロップの瓶に1キロを投入、残りの傷んだのをジャムにした。
 作業をしながら、こういう梅の仕込みの一連を「梅仕事」とわざわざ「仕事」とつけている理由が、じわりとからだで理解できてくる。この大量の実を前に、段取りよろしく、根気よく手を抜かず、一気呵成に作業を進めるには、たしかに気構えというものが必要だ。ちょっと気がゆるんだりしたら、せっかくの塩漬け梅にカビが発生したりして苦労は水の泡。そもそも、梅の実がコロコロとまあるく育ってくるのをいまかいまかと見計らってもぐところから仕事は始まっているのだ。

 でも梅仕事にはごほうびがあって、それは梅の甘酸っぱい香り。塩漬けでも梅のつゆが上がってくればやわらかないい香りが立つ。瓶や瓶のふたをそっと開けると、ふわっと立ち上がった香りが鼻孔からからだ全体に満ちて、何ともしあわせな気持ちに包まれる。
 もちろん、まだ固いうちの青梅そのものも美しい。手に取るとしっとりとしてマットな肌合いが心地よい。2日、3日と追熟させていくと黄色に染まっていく、そのさまにも見とれる。

 梅が実を太らせていく6月中旬の庭には、植物の圧倒的なパワーが満ち満ちてくる。本格的な暑さはこのあとにやってくるけれど、生きものたちの勢いはピークを迎えて、雨が降り高温という日が何度か続くうち、草や樹木はこれでもか、とばかりに生い茂ってくる。梅雨に入り曇天の日があるとはいえども、夏至のころの日の光のすごさに圧倒される。5月は緑を楽しんでいられるけれど、6月は緑に気圧されそう。はい、ごめんなさい、負けました、許してください、人なんてちっぽけなもんですと、ひれ伏す気分だ。

 それでも、水道のメーター検針の人なんかがくるので、あまりの草ぼうぼうは気の毒だから、意を決して草刈りをしなければならない。帽子をかぶり、首にはてぬぐい、ゴム長をはいて近寄る蚊を振り払いつつ、鎌を片手に奮闘して汗だくになると、だんだん野蛮な心境となって、生い茂る草からエネルギーをもらうような気がしてくるから不思議だ。

 そういうときは、じぶんが人であることを半分忘れ夢みている。人類滅亡の日はそう遠くないうちにきっとくるから、大木を都合で伐り倒す馬鹿なヤツらは消え失せるから、そうすれば思い切り茂れるだけ茂って、地上をおおいつくしたらいいんだ。アスファルトの割れ目から、床板の下から、植物はぐんぐん育ち、夏至の太陽を浴びて天をめざしていくだろう。