本小屋から(2)

福島亮

 結局、バオバブの種を蒔くことにした。樹木の尺度で考えれば、それは人間のエゴだ。アフリカであれば千年も二千年も生きるはずの木を、ここ日本で発芽させようというのだから。とはいえ、好奇心には抗えなかった。そこに種がある。だから、蒔いてみたい。種子が放つ途方もない誘惑に勝てなかったのである。

 50粒ほどの種から、17本の芽が出た。本当はもっと発芽する可能性があったのだが、ジフィーポットを置いていた受け皿の水が原因で、発芽前の種を腐らせてしまったのである。ジフィーポットは紙でできたポットで、ポットごと植え替えができるというすぐれものだが、使用した用土の材質も手伝って、土の乾燥が激しく、止むを得ず受け皿を導入したのがいけなかった。なかなか芽がでない種を観察しようと掘り返してみると、種は腐っていた。かたい殻を指で押すと、中から白っぽく溶けた中身が出てきて、植物が腐るにおいがした。

 17本のうち3本を知人にお裾分けした。そのため、手元には今、14本の苗がある。もしもバオバブの苗が欲しいという人がいたら、先着10名くらいになってしまうが、ぜひお裾分けしたいと思っているので、連絡をいただけたら嬉しい。そうすれば、一千年後、二千年後もこの地で生き残るバオバブが出てくるかもしれないから(まあ、その時人間がいるかどうかは心もとないけれども)。

 梅雨に入って、蒸し暑い日々が続いているが、バオバブのことを思えばその暑さもまったく苦でなくなるから不思議だ。バオバブにとって、30度の気温は心地よく成長できる温度なのだ。だからぐんぐんと成長し、すでに本葉が5、6枚出たものもある。かと思うと、(おそらくジフィーポットから鉢に植え替えたのが気に障ったのだろうが)双葉のまま、ぐずぐずとしているものもある。そんないじけ虫の苗も、よく観察すると双葉と双葉の間がパンパンに膨れ、緑色の瑞々しい茎には幾本もの木質の筋が入り、はちきれんばかりになっている。機嫌が元に戻ればいつでも本葉を吹き出せるよう、用意しているのだ。小さな双葉ではある。だが、根から吸い上げた水分や養分をこれでもかと溜め込むその姿には、なんとも言えない勁さがある。

 子どもの頃から、いろいろな種を蒔いてきた。朝顔や二十日大根の種はもちろん、ほうれん草や蕎麦、メロン、ビワ、アボカドなど蒔けそうなものは片っ端から蒔いてしまう子どもだった。小学生の私をとくに魅了したのは瓢箪だった。小学校の近くにある公民館(金島ふれあいセンター)に図書コーナーがあり、そこで借りた中村賀昭『これからはひょうたんがおもしろい』(ハート出版、1992年)という本に誘われて、千成瓢箪、大瓢箪、鶴首瓢箪、一寸豆瓢など、さまざまな品種の瓢箪を栽培した。さすがにプランターや鉢では瓢箪を育てることはできず、祖母が野菜を育てていた畑の隅を使わせてもらった。畑を瓢箪の蔓で荒れ放題にしてしまったのだから、よく叱られなかったものだと思う。秋、畑に実った種々様々な瓢箪を収穫する。大小合わせて100近い瓢箪が収穫できた。蔓と繋がっている部分(口元)にキリで穴を開け、胴の部分を紐で縛って重石をつけ、数週間水に沈めて表皮と内部のワタを腐らせる。すると実の表面の薄い皮がズルリと剥け、さらに実の内部がドロドロに溶けて種と一緒に取り出せるようになる。種はこの段階で回収しておいて、来年蒔くためにとっておくのである。こうして、硬い瓢箪の殻が残るわけだが、それを真水できれいに洗って、半日陰で乾燥させる。中までしっかり乾燥させないと黴の原因になるから、ここは慎重にやらねばならない。おおよそ乾燥したら瓢箪を指で叩いてみる。軽い音がすれば、それは芯まで乾燥したしるしである。あとはニスを塗って、飾り物にすれば良い。ただ、ニスを塗らずに瓢箪そのものの肌を楽しむのもなかなか良く、私はこちらの方が好きだった。椿油で磨くと光沢が出ると知っていたが、椿油など手に入らないのでサラダ油で磨き、大切な瓢箪を油臭くさせてしまったこともある。瓢箪の中に酒を入れ、毎日撫でていると艶が出ると聞き、試してみたいと思ったが、それは親が許してくれなかった。この一連の作業を私が身に付けたのは12歳の頃だった。20年ほど経ってこんなことを思い出したのは、腐らせてしまったバオバブの種を土から掘り出した時に感じたにおいが、腐った瓢箪の中身のそれと同じだったからである。あ、あのにおいだ、と思った。植物が腐るにおいというのは、けっして気持ちの良いにおいではないけれども、例えば肉が腐ったときに発生するようなすぐにでも遠ざけてしまいたくなる臭気とは違う。植物の場合、どこか柔らかさを感じるにおいなのだ。

 本小屋の夏は暑そうだ。窓が西側についているからである。だが、そこに置かれたバオバブたちのことを思うと、暑さも日光もあまり気にならない。雨が降ったら、それはバオバブにとって自然のめぐみだ。風が吹けば、まだ柔らかい本葉がそよぎ、葉についた埃を払ってくれる。日光は苗たちのよろこび。時々訪れる気温の低下は、苗たちの試練。そう思うと、暑さも湿度も、いとおしく思える。今日は雨だ。バオバブたちは喉を潤しているだろうか。