今回の「本小屋から」は、本小屋ではなく、那覇空港で書いている。2月27日から29日まで、沖縄に滞在しているからである。いちばんの目的は、27日に琉球大学で開催されたセルア・リュスト・ブルビナさんの講演「海外領とフランスの影響力」を聴くことであり、それからもう一つ、翌日に沖縄大学で開催されたイベント「人文学対話・沖縄と現代世界 〈思想〉としてのパレスチナ――鵜飼哲氏を囲んで」を聴くことも目的だった。その合間に、いくつか古本屋を巡った。
ゆいレール美栄橋駅から5分ほどのところにあるカプセルホテルに泊まったのだが、そこから20分ほど歩いたところにある「ちはや書店」は、いくら見ていても飽きない品揃えで、できることならしばらく滞在したいと思った。それから、「宮里小書店」。栄町市場にある壁棚だけの文字通り小さな書店なのだが、向かいの服屋の店主の人がコーヒーを淹れてくれ、おしゃべりをしながら本を眺めることができた。そこで教えていただいて訪れた「Books じのん」は、それこそ魔窟で、ありとあらゆるジャンルの沖縄関連書籍が揃っていた。
古本屋という語にひっぱられて話がふらふらしてしまったが、そうそう、今回の目的は、何よりもまず、セルアさんの講演を聴くことだった。というか、セルアさんにご挨拶を、と思って沖縄にやってきたのだ。セルアさんについては、『図書新聞』で連載していた時評に「セルア・リュスト・ブルビナ『アルジェ–東京』」という記事を書いたことがある(2023年1月21日、3575号)。そこで紹介した『アルジェ–東京』は、アルジェリア独立闘争のメンバーと日本の市民、政治家との連帯を扱った本で、セルアさんの言い方を借りるなら、「ドキュメンタリー哲学」である。この本は現在翻訳が進んでいるというから、いつか日本語で読めるようになるだろう。上の記事でも書いたことだが、アルジェリア人の父とフランス人の母とのあいだに生まれたセルアさんは、長いことフランスにおける植民地問題を論じてきた哲学者だ。今回、彼女は東京と沖縄で合計5回の連続講演を行った。詳細は以下の通り。
① 2月16(金)「ファノン――植民地支配下における人種、ジェンダー、人間的実存」(日仏会館ホール 18時~20時)
② 2月18日(日)「フランスにおけるポストコロニアル研究――ジェンダーと植民地」(日仏会館501セミナー室 15時~18時)
③ 2月19日(月)「アルジェ~東京――友情の政治学」(東京大学駒場18号館、15時~17時)
④ 2月20日(火) 「境界を通過しつつ考える――哲学の脱植民地化、脱植民地化の哲学」(一橋大学佐野書院 18時~20時)
⑤ 2月27日(火)「海外領とフランスの影響力」(琉球大学人文社会学部文系講義棟112教室 14時~17時)
連続講演の様子については、なんらかの形で公開されると思われるので、全5回の講演を聴いて印象に残ったことのみ記すならば、それは植民地性をめぐるフランス共和国内部での議論がいかに破滅的な状況にあるか、ということだった。ここでいう植民地性とは、具体的には「海外県」や「海外準県」などと呼ばれる海外領土のことを念頭に置いた語である(もっとも、以下、私の責任でこの植民地性という語をより敷衍したいのだが、それはイスラエルとパレスチナの関係を定義する語でもあり、多くの聴衆はそのことを常に想起しながら講演を聴いたのではないかと想像する)。これまで私が感じてきたことでもあり、また、今回の連続講演でもはっきりしたことだが、フランスでは「ポストコロニアル」という語がほとんど根付いていないし、それどころか、最近は「脱植民地主義(デコロニアリスム)」という言葉が、植民地を批判する者に対する蔑称の言葉として用いられている。要するに、「脱植民地主義」=「何でもかんでも脱植民地化と結びつけたがる左翼」というわけだが、脱植民地化闘争敗北の記憶がトラウマとして残っているフランスならではの言葉の使い方だと思う。要するに揶揄化することで、脱植民地化という語の重みをできるだけ少なくしようという、ある種の防衛が働いているのだろう。
10日間ほどの日程で5回の講演を行ったセルアさんの体力と気力には驚かされた。それをもっとも感じたのは、20日、一橋大学での講演の前に砂川闘争跡地も見学した時である。この日は東京での4つの講演の最後の回だったのだが、おそらくかなり疲労が溜まっていたはずである。じっさい砂川見学の後、セルアさんは1時間半ほど仮眠をとった。はたして無事講演ができるだろうか、という不安も少しはあったのだが、無事に講演、質疑応答、そして夜中まで続いた打ち上げまで、驚異的なスケジュールをこなした。なお、セルアさんは琉球大学での講演の後すぐさま成田に飛び、そこからニューカレドニアに向かい、そこにしばらく滞在してから、南アフリカに行くのだとか……。彼女はまさしく、旅する思想家なのである。