今年、うちのバルコニーは新芽が遅いな、暑いせいかなと思っていたら、クチナシを筆頭にしてイモムシにやられていたのだった。擬態の見事で葉裏に直接見つけるのは難しく、下に落ちた黒粒ウンチを手掛かりに探すしかない。ある朝も1匹見つけて鳥の水場用に置いた足高の丸い器の縁に置いた。間もなく雀が見つけるだろうと思った。しばらくじっとしたのちイモムシは縁の上を歩き始めた。目の高さを合わせて横から見ると、飛山城跡駅近くで見送った宇都宮ライトレールの車両みたいだった。もりもり歩いて何周もする。ある場所にくると必ず体を伸ばして、近くの棒につかまろうとするが届かない。日が射してくると今度は日陰を求めてこまめに移動し、身をかがめてじっとしている。日が高くなり全体が陰になると、またぐるぐる回りながら1箇所で体を伸ばすことを繰り返した。
ここでようやく雀。遅かったじゃない。イモムシは体を膨らませてくねくねしている。姿を見る前に鳴き声に反応したような。そしてもしやこれは威嚇? 雀は身を細くしてぴょんぴょんイモムシに近づいていったが、なんと退散。そうかぁということでタオルの代わりにサガエギボウシの葉を差し出すと恐る恐る上がってきて、一目散に葉の端に向かって突進(ちょっと怖かった)したかと思うとガシャガシャ食べ始めた。ここまでおよそ5時間のイモムシ劇場、歩いたのは直径20センチの円状の細い道、だがそこを堂々巡りしていたつもりはないんでしょう? ただひたすらまっすぐに歩き続けて、時々現れる棒きれに毎度ハッとして、その都度エイッと体を伸ばしていたんでしょう?
数日後、円城塔さんの新刊『ムーンシャイン』(創元日本SF叢書25 2024)が届いた。版元の案内に「判型:四六判仮フランス装」とあり、見ると確かに仮フランス装なのだがピカピカの表紙カバーが掛けられているのでどうにも仮フランス装っぽくない。というのはこちらの勝手なイメージだけれども、新潮クレスト・ブックスのように表紙も表紙カバーも紙はちょっとふんわりしていてほしかった。『ムーンシャイン』の表紙の紙はふんわりしているが、これにつるつるピカピカの表紙カバーは似合わないというか、これを掛けるならなぜわざわざ仮フランス装にするのかなと思ってしまう。版元の創元日本SF叢書シリーズの案内には必ず「仮フランス装」が付いているから、これが1つの売りになっているのだろう。SNSの告知で仮フランス装をわざわざ明記する版元や装幀家は多いし、読み手も仮フランス装は美しいとかおしゃれとか素敵とか言っている。
「フランス装」ではなくて「仮」をつけた呼び名がいつの間にか定着していたということだ。そのあたりのことをネットで検索したら自分が書いたものがヒットしてしまった。アルアルだと思うけれども、よりによってこの連載の62回目(https://suigyu.com/suigyu_noyouni/2010/08/-62.html)だった。14年前の夏にここに書いていたことをすっかり忘れ、書いた内容もほぼ頭から消え、結局いつも同じようなことをあれっ?と思い、調べ、納得し、やがて忘れ、そしてまたあれっ?と思い……を繰り返していることをあらわにされて愕然とした。それでさっきのイモムシ劇場が自分の身に重なったという次第。ハッとしてエイッと体を伸ばすときはいつだって新鮮だし真剣なんだけれどもね。とりあえずここではインターネットにありがとうを言うしかあるまい。私の身体から離れた私の記憶を私の外の貴方が持っていてくれたことに対して。
改めてクレスト・ブックスの装幀について追って見ると、新潮社の自費出版のサイトの「本作りの基礎知識」の中に「クレスト装」という項目があった。〈「新潮クレスト・ブックス」のために、弊社装幀部が新しく開発したもので、現在は他社でも使われています。独特の手触りを持つ紙を用い、周囲を折り返して糊付けした表紙が特徴です。「仮フランス装」と呼ばれる製本法がベースになっています。新潮社の自費出版では、この製本方法もお選びいただけます〉。「新潮社 本の学校」というオンラインの教養講座のSNSでも「クレスト装(クレスト表紙)」として大いに宣伝していた。「新潮社 本の学校」では製本ワークショップも行なっているようで、2021年には加藤製本(株)が「新潮クレスト・ブックスの束見本ノートを作る会」なるものをやっていたようだ。新潮社は「クレスト装」と呼んでとにかく推していることがわかり、その説明において「仮フランス装」なる呼称への敬意もわかった。今後は私がイメージしてきた「仮フランス装」は「クレスト装」で、「仮フランス装」は表紙カバーの質感を問わないものだと考えればいいだろう。
「丸フランス装」なる呼び名もこのたび知った。丸背の仮フランス装だが、東京創元社のサイトに『Q』(ルーサー・ブリセット著、さとうななこ訳 2014)が「判型:四六判丸フランス装」と記されており、刊行時にはそのことも大いに宣伝されたようだ。製本を担当した加藤製本(株)のサイトを見ると、〈丸背小口折&丸フランス誕生! 丸背の小口折本、仮フランス本を開発し量産化に成功しました(2013年12月)〉とあるから、実際に市場に出た初・丸フランス装は『Q』だったのかもしれない。丸山健二さんの『ラウンド・ミッドナイト 風のなかの言葉』(2020 田畑書店)もこれだった。手元にしてみて、版元がいう「仮フランス装・丸背」そのとおりと思ったが、装幀が重厚なのに、そこになぜ表紙が柔らかい仮フランス装を組むのかなと思った。言い方が逆かもしれない。とにかく、片手で持って読み倒せと誘うようでいて真逆の拒絶も感じられ(内容ではなくて装幀・造本の話です)、ただこれは当時の私の印象を思い出しているに過ぎないので、今、改めて確かめようとしたが棚に探せず、そうだ、これはまさに「仮フランス装・丸背」の見本としてあの人に貸したままだったと思い出した。連絡します!
久しぶりにいろいろな製本会社のサイトを見て、「仮フランス装」や「丸フランス装」や「丸背フランス装」の説明もいろいろ読んだ。中でも渡邉製本(株)のnoteがタンドツよくて、「国名がついた3つの製本様式 (その1)フランス装編 フランス・ドイツ・スイスがあるのに、イタリアがない?」(2022.8.25)では、「本フランス装」と「仮フランス装」の違い、仮フランス装の機械化には製袋用の機械が応用されたこと、「フランス装」と「小口折製本(雁垂れ製本)」の違いなどもおもしろく読んだ。自社で作ったものを見本として写真や図解で説明したり、依頼者とのやりとりも紹介している。「フランス装で」と依頼されて見積もったが依頼主が思い描いていたのは「小口折表紙製本」だった、なんてこともあるらしい。響きのいいこの呼び名は、今もまだ一人歩きしがちなのかもしれない。
イモムシつながりで最後に1つ。鎌倉文華館鶴岡ミュージアムで開催中の『蟲??? 養老先生とみんなの虫ラボ』展に、イモムシ画家の桃山鈴子さんが参加されている。飼育中に集めたウンチを煮出して染めた紙にも描いてるらしい。工作舎のnoteにある桃山さんのエッセーによると、ウンチ染液の色や香りはイモムシの種類によって十虫十色、食草の香りがするそうだ。〈うんちといっても原材料は植物。イモムシの代謝を活用した草木染めといってもいいのかもしれない〉。私もせいぜい身体を使いきって生きていきたい。