『アフリカ』を続けて(29)

下窪俊哉

 前回、『アフリカ』の表紙を飾っている切り絵の作品数を、2枚(表紙と裏表紙)×34号=68作と書いたのだが、切り絵を使っていない2009年3月増刊号も34分の1にカウントしているのと、表紙から裏表紙にかけて1枚の切り絵を巡らせている号もあるので、正確ではなかった。表紙に使われなかった切り絵も含め全81作という数字も、現時点で私が確認できている数であって、これから新たに出てくるものがあるかもしれない。
 他の人にすれば、そんなことはどうでもいいことのように思われるかもしれないが、私にとって、できるだけ正確な情報を探って、残しておくことがすごく大事なことのように感じられる。

 次号の表紙は色のついた切り絵を使ってカラー印刷する気で満々だったのだが、装幀の守安くんに全作品の画像を送ってメールのやりとりをしていたら、「こんな作品、あったっけ? すばらしいね! 今回はぜひこれを使いたい」と言われる切り絵があり、白と黒だけの作品なので、いつも通りのモノクロ印刷でゆこうと決まった。
 今後は表紙のみカラー印刷でゆこうか、という考えも頭の中にはあったのだが、やめておけ、ということかもしれない。
 オール・モノクロの小冊子で、制作費を抑え、身軽に号を重ねてゆこうという原点に、再び立ち返ってみよう。
「しかし、そのときはどうして、これを表紙にしなかったんだろうね?」と言われる。
 そんなことを訊かれても、例によって、思い出せないのである。想像するしかない。しぶとく想像して、それを元に作業を進める。

 10月末、『アフリカ』vol.35(2023年11月号)の入稿をすませたところだ。アフリカキカクのウェブサイトに目次を出したので、その内容について少しずつ触れておこう。

 ラストを飾っているなつめさんの「バウムクーヘン」が、じつは一番早い時期にもらっていた原稿で、見開き2ページの掌編。コンビニで初めて「バウムクーヘン」を購入したなつめさんが、それをどうやって食べたらよいのか、と考えている。それはどうやら、とても困難なことのようだ。もともとは『道草の家のWSマガジン』に送りそびれた(?)ものとして送られてきたのだが、これ、『アフリカ』に載せません? となった。

 戸田昌子さんの「喪失を確かめる」は「いくつかの死」をめぐるエッセイで、後半は「外部から眺めるしかできなかった喪失の出来事」として、戸田さんがたまたま遭遇した9.11のニューヨークへゆく。写真を撮るとは、どういうことなのか。書くとは、どういうことなのか。「喪失を確かめる」とは、どういうことなのか。個人史から見た写真論であり、文章論であると言える。読んでいる私は、この文章を傍らに置いて、いろんなことを見てゆきたいというふうに感じる。

 犬飼愛生さんの「ドレス」は、忘れもしない、向谷陽子さんの訃報を伝えるメールの返信として届いたもの。自分もいつ、どのようにして死ぬかわからないと思うと、出し惜しみしている場合ではない、書けたものを送っておきたい、と。「こどものための詩シリーズ ①」とある。「『アフリカ』は続ける気がない」と言っているのに、こうしてシリーズを構想している人がいる。前号の「寿司喰う牛、ハイに煙、あのbarの窓から四句」とはまた全然違う、新境地。犬飼さんはエッセイ「相当なアソートassort」シリーズの新作「家出」も寄せている。

「日記と小説」はこの春、夫婦で静岡から北見(北海道)へ移住/引っ越しして、そこに至る日々を日記形式で綴った本『たたかうひっこし』をつくったUNIさんのインタビュー。聞き手は、私。じつはその直後にUNIさんは「円満離婚」して、故郷・神戸へ戻ることになっていた。そんな夏の終わりの、ある朝のオンラインによる対話。子供の頃から日記を書く習慣があったというUNIさんは、ある日突然、病院の待合室で小説を書き始めた。なぜ書くのか、何を書くのか、どうやって書くのか、といったことを幼少の頃から現在まで、彼女の人生を語ってもらいつつ、共に考えているといったもの。

 スズキヒロミさんによる「その先の、今の詩集」は、犬飼さんの新詩集『手癖で愛すなよ』について何か書いてもらえないだろうか、とお願いして実現したもの。誰か文学者に依頼して犬飼愛生論を書いてもらうことも微かに考えないではなかったが、『アフリカ』では市井の、いち読者がどんなふうに詩を読んでいるか表すものを載せたい。スズキさんは『アフリカ』の愛読者で、『道草の家のWSマガジン』には何度か書かれているけれど、今回のようにまとまった原稿を発表するのはたぶん初めて? 草稿をくり返し読ませてもらって、興味深いやりとりがたくさんできた。

 私の小説「ハーモニー・グループ」は「朝のうちに逃げ出した私」(作品集『音を聴くひと』に収録)の流れに属している短篇で、これは駅前の広場で歌っているグループの中のひとりによって、その場が語られるというもの。このような短篇や、もっと小さな断片を集めて編んで、ある女性の音楽家を描こうとしているのだが、まだどうなるかわからない。

「『アフリカ』の切り絵ベスト・セレクション」は9月に一度完成させていたが、10月に再構成した。切り絵の原画は殆どがポストカードになっているので、そのサイズで見てもらおうと厳選していたのだが、縮小してもいいからもっとたくさん作品を見てもらおうというふうに方向転換して、賑やかになった。2013年の向谷さんによるコメントに、2023年の私のコメントを加えて、制作の舞台裏も伝えている。実際には行われていない展覧会の図録のように感じられたらいい。

『道草の家のWSマガジン』からは今回、矢口文さんの木炭画「夏草の勢い」を転載。ウェブマガジンで見るのと、印刷されたもので見るのでは、また違った印象を持たれるかもしれない。『WSマガジン』には絵の背景を伝える文章もあるのだが、それはあえて省いて、絵だけを載せた。

 今回は編集後記を書くのが怖かった。そこで向谷さんのことを書いてしまったら、いよいよ本当に、何かが終わってしまうような気がして。書きながら、声に出して読んでいたら、悲しくて仕方なかった。でも、それくらい正直なところが、表れているような気もする。とくに最後の数行が、なかなか出てこなかった。しばらく苦悶したのだが、最後にはちゃんと出てきてくれて、「まだ終わらないね」ということを確かめたのだった。