赤い表紙の中に、18年前の、あの「蝶」が蘇っている。『アフリカ』vol.36(2024年7月号)が完成した。今回はいつものように、7/2024 アフリカ の文字が表紙に置かれている。前号は、切り絵の作者・向谷陽子さんが存命のうちに企画されたものだった。向谷さんの急逝によって、追悼号とは呼ばなかったが、そう感じられるものになっていたと思う。これからも『アフリカ』が続くとすれば、次は、おおきな、おおきな再出発の号になる。その表紙には、『アフリカ』創刊の号(2006年8月号)の表紙に使わせてもらった切り絵の「蝶」を呼び戻したい、と考えた。今年の3月、亡くなって半年になる向谷さんを訪ねるため、広島へ向かっている新幹線の中で突然、思いついたアイデアだった。
表紙の色を決めたのは、装幀の守安涼くん。これまで、『アフリカ』の表紙に同じ色の紙を使ったのは2回あり、私・下窪俊哉の作品集『音を聴くひと』の表紙も同じ色だ。何か大切なタイミングでこの色が出てくるような気もするし、ただ彼の直感によるものとも言える。目立つ色と言う人もいるけれど、私にとっては赤は、夜の色というか、ひとりひとりの中で静かに燃えている小さな火の色というか、実際に、赤い表紙に浮かぶ切り絵は、どこか沈んだ様子でもあり、重要なものがそこにあるように感じられる。
表紙を開くと、田島凪さんのエッセイ「Where the streets have no name」が、いきなり始まる。今号の巻頭言と呼んでみたくなる短文で、2ページを駆け抜ける。とはいえ、歩く速さについて書かれている。この時代、世界情勢の中で、いまにも駆け出しそうになる衝動を抑えて、書かれている生きてゆくための歌。歩く速さで書き、生きてゆきたいと私は願いながら読む。
いま、『アフリカ』の最初の号を再びつくるとしたら、どうなるだろうか。もし本当にそうなるとしたら、短篇小説が4つ、集まるのではないか、と思ったあたりで前回は終わっていた。自分は書けるとして、あと3人。誰だろうとつぶやきながら待っていた。正直なところ、集まっても2篇か、多くて3篇ではないかと予想していた。しかし、4篇、集まったのである。
守安涼くんは現在、故郷の岡山で吉備人(きびと)出版に勤め、「おかやま文学フェスティバル」の運営にもかかわっていて、最近は乗代雄介さんのワークショップに参加してもいるらしい(「引率者」でもあるのかもしれない)。
ペンとノートを持って歩き、各々がここ、という場所を見つけて、そこから見える風景を文章で書くワークショップなのだそうだ。その「風景を書く」というのは、私には、小説を書くうえで最も重要なことのように感じられるが、絵を描く人がするように、その場所で実際に見ながら書くということは、殆どしたことがなかった。なので興味津々になって話を聞いていたら、その風景描写を『アフリカ』にも書いてみたい、と言い出した。
今年の2月に出た乗代雄介ワークショップの作品集『小説の練習』という本が、いま手元にある。そこには乗代さんと守安くんを含め10人がペンとノートを持って歩き、書き記した風景が収められている。乗代さんはその文章の中で、こう書いている。
この文章の中で私自身がなんとか信を置けるのは、風景描写の部分だけである。
その一文に、私は少し反論したい気持ちもあるのだが、「小説」とは、まず「風景」である、と言ってみたいような気もするのである。そこで守安くんが書いているような「風景」を『アフリカ』にも載せられるのなら、ぜひ載せたいと思った。しかし実際に送られてきた原稿は、ただの「風景」ではなかった。「風景を書くひと」の小説になっていたのだ。彼が『アフリカ』に小説を書くのは初めてではないが、調べてみたら2007年10月号の「なつの蝶」以来だそうなので、じつに17年ぶりということになる。その間、彼が創作への情熱を失っていなかった様子に、私は嬉しくもなった。
風景を見て書く場合、当然かもしれないが、見ている場所から見える範囲でしか書けない。また、そのときにはまだ見えていなかったことは書けない。当たり前じゃないかと言われるかもしれないが、その当たり前のことを出来ていない文章が書かれているのをたくさん見ているので、これは強調して言いたいような気がする。
守安涼「センダンの向こうに」は、「風景」の提示にとどまらず、「風景を書くひと」が登場して動き回るところまで来ている。
UNIさんは近年の『アフリカ』で、短篇小説をコンスタントに書き続けてきた数少ない人であると言えそうだ。しかし最近は、激動の人生を歩んでおり、あまり書けないと聞いていた。半ば諦めていたのだが、『アフリカ』vol.36には以前書いてあった未発表の原稿を出したい、と連絡が来た。なるほど、ストックがあるわけか! と思って喜びつつ、「まだ時間があるので、推敲はしてみてください」と伝えておいた。
そのあと推したり引いたりして届けられた「毛玉」は、女性の生理を中心に置いて、感覚的に(生々しく)迫りながら、子供のいない夫婦を掘り下げて書いてある。前号の『アフリカ』でUNIさんにインタビューした際には、「男性脱毛とかタトゥーとかに思いを寄せている人の話」を書きたいと語っていたが、「毛玉」に出てくる「わたし」の夫は慣れない化粧をして登場して、語り手はショックを受ける。その問題はきっとUNIさんの小説にとっての仕掛けであり、核心はきっとその向こうにある。その後が、小説になるのである。
戸田昌子さんは前号に「いくつかの死」をめぐるエッセイを書いていたが、その後に話していたら、自分も小説を書きたいと言い出していた。私は半信半疑だったが、「水牛のように」で書かれている「話の話」も一歩間違えたら(?)小説になりそうだと言ったような気がする。そのとき、小説を書くことについての話の流れで、私は「踏み込む」という言い方をしたらしい。戸田さんが即座に反応した、そのときのことばはよく覚えている。「小説っていうのは、踏み込むものなんですね?」と言われたのだった。
戸田さんから今回、届けられた「明け方、鳥の鳴き出すとき」は、初めて書いた小説ということだ。
自らの中によくわからない「欠落」を得たことによって、エコール(学校)とは別の場所へゆき、新しい先生と出会った少年(ウジン)が、何を、どのようにして発見して、成長していったのかという物語なのだが、これって「音楽小説」ですね? と私は返信のメールで書いていた。ウジンは音楽を通して、何かを発見するのである。それをどう見出すか、という小説であり、戸田さんにとって「音楽」とはどのようなものであるのか、これを読めば、ありありと感じられる、というふうになっているはずだ、と思った。
Kahjooeさんの『展開する鏡の夜』という音楽作品を元に書かれた小説だそうで、各セクションのタイトルも『展開する鏡の夜』によっている。いま私も、そのCDを回して聴きながら書いている。
そうなれば、あとは自分の小説だけだ。
乗代雄介さんの「なんとか信を置けるのは、風景描写の部分だけである」に対して、「少し反論したい気持ちもある」と書いたが、私には、小説とは「風景」の中に「声」が聴こえているものなのである。彼の、その文章には書き手(風景を見るひと)以外の人が出てこないので仕方のないことかもしれないが、幻でも何でも、願えば、声は聴くことができるのではないか。
今回の「別れのコラージュ」では、20年前のことは意外なほどに覚えていないものだ、という自分自身の最近の発見から、それくらい前に別れてから会っていなかったかつての恋人同士が久しぶりに再会するという話を書いた。彼らが恋人だった過去についてわかることは全て、ふたりの会話の声の中にのみ存在する。『アフリカ』vol.36の中で、最も会話の息が長い小説になっていると言える。
再開発で街が全く別のものに変貌してしまうということも、小説という「風景」の中に置いて、書いてみたかった。その街を日常風景として行き来する人ではなく、旅人の視点で書けば、現在も過去も、未来も含んだ柔らかな詩のようにならないかと思い、願いながら書いた。そうしたら、あの時代の、どうしても思い出せないあの街の駅の、具体的な細部が見えてきそうな気がした。
犬飼愛生さんは前号に続いて「こどものための詩シリーズ」と、短いエッセイの「相当なアソート assort」シリーズの新作を寄せている。
「こどものための詩」である「先生あんな」は、「帰りの会」のあとで先生に話しかけるこどもの声で始まる。努めて関西弁で読まなければならないのだが。
先生あんな
わたしのお父さん、ほんとうのお父さんじゃないねん
大人が読むと、ちょっと切ないようなことを言っているのだが、この詩の語り手が「こども」であることを思うと、切ないということばで簡単には片づけられない。この子(女の子であろうと思われる)は、困惑しているようである。
犬飼さん曰く「お漬物」的な(メインディッシュにならない)エッセイである「相当なアソート assort」では、今回は「アイロン」のことを書いている。「アイロン掛けが嫌い」だという話に始まり、あっという間に終わる。掛けたくないならサボればいいし、掛けたいならさっさと掛けたらよい、と思うが犬飼さんは大真面目に考えていて、ふっと笑ってしまう。しかし今回は編集人からの度重なるダメ出しに耐え、よく仕上げたと思った。こんなに短いのに、と思うかもしれないが、短いからこそ書くのは難しいものである。
前号の「夏草の勢い」に続き、矢口文さんの絵もある。小説やエッセイと同じ扱いにして、目次にも載せている。今回は「The Blackboard」である。「夏草の勢い」からすると、一気に抽象化された感じだが、私には地続きのものとして感じられている。矢口さんという画家も、どんどん”踏み込んで”くるので、やっぱりね! という気がして嬉しい。
小林敦子さんの「再びの言葉」、小林さんというのは私が『アフリカ』を始めるきっかけとなった人で、この連載にも何度か登場している、当時の筆名は神原敦子だった。現在は就実大学人文科学部の“教員”であり、最近は学生たちの創作を集めた『琴線』という雑誌をつくってもいる。3月に岡山へ行った際に再会し、「書きませんか」と話したら、「書きたい」とのこと。送られてきた「再びの言葉」には、シングル・マザーとなり、子育てをしながら文学への不信が生まれ、長い時間をかけて再び「文学」を見出してゆく過程が書かれている。その「文学」とは、かつて感じられていたものとは、かなり違うものであるようだ。それはおそらく、殆ど文学と呼ばれることのないような、ちょっとした声である。
今月、7月2日(火)から7日(日)にかけては、向谷陽子さんが『アフリカ』のために制作した切り絵の一部が、作者の故郷・広島で展示されます。陽子さんの母(向谷貞子さん)が「三人展〜娘と母と私〜」と題して企画した家族展で、切り絵のほかに人形、鎌倉彫、折り紙が展示されるとのこと。会場はギャラリー718(広島市中区袋町7-18)、会期中は休みなく11時から17時まで。
それに合わせて、アフリカキカクでは「『アフリカ』の表紙と切り絵 2006-2023」という印刷物を作成しました。会場では無料配布される予定で、『アフリカ』最新号をご注文いただく方へはオマケとして同封しています。
こんなふうにして『アフリカ』は、まだ続いている。自分が死んだらどうなるだろうなんてことは、考えなくてもよいということにした。行けるところまで行こう。旅を、続けましょう。