傘を嘆ず

篠原恒木

傘について思うところを述べたい。
傘はなぜ進化しないのか。
ヒトは雨が降るといまだにあの傘をさしている。おれもそうだ。
だが、傘をさすたびにおれは思う。
「なぜこの傘は傘のままなのか」
不思議でならない。人類が雨に濡れない方法は「傘をさす」こと以外にないのか。だって、これだけテクノロジーが進歩しているんですぜ。
電車に乗るときも切符を買わずに済むし、駅員も改札口にいない。カードをピッとかざすだけだ。建物の中に入るときも入口に立てば自動でドアが開く。クルマだって自動運転機能が搭載されつつある。部屋の掃除もルンバが勝手にやってくれる。観たいTV番組、聴きたい曲はアレクサに言えばすぐ流れてくる。インターネットから3Dプリンター、VRまで登場してきた。そうそう、AIで音楽もアートも小説も作れちゃう。先端医療も日進月歩だ。

なのにだ。傘は相変わらず傘ではないか。これだけいろんなものが進化を遂げてきているのに、雨が降ると、いや、たかが雨ごときに対して、人類はあの傘に頼るしかすべはないのが現状である。雨に濡れたくなければ「やれやれ」と溜息をついて傘をさすしかないのだ。この現状は信じがたい。霊長類ヒト科が技術革新をいちばんなおざりにしてきたツールは間違いなく傘だろう。

傘の構造は原始的だ。和傘も洋傘もたいして変わりはない。はたして傘は目覚ましい進化を遂げてきたのだろうか。検証してみたい。
ジャンプ傘が登場してきたときは驚いたが、よく考えたら何のことはない、バネの力で自動的に開くだけだ。畳むときは自力で手がびしょびしょになる。折り畳み傘は不器用なので使ったことがない。ビニール傘は比較的安価だが、強風が吹くと悲惨な目に遭う。
「この暴風雨のなか、傘をさしていることにどれほどの意味があるのか」
と思いながら歩いていると、たちまち傘は裏返しになり、無残にも骨はバラバラに破壊されてしまう。あれは恥ずかしい。惨めだ。ずぶ濡れで新しい傘を買うためにコンビニを探すはめになる。

降っていた雨が止むと、傘ほど邪魔なモノはない。大荷物を抱えているときなどはなおさらだ。この傘さえなければ両腕の自由度が少しは増すのに、と歯嚙みしながら歩くことになる。
「傘を捨てればいいだろう」
という声もあるだろうが、どこに捨てればいいのだ。そんな場所は見当たらない。厄介極まりない存在だ。

傘というものがどうにも好きになれなかったおれは、ある名案を思いついた。十年以上も前のことだ。
「高級品を買えば、傘への愛着心が芽生えるかもしれない」
おれは思い切って英国王室で愛用されているフォックス・アンブレラを一本購入した。当時の値段で五万円以上だったと記憶している。分不相応だとは自覚していたが、傘という原始的なツールに価値を見出したかったのだ。
このフォックス・アンブレラは逸品だった。傘の生地に当たる雨粒の音が全然違うのだ。熟練の職人が手作業で高いテンションをキープしながら貼っているので、雨粒が弾かれるような、イキがよくてきめ細かい音を立てる。雨が傘に当たる音で心地良さを感じたのは初めてのことだった。
傘を畳むと、不器用なおれでも信じられないくらい細く畳めた。まるでステッキのように細身になる。素晴らしい出来栄えの傘だった。おれは傘も悪くないな、と初めて感じた。
だが、この傘はすぐに盗まれた。雨の夜、食事をするため店の外にある傘立てに置いたら、帰るときには消えていたのだ。おれは泣きながら帰った。おれの頬を濡らしたのは雨ではない。紛れもなく涙だった。

以来、おれはますます傘が嫌いになった。雨に濡れないためには傘しかないのか。あの傘が人類史上最終形の雨除けなのか。だとしたら人類はいままで何をしていたのか。「狼煙→手紙→伝書鳩→電報→固定電話→携帯電話→スマートフォン」という通信手段の目覚ましい進歩に比べて、雨除けは「傘→傘→傘→傘→傘」のままである。現代のテクノロジーをもってすれば、傘なんてささずに雨の中を歩ける方法くらいは朝飯前に開発できるのではないだろうか。

おれはツマにそのことを話題にした。すると敵、じゃなかった、彼女はこう言い放った。
「バッカじゃないの。傘だって進化してるじゃない。折り畳み傘、ジャンプ傘、ビニール傘、みんな世紀の大発明でしょ?」
「いや、傘でなくてさ、もっとこう、最新テクノロジーを活用してさ」
「たとえば?」
「うーん、手の平サイズのボタンを押せば、自分の体が透明なバリアに包まれて、そのバリアが雨を弾くとかさ」
「バリアの中でどうやって息をするの?」
どうやらツマは完全に論破モードに入っているようだった。
「そ、そうだね、この話は忘れてくれ」
「バッカじゃないの、本当に。寝言は寝て言ってよね! 傘がなかったらアンタの好きな映画『雨に唄えば』も『シェルブールの雨傘』も作られなかったでしょ?」
「そうだねそうだね、『カサブランカ』もそうだね」
「全然面白くない、それ」
ツマはカサにかかって攻めてきた。君の瞳に完敗。