8月某日 なつかしい死者が帰ってくる。記憶の蓋がそっとひらかれる夏の夜、かならず読み返すのが詩人・作家の原民喜の小説集『幼年画』だ。原爆投下直後の広島の惨状を描いた小説「夏の花」の作家が、原爆投下以前の幼年時代を追想し描いた美しい短編小説集。編集を担当し、初版はサウダージ・ブックスから、新版は瀬戸内人から発行。多くの方に読んでほしいと願う一冊。8月5日、特別な思いを込めてこの日を本の発行日にした。広島に原爆が投下される一日前、そこにあったかもしれない日常が描かれているから。奪われてはならない、すべてのものたちの記憶の光。
あれはゆるい船だが
春風が麦をゆらがし
子供の目にはみんな眩しい
まっ白な帆が浮かんでいる
——原民喜「白帆」
子どもたちの目に映るこんな風景が、いつまでもつづきますように——。そんな願いを胸に、『原民喜全詩集』(岩波文庫)もひもとく。
8月某日 「いや、なんでもないんだけどさ」。尊敬する作家から電話がかかってきた。コロナ禍の中で出版社を辞め、失業した自分を心配してくれていた。心の中では「先生」と呼ぶその人の電話番号から別の日にも、2回着信があった。が、どうしても受け取れなかった。畏れ多いという気持ちもあるし、いつか本を作りたいと願いながら、こちらの都合で小さな原稿を一回もらっただけで、結局、書籍編集者として何もお返しをできなかったからだ。厳しくも優しい人だから、自分の退職の知らせを受け取ったら、連絡がくるかもしれないとはどこかで思っていたのだが——。これまでは、携帯電話のモニターに映る受け取れない先生の番号をじっと眺めながら、感謝の念を込めて合掌するしかなかった。ところが、3回目の着信となるともう無視することはできない。覚悟を決めて通話のボタンを押す。直立不動の姿勢で「もしもし……」と答えると、全身からぶわっと汗が吹き出した。
緊張のあまり途中何を話したか覚えていないが、「なんでもないんだけどさ」と先生が繰り返す声にずいぶん救われた。6月から失業中の身分で無意識のうちに凝り固まっていた心身がようやくほどけた感じだ。「まあ、のんびりやっていこうか」というおだやかな気持ちになれた。声の力ってあるんだな、と。当たり前のことだが、困っている人がいれば、特にそれが自分よりも若い人であれば、必要なタイミングで必要な声をかけることは、やはり大切なことなのだと実感した。そういうことをするにも勇気や覚悟がいるだろう。先生のように、こうした振る舞いが自然にできる人間になれるよう老いていきたい。
電話の最後にはこんなやり取りをした。以前、自分が瀬戸内で暮らしていた時、毎日のようにフェリーに乗って仕事場へ通勤し、本を読んだり編集の作業をしていたことを話したことがあって、世界各地を放浪し旅を愛する先生からは「あの話、面白いからエッセイを書いてみたら」と言われた。実は会うたびに(と言っても数年に1回のペース)言われることで、自分としては面白いとは思えず。今回も「ええ、まあ……」と言葉を濁すような返事をしたのだが、「ブラジルや沖縄・奄美を旅していた時も、瀬戸内に暮らしていた時も、バスや船の中で夢中になって読みつづけてきたのはあなたの小説なんですよ」と心の内でつぶやいていた。
8月某日 大雨の荒れ模様の日々。レインウェアを着て雨の中を歩くのは好きなのだが、災害級の雨ではそうもいかない。テレビやネットには人を不安にさせる情報ばかりが氾濫している。天候や気圧の変化によって心身の不調もつづき、ついに寝込んでしまった。しばらくは家に引きこもり、床やソファの上に積み上げられた書物の山を、ただじっと眺めて耐えるしかない。医学書院の「シリーズ ケアをひらく」など介護・福祉関係で読みたい本がたくさんあるのだが。
8月某日 『忘れられない日本人移民』(港の人)の著者で在ブラジルの記録映像作家・岡村淳さんのSNSでの投稿で、画家・富山妙子さんの訃報に接する。愛読する金芝河やパブロ・ネルーダの詩集の日本語版の装画として富山さんの作品に出会った。それは詩のことばとともに、強烈なメッセージを語りかけるものだった。絵画や版画によって歴史の忘却に抗い、民主化のためにたたかい、人間の尊厳を希求するものたちの姿を描き続けた富山さん。その仕事に目を開かれた一人として、深い尊敬の気持ちをこめ黙祷を捧げる。本を読みます。
8月某日 『K-BOOK Review & Interview キム・ヨンス』が届いた。韓国の小説家キム・ヨンスのインタビュー、日本語に訳された著作のレビューなどを収録したフリーマガジン。短編小説集『世界の果て、彼女』(呉永雅訳、クオン)の書評を寄稿した。そこでは書けなかったが、呉永雅さんの翻訳がすばらしいと思う。呉永雅さんが訳したほかの韓国文学の作品(イ・ラン『悲しくてかっこいい人』(リトル・モア)など)もいろいろ読んでいるのだが、原文から移し替えられた日本語の文章の繊細さに、読み終わるたびなんとも言えない心震えるものを感じる。マガジンには江南亜美子さん、栗林佐知さん、棚部秀行さん、瀧井朝世さん、竹垣なほ志さん、高野真里さんのレビューが掲載。作家のバイオグラフィーやメッセージもあり、大変読み応えのある内容だ。
8月某日 鎌倉の海辺で、アメリカのミシガン大学へと旅立つ上野俊哉先生と会う。むかし大学で1年以上講義に出席していたからごく自然に「先生」と呼ぶのだが、制度的な教師-学生という間柄だった時代にはそれほど話す機会もなかった。その後、奄美群島や徳島・祖谷など、旅の道中で先生と出会い、ともに遊び、おしゃべりする中でいろいろなことを教えてもらっている。今回は、英語圏における現代思想とエコクリティシズム(環境批評)の動向など。話を聞いて、パンデミックや深刻な気候変動などの苦境に直面する危機の時代について考えるために、20世紀に読んだもののよくわからなかった環境思想を読み直すことも必要だろうと思い立つ。上野先生の思想書『四つのエコロジー』(河出書房新社)を参考書にしながら、フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』(杉村昌昭訳、平凡社ライブラリー)の精読をはじめる。
8月某日 8月28日は詩人・山尾三省の命日。今年2021年は没後20年にあたる。今月に入ってやはり記憶の蓋が開かれたのか、雑誌『TRANSIT』の元副編集長である池尾優さんがウェブマガジンの『GARVY PLUS』で三省さんの詩文集『火を焚きなさい』(野草社)を紹介し、西日本新聞のデイホスピス記事では彼の詩「一日暮らし」が取り上げられていた。7月からは、講義録のエッセイ集『新装 アニミズムという希望』(野草社)の書評が共同通信社より配信され、全国の地方紙に掲載されている模様。評者の作家・宮内勝典さんは《山尾が亡くなった14日後、米中枢同時テロ「9・11」が起こった》と指摘。以下の宮内さんの書評のことばを何度も読み返しながら、詩人が遺した「希望」についてあらためて考えている。
《宗教が対立を避ける地平を構築しなければならないとして、教祖も教条もない「アニミズムこそが希望である」というかれの言葉に、わたしたちは改めて共感した。新型コロナウイルスがまん延するさなかに読み返すと、この本がまさに予言的であることに気づかされる》
2018年に山尾三省生誕80年出版を企画し、『火を焚きなさい』などの新しい詩文集、そして旧作の詩集やエッセイ集の復刊の編集を出版社の野草社で担当してきたが、今年の4月に刊行された『新装 アニミズムという希望』で仕事に一区切りついた。しかし、世の中に本を送り出しただけでは、志はまだ道半ば。詩人のことばを一人でも多くの人に確実に届けることが自分の使命だと考えている。退職によって版元を離れたので今後は個人の立場で、「新しいアニミズム」「生命地域主義(バイオリージョナリズム)」を掲げる彼の詩と思想の今日的な意義を紹介する仕事に取り組んでいこう。近年、環境活動家グレタ・トゥーンベリさんの発言や、「人新世(アントロポセン)」という考え方が注目されているが、山尾三省はまさに「人新世」の詩人だと思う。エコロジーの問題に関心を寄せるより若い世代の読者に、三省さんのことばのバトンを渡していきたい。
8月某日 税務署に開業届を提出。フリーランスの編集者・ライターとして仕事をはじめることにする。どうなることやら。
8月某日 山尾三省の命日には、詩人が暮らした屋久島で「三省忌」が開催される。例年、法要がおこなわれた後、参加者の集いの場がもうけられ、2018年と19年には自分も参加したのだが、コロナ禍の中では島外からの出席は控えなければならない。今年は「三省忌」に関連して、『新装 アニミズムという希望』に解説を寄せた霊長類学者・山極寿一さんと、山尾三省記念会のみなさんが語るイベントがオンラインで開催されるというので、視聴した。屋久島で生前の詩人と深く交流し、思い出を語る皆さんが元気そうでうれしい。山尾三省は1977年、耕し、詩作し、祈る生活を求め、家族とともに東京から屋久島に移住した。島との出会いはもちろん、島の自然・歴史の中で生きてきた人たちの「ことば」との出会いが、三省さんの詩を深めたのにちがいない。そんなことを思った。
8月某日 ああ、たまらなく屋久島に行きたい——。部屋で島在住の写真家、山下大明さんのすばらしい写真集『月の森』(野草社)を眺めながら、ため息とともに声が漏れた。せっかくフリーランスになったのだから、年に2か月ぐらい島に住めないだろうか。編集や執筆のリモートワークをしながら、山尾三省の詩と思想の自主研究をする——。コロナののちに、そんなことが実現するといいなと思いつつも、当分島に行けそうにない。旅をすることはできないので近所の森を散策し、お気に入りのメタセコイアの巨木に会い行った。三省さんは縄文杉と呼ばれる樹齢2000年以上の屋久杉の巨木を「聖老人」と呼んだが、今のところ自分にとってはこの木が「聖老人」。背の高い赤胴色の太い幹をさすり枝々を見上げながら、キム・ヨンスの小説「世界の果て、彼女」がほかならぬメタセコイアをめぐる物語でもあることを思い出した。