1月某日 年末の深夜から年始にかけての静かな時間に、かならず読む長編小説がある。たった1人でおこなう儀式のようなものとして。研ぎ澄まされた文学のことばによって、1年のあいだに自己にまつわりついたさまざまな贅肉をそぎ落とし、むき出しの裸の心でふたたび世界に向き合うための作業。宮内勝典『ぼくは始祖鳥になりたい』(上下、集英社)。1998年の刊行時から23年間、ずっと続けている。
1月某日 チョ・へジンの長編小説『かけがえのない心』(オ・ヨンア訳、亜紀書房)を読了。物語の背景にあるのは韓国の海外養子制度、米軍の基地村の女性たちの存在。そしてフランス在住の韓国系の国際養子が帰郷の旅で直面する、翳ある家族の歴史。だがそこには、苦難の時代にあってなお生きることの尊さに心を傾けずにはいられない人びとの姿もあった。「自分」が奪われそうになる恐怖や悲しみの中で、過去と未来につながる記憶が、信じるに値する何かへと変わる。主人公ナナの抑制の効いた語りを通じて、その変化のプロセスがじんわりと伝わってくる滋味深い作品だった。翻訳がよかった。
1月某日 出版社で営業の仕事をする橋本亮二さんのエッセイ集『たどり着いた夏』(十七時退勤社)を読了。動き続ける感情の輪郭を指でなぞるようなことばたち。揺らぎの中に、たしかさがある。どうしたらこんなすてきな文章が書けるのだろう、とため息が漏れた。タイトルにも関わる一編「風の音を聞く」には、とりわけ胸打たれた。エッセイの中で橋本さんが紹介する本、いろいろ読んでみたい。
1月某日 ファン・ジョンウンの小説集『ディディの傘』(斎藤真理子訳、亜紀書房)を再読。暴力に苦しむもの、抗うものが描かれる。でも社会問題について直接語るのではない。社会問題のかたわらで語りながら、複雑で繊細な暴力批判の思考のプロセスを小説のことばで表現している。それがファン・ジョンウンの文学の本質ではないだろうか。好き嫌いを超えたところで、強く引き寄せられるものがある。
1月某日 もろさわようこさんの『新編 おんなの戦後史』(ちくま文庫)が刊行された。96歳の女性史研究家による、およそ50年前に刊行された著作が新版・新編で、しかも文庫で読むことができるなんて本当にすばらしい。編者は、もろさわさんの取材を長く続ける信濃毎日新聞記者の河原千春さん。増補として沖縄や被差別部落の問題についての論考、河原さんと韓国文学翻訳家の斎藤真理子さんの新たな解説を収録することで、もろさわさんの思想の厚みが表現されている。文庫版の編集には、「いま」という時代に、ふたたびことばを届けるための配慮が随所に感じられた。とてもていねいな本作り。
1月某日 文学フリマ京都に出店するため、京都へ。新型コロナウイルスの感染流行がふたたび拡大しつつある状況、小田原駅から乗車した新幹線「ひかり」にはほとんど乗客がいなかった。窓越しにみえるのは、午後の日差しを浴びる太平洋側の町々ののんびりした風景。そこにあるのが、パンデミック下の世界であるという実感がわかない。
車内で『暮らしの手帖』12-1月号をひらく。巻頭記事は「オリジナルでいこう わたしの手帖 森岡素直さん 中井敦子さん」。よく知るお二人で、自分が編集を担当したホ・ヨンソン詩集『海女たち』(姜信子・趙倫子訳、新泉社)の装画を以前、中井さんにお願いしたのだった。記事が紹介するのはある家族のかたち、やわらかな人と人とのつながり。取材・文はライターの桝郷春美さん。心の底から、読んでよかったと思える記事だった。
京都から在来線に乗り換えて、阪急水無瀬駅まで行き、駅前の長谷川書店へ。サウダージ・ブックスの新刊を納品した後、京都で会う約束をしている1歳のおともだちにプレゼントする本を、店主の長谷川さんに選んでもらった。ちいさな誰かのために本を探す時間は、やさしい気持ちになれる時間。「これ!」と思える一冊がみつかって、旅の鞄があたたかい。
1月某日 底冷えを感じて、早朝に目が覚めた。京都・蹴上の林の中、貸し切りの宿舎の机を借りて、編集を担当している詩集の校正刷に終日向き合う。窓の外で冬の風にちいさく揺れる枝をじっと眺めながら、あることばの意味をなんども自分の中で反芻し、確かめる。あいまに、クォン・ヨソン『まだまだという言葉』(斎藤真理子訳、河出書房新社)の読書。読み進めるにつれて、ページを握る親指の圧がぐっと強くなるような小説集だ。
1月某日 京都市勧業館「みやこめっせ」で開催された文学フリマ京都へ。「文フリ」にははじめての出店だったが、よい出会いがたくさんあった。例年参加している人に聞くと、出展者も来場者も3分の1ぐらいではないか、とのこと。ブースに立ち寄ってくれたお客さん一人ひとりと話をしているうちにあっという間に終了時間。サウダージ・ブックスの新刊の装丁を担当してくれた納谷衣美さんたちご一行に会い、1歳のおともだちに絵本のプレゼントを渡すこともできた。とても楽しかったが、ひとりで店番をしていたので、訪ねたいブースを訪ねることもできなかったのが残念。となりに出店していたぽんつく堂さんのZine『個人的な生理のはなし』を購入、巻末に「どうぞ男性も手にとってください」とある。
終了後、あわただしくブースの片付けをして、ごろごろとキャリーケースを引きながら京都・丸太町へ歩いて移動。文フリに来てくれた桝郷春美さんが自転車でさっそうと走る姿をみかける。街の書店・誠光社を訪問し、堀部篤史さんにご挨拶。サウダージ・ブックスの新刊を納品し、店内をゆっくりめぐって京都発の雑誌『NEKKO』2号など数冊購入した。『NEKKO』の特集は「自治はじじむさいか」、表紙はふしはらのじこさんのかぶの絵。
『愛と家事』(創元社)の作家の太田明日香さんと待ち合わせ、誠光社のとなりのカフェItal Gabonでお茶をしながらおしゃべりをした。太田さんが主宰する夜学舎の発行する雑誌『B面の歌を聞け』をサウダージ・ブックスの本と交換。Vol.1の特集は「服の自給を考える」、太田さんが長年関心を寄せてきたテーマだ。
1月某日 京都・蹴上の定宿を出発し、銀閣寺方面のバスに乗車。ホホホ座でも、サウダージ・ブックスの新刊を納品。そして店主・山下賢二さんの『完全版 ガケ書房の頃』(ちくま文庫)を、山下さんの日記『にいぜろにいいちにっき』(ホホホ座浄土寺店)とシール付きのセットで買う。『ガケ書房の頃』は夏葉社版を読んだけど、あらためて。『にいぜろにいいちにっき』には、山下さんの娘さんが韓国へ旅立つ日のことが記されていた。ホホホ座では、そのほか、佐久間裕美子さんの旅のZine『ホピの踊り/沖縄の秘祭』(Sakumag)も購入。K-POP好きの子を持つ親同士、山下さんとひさしぶりにゆっくりお話しできたのが、うれしかった。
歩いて古書・善行堂まで行き、早田リツ子さんの『第一藝文社をさがして』(夏葉社)を購入。店主の山本善行さんの解説付きというところにも惹かれて手に取り、道中で読みはじめたのだが、早田さんの文章がとても好きだ。発見のよろこびを噛みしめるようにして淡々と綴られるある歴史——。1934年、滋賀県大津市で第一芸文社を創業したひとりの出版人のどこかさびしげな肖像が浮き彫りにされていく過程に、どんどん引き込まれてゆく。誠実な本、という印象を受ける。
東京などの大都市ではない地域で暮らしながら、人びとの生活史や女性史を丹念に記録し、伝える。そんな地道で尊い仕事に取り組む在野の作家は、全国各地にきっとたくさんいるのだろう。自分はまだまだ知らないけれど、ここ数年、いくつかのすばらしい本との出会いがある。早田さんの著作もその1冊だ。
ふたたびバスに乗って左京区から上京区に移動。KARAIMO BOOKSのお店の前には、ずいぶんやせたなごり雪の雪だるまがいた。紫色ののれんをくぐり、情報紙『アナキズム』20号、古本で金石範の小説などを購入。同紙には店主の奥田順平さんのエッセイ「カライモブックス開店しています。」が掲載。店内の新刊・韓国文学のコーナーには、韓国語の原著も並んでいるのがうれしい。奥田順平さん、直美さんと、韓国文学のことなどをおしゃべり。「韓国の小説、次は何を読んだらいいでしょうか」と思案顔の直美さんに、チョン・セラン『シソンから、』(斎藤真理子訳、亜紀書房)をすすめた。その間も、客足が途切れない。「今日はなんでこんなに人が来るんだろう。おかしいなあ」と順平さんが言っていて、おかしかった。
しばらく京都・二条あたりの町を散策してから、夕方帰路につく。新幹線の車内では編集中の詩集の校正刷に集中。自宅につくやいなや、妻から「ニュースは見たか?」と聞かれる。スマートフォンなどはもたないし、移動中は極力情報を遮断するので「見ていない」と答えると、トンガ諸島で起きた海底噴火のことを教えてもらった。インターネット上で気象衛星が撮影した画像を見て、その規模の大きさにことばを失った。
1月某日 クォン・ヨソン『まだまだという言葉』読了。巻頭の短編小説「知らない領域」の父の苛立ちは、父をやっているものとして身の覚えがあるもので読んでいて痛い。彼の心が囚われている「昼月」、あれはなんだろう。ぼんやりとしたもの、どこか場違いなもの、かすかにしか見えないもの。自分自身のこと、あるいは自分と他者との関係を象徴するものだろうか。来し方も行き先も判然としない感情の渦の中をさまようようにして、短編「爪」「稀薄な心」「向こう」「友達」と読み進める。この不穏な見通しの悪さ、息苦しさはカフカの小説世界に似ていると思ったら、後半の作品でまさにその名が出てきた。W・G・ゼーバルトの名とともに。
1月某日 尊敬する仏教僧であり、アジアの詩人思想家であるティク・ナット・ハンが亡くなった。ベトナム戦争の体験がひとつのはじまりとなった、長い長い平和への祈りの旅。その途上で書かれた多くの著作が日本語に翻訳されている。本を読もう。
私は両手に顔をうずめている
けれど 泣いてはいない
私は両手に顔をうずめている
孤独をあたためようとして——
両手は守る
両手は養う
両手は留める
心が私を
怒りの中におきざりにするのを
——ティク・ナット・ハン「ぬくもりのために」(島田啓介訳『私を本当の名前で呼んでください』より)
「ぬくもりのために」はベトナム生まれのティク・ナット・ハンが《ベン・トレの爆撃の後の、「私たちは、その町を救うために爆撃したのだ」というアメリカの指揮官のコメントを聞いたときに書いた詩》とされる。彼の遺した思想に「慈悲」の実現が見られるとしたら、それは戦争の「無慈悲」をくぐり抜けた上での何かなのだろう。日本語環境に流通する「マインドフルネス」などという底の浅いキャッチコピーには、到底収まり切らないものだと思う。
1月某日 最近、佐久間裕美子さん主宰のSakumagが発行する旅のZineや『We Act!』を追いかけている。というのは、すこし前に『現代思想』2020年10月臨時増刊号の総特集「ブラック・ライヴズ・マター」に佐久間さんが寄稿しているエッセイ「私を守ってきてくれた人たち」を読んで、文章からも内容からも大変な感銘を受けたからだ。
エッセイで語られるのは、佐久間さんが暮らすニューヨークの住宅ビルのオーナーで黒人女性であるミス・バードとの出会いについて。人びとの声を伝える一種の聞き書の作品だと思ったし、それゆえ藤本和子『ブルースだってただの唄』(ちくま文庫)のスピリットを継承する仕事だと感じた。魂のこもった仕事、ことばはこんなふうにして次の時代へと確実に受け渡される。