言葉と本が行ったり来たり(5)『食べるとはどういうことか』

長谷部千彩

八巻美恵さま

明けましておめでとうございます――と言うには遅いけど、旧暦で数えれば今日は一月一日だから、ご挨拶としては間違っていないはず。恭喜發財!

巷ではオミクロン株が猛威を奮っていますが、八巻さんはいかがお過ごしですか。三回目のワクチンは打ちましたか。
私は、今年こそは腰を据えて机に向かい、文章を書こうと考えていたのですが、また映像作品の制作に関わることになり、その準備に落ち着かぬ毎日です。時々ふと、予定変更を重ねる自分は一体どこへ流れていくのかと思ったりもするのですが、同時に先のことなど考えず、行き当たりばったりで流れていったら、どんなところへ辿り着くのか見てみたい気もしています。死ぬときに、いろいろやったなと感じるのか、何もできなかったなと感じるのか。いろいろやったとも思うし、何もできなかったとも思う、その当たりに落ち着くのかなと想像していますが。

先月いただいた八巻さんからのお返事に「最初はあんなにワクワクしたインターネットなのに」という言葉があり、私も、インターネットが登場し、徐々に生活に入り込んでくるのを経験した世代なので、当初のワクワクした感覚を懐かしく思い出しました。「お金をかけずとも」とか「個人でも」とか「自由に」とか、初期のインターネットはそんなイメージを纏っていたように思います。
でも、いまはインターネットが完全にビジネスの場となったと感じるし、すべてが経済に吸収されていくという哀しい現実を見せつけられるもの、私にとっては、巻き込まれないように警戒しながらつきあうものです。それに、特別ユニークな使い方をしているひとも見ないし、人間の創造力って、やっぱりそれほどでもないんだな(納得&苦笑)という感じ。
「お金をかけずに」という部分は、ブログサービスやSNSサービスを無料(もしくは安価)で利用しているから実感できるとはいえ、それもやっぱりサービス提供側のビジネスだし、「自由」においては、みんなで行儀良く区画の中に家を建てて住んでいるぐらいの自由で、はて、それが自由なのか?と思うのです。だからといって、それに抗って、私はインターネットをこう使う!と燃えているわけでもなく、便利に使ってはいるけれど、特に期待もしていない何か、という薄い存在になってしまいました。

さて、ここからは本の話。この二ヶ月は、結構な冊数を読みました。忙しいから全然読めないという時と、忙しさゆえ意地になって何冊も読んでしまう時があるけど、最近は後者。相変わらず硬軟取り混ぜた乱読です。そのうちの一冊が『食べるとはどういうことか』で、これは、著者である農業史研究者・藤原辰史さんが、小学生から高校生まで九人の子供達と行った座談会を収録したもの。
その中で私が感動したのが、「いままで食べた中で一番おいしかったもの」という問いに対する十五才の少年の答えです。
彼の「一番おいしかったもの」は、自分で種を採って育てたトマト。そこで成った実の中で美味しいと感じたトマト個体の種を蒔いて、また成った実の中で美味しかったトマト個体の種を採って蒔いて・・・を繰り返していくと、トマトがどんどん自分好みの味・食感に寄っていく。毎年夏に美味しいトマトが更新されていくというのです。それを小学生の頃から続けて七年目だと。これこそワクワクしませんか。農家の方には常識なのかもしれないけれど、農業経験のない私はパフォーマンスアートでも見るかのような興奮を覚えました。そんな楽しいことができるなんて。私も今年の夏から挑戦したいと思います。
藤原辰史さんの本は、彼の講演を聴く機会があり、面白かったので何冊か買い込みました。友人が、藤原さんの著書だと『ナチス・ドイツの有機農業』が良かった、と言っていたので、次はそれに手をつけようと思っています。

長谷部千彩
2022.2.1