製本かい摘みましては(170)

四釜裕子

筑摩書房、中央公論新社、河出書房新社、角川春樹事務所の4社が、2月の刊行分から文庫本の本文紙をそろえるそうだ。王子製紙が共同開発したものに順次切り替えていくという。〈用紙の確保と調達価格の安定が狙い。中央公論新社によると業界初の取り組み〉。〈製紙会社側が出版社ごとの用紙生産を維持するのが難しくなり、共通化を協議してきた〉(共同通信 2022.1.21)。

いわゆるファンシーペーパー(ファインペーパー)でも数年前から銘柄の廃番が増えている。松田哲夫さんの『「本」に恋して』(イラストレーション内澤旬子 新潮社 2006)によると、〈本というものは、刷り続け、売り続けている限りは、最初のかたちをきちんと踏襲し続けている〉〈一つのかたちで刊行された本は、よっぽどのことがない限り、造本などの変更はさせない〉そうだから、廃番による変更に苦慮する版元も多いのだろう。松田さんは続けて〈実際には、すべてを守り続ける必要はないだろう。でも、かたちも含めて文化だという意識は大事に持ち続けていたいものだ〉と書いている。

ファンシーペーパーの一つである「タント」(1987年発売)は色数の多さが売りで、こちらは2019年に200種となって以降、今もそのままあるようだ。これらがずらっと並んだ紙見本を眺めてあれこれ悩むのは楽しい。楽しいけど、東急ハンズなどで断裁済みのA4サイズものから縦目を数枚選んでレジに並んで、折れないように台紙を1枚添えて店の紙袋に入れてもらってありがとうございましたなどと言われると、「私、何やってんだろう」感を覚えたのも確か。居心地がよろしくない。

紙の違いを触り比べたり、製造工程の工夫などは聞くほどにおもしろいからそれがなくなるのは惜しい。本文紙についても「いろいろ」が減っていくのは残念だけど、今回のことはいいなと思っている。手元にあるそれぞれの文庫本を並べて開いてみた。比べると違いは感じるけど正直よくわからない。版元ごとの用紙の違いというのは、私の場合、読むにもめくるにも愛でるにも影響はなく、このニュースもたちまち忘れるだろう。こうした試みはもっと増えていいと思うし、王子製紙が4社と折り合いをつけるにあたっての肝はどんなところにあって、それによって製造から流通、在庫などがどう変わったのか、むしろそういうことを知りたい。

東日本大震災のあの日は、担当していた月刊雑誌が校了して代休をとっていた。当時はひと月の間で一番呑気に過ごせる日だった。津波によって、いつも使っていた本文紙が調達できなくなったと編集部に知らせが入って、別の用紙で代用することになった。用紙や印刷、製本、流通、それぞれの現場のたいへんな尽力で、予定通りの17日に発行できた。いつもより少し色が濃い紙になったけど、読者からの問い合わせはなかったと思う。そもそも世の中がそれどころではなかった。この号だけはずっと手元にとってある。隣には佐々涼子さんの『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』(早川書房 2014)を置いている。

装丁関係で「そろえる」ということについて、なんと本当にたまたま昨夜古いスクラップ帳からはらりと落ちた記事にこうあった。「装丁にもブランド作戦 シリーズや出版社で統一感 印象を強めて販売戦略に」(朝日新聞 1992.6.7)。一冊ずつではなく、シリーズものとして、あるいは版元のイメージをつくるための装丁が増えているとして、岩波書店の「物語の誕生」シリーズ、文藝春秋の「書下し文芸作品」、ちくま学芸文庫、装丁を一新したNHKブックス、メディアファクトリーの「ライフ・ストーリー」などを例にあげている。〈メディア状況の変化とともに読者と本のかかわり方が変わり、「本は中身だ」という二十年ほど前の「常識」が常識でなくなったばかりか、装丁はもはや中身を引き立てるものでさえなく、中身とともに一つのメッセージを伝える一人前のメディアになったという見方だ〉。

続いて〈こうした流れの中で、デザイナーの仕事も変わっている〉とし、菊地信義さんと戸田ツトムさんに取材している。お二人の顔写真もある。戸田さんは最後に〈言葉のメッセージ力が弱まっているのではないか。その対症療法として、デザインがもてはやされている気がする〉と話していて、続けて記者は、出版社が装丁をそろえようとしている背景をこう書く。〈本の流通の問題もある。(中略)一点の本が書店に並べられる期間が短くなった。そこで、シリーズ化して書棚を確保しようということらしい〉。版元にとっては用紙の確保や調達価格の安定の側面が大きいだろうし、本屋で本を探す者にとっては、とにかく並んでいることでおおいに助けられた面はある。

記事はさらにこう続く。〈装丁は、ベテラン編集者とブックデザイナーたちが勘を頼りにつくる「趣味の世界」の時代から、手に取り買ってもらうための「戦略的なメディア」の時代へ移り、様々な形が認められるようにあった。だが、あまりに雑多になった書店の棚では、目新しさを狙った装丁もお互いが効果を殺し合ってしまう。そこで、「ゆるやかな統一感」がもたらす静かな存在感が、かえって人を引きつけるという新しい考え方が生まれてきた。(中略)際限なく多様化していくように見えた「装丁」も、転換期を迎えようとしているようだ〉。やすい代理店のパワポを見せられたような不快なもの言いだ。だからこそ、戸田ツトムさんの言葉がふわっと浮き上がる。突き放したような、というか、「人」側ではなくて「言葉」や「デザイン」側から発しているような、その態度。

戸田さんの追悼号となった2020年12月25日発行の「ユリイカ」1月増刊号を開く。「デザインと予感」と題されたインタビュー。聞き手は平倉圭さん(2006年2月27日、戸田事務所にて。初出「未來」2006.4号)。

〈風邪を引くのが好きなんです。風邪って、外気と自分の内部の関係がうまく割り切れない。外に対してナイーヴに接している粘膜がまずイカれちゃうから、外部と内部の感覚がおかしくなるんですよ。それが大好き(笑)。自分そのものが環境化していくような感覚。風邪が起きたらすべての症状を許していくんですよ――かっこつけて言えばね〉

〈風邪は、「自分」を場所として扱いますね。そのことに対する混乱としてさまざまな症状がある。自分の感覚としては、図も地もないよと教えてくれる〉

もちろん、戸田さんの健康について聞いているのではない。

〈……レイアウトイメージというのはだいたいそんな感じですよね(笑)〉

こんなふうにも話している。

〈こうすればこの本は良く売れる……。ひとつのポジティヴな経済の方程式があるわけですね。ただ、その方程式の読みかえを出版社はしないんですね。(中略)つねに強く明確な標榜を求められる。書店で本を買うときの浮遊感や心の揺らぎ、そして「読まずに」本を買おうとする人々の心の中に広がる曖昧な想像の領域……。こういった事情を考慮せず、作り手の安心を補填すべきではないでしょう。とくにこれからの時代、エフェメラルなものへの強さへの意識は強く求められると思います。ルネサンスの直前もそうだった〉

同じく「ユリイカ」から。加島卓さんの「――デザインはいかにしてメディア論の問題となるのか 『観測者』としての戸田ツトム」にある戸田さんの言葉。

〈強い輪郭をもったメッセージやデザインにかんして、人々はある種の安心感を感じるかもしれないけれど、そこには余剰や余白は見つけにくく、想像力を投入しにくい。(中略)明示を受けた「視る者」は、想像してはいけない、という指示も同様に受けたことになります。たとえばテレビはスイッチを入れてちゃんと映るまでの間、その時が最も情報量が高い瞬間なはずです〉

〈可能性の束をそのままにしておく、という態度がおそらくデザインには必要なんじゃないか〉

ばるぼらさんが聞き手となったインタビュー「時代の交換期という最中の断面(パートⅡ)」(2012.3.6 戸田事務所にて)ではこんなふうに話している。

〈だから最初に、かなり遠くから大前研一なんて名前が見えちゃったら近づかないですよね。その人はそれに弾かれてしまう。徐々に魚を釣るようにして、段階を経て文字に入っていく。……ということをやっぱり広告の世界が撹乱しちゃったのかな〉

戸田さんはフライフィッシャーだった。「d /SIGN」12号(太田出版 2006)では、フライタイヤーで『水生昆虫アルバム』(フライの雑誌社 2005)の著書もある島崎憲司郎さんにインタビュー(「水面下の心理へ… 期待と予測のデザイン」)している。島崎さんが作るフライについて〈自然の認可を得るという点で、とてもはっきりした評価をもたらしました〉とか、〈そして自らの立ち居振る舞い、選ばれた道具とフライ…これら一連にまつわる選択が「デザイン」を生む〉などと話している。ここでも、なにかこうその一部になって、ひとりごちているような語り口だ。

どんな方だったんだろう。デザインでも釣りでも、関わるものすべてがおしなべて在って、その一部である戸田さんが「人」に聞かれてしゃべって「人ら」に伝えてるみたいな感じ、とでも言えばいいか。魚が釣れるまでの間、テレビが映るまでの間、風邪を引いて粘膜がイカれて外部と内部が割り切れないでいるような時間に怪しまれることなく耳を澄ますために、戸田さんは仕事であるデザインもしていたんじゃないかとすら思えてくる。