12月某日 高校生の(ま)の誕生日を祝った翌日、午後の羽田空港から飛行機で飛び立ち、沖縄・那覇空港に到着。冬用の上着をぬいで「ゆいレール」に乗車し、街中へ。窓から差し込む西日がまぶしく、あつい。マラソン大会か何かがあったようで、途中の駅で半袖のスポーツウェア姿の乗客が大量にのりこんできた。
前回、沖縄に来たのは新型コロナウイルス禍以前、何年前のことだったか。リバーサイドの宿に荷物を置いてTシャツに着替え、夕方の国際通りを散策。週末ということを考えると、コロナの影響もあって観光客はまだ少ないのだろうか。少し歩いただけで、汗が噴き出す。
飲み物を買おうと立ち寄ったコンビニで「大東寿司」を販売しているのを見つけて驚いた。南大東島の郷土料理だ。あすのお昼は、大東そばと寿司でも食べようか、とむかし訪ねたお店の場所を思い浮かべる。今回、旅の友とした本は外間守善『沖縄の食文化』(ちくま文庫)。著者の食いしん坊ぶりを見習いたい。
本書の冒頭で、外間守善はフィジーで豚肉やイモ料理をおいしく食べたが「蛇肉らしきもの」は「確かめなかった」と語る。ならば沖縄の伝統料理、イラブー(エラブウミヘビ)の汁なんかはどうなんだろうと読み進めると、「あまり好きになれない」と。研究者的な中立の立場を取らない、食べ物の好き嫌いがはっきりしている視点がおもしろい。
12月某日 お昼、那覇・壺屋の新しい本屋さん「ブンコノブンコ」をはじめて訪問。眺めの良い古いビルの3階にあがり、開店直後のお店に入るやいなや、棚に面出しにされた黒島伝治『瀬戸内海のスケッチ』(サウダージ・ブックス)を見つけてうれしい気持ちに。韓国と日本のはざまで生きるスタッフのKさんからおいしいコーヒーをいただき、沖縄の地へ流れ着くまでの長い旅の話を聞いた。
お店を出ると、雲行きがあやしい。壺屋から国際通り商店街のアーケードに入り、市場の古本屋ウララへ。移りゆく街の時間、移りゆく街の風景の中で、本屋さんが変わらずそこにあることが心強い。店主の宇田智子さんと言葉を交わすのは何年ぶりだろう。店内のスペースは少し広くなった。でも向かいの公設市場の建て替えに伴い、頭上のアーケードが撤去されている。雨や風が強い日はお店を休まなければならないと聞いて、胸が痛い。話したいことも、買いたい本も山ほどあるけど、また訪ねよう。
外間守善・仲程昌徳・波照間永吉氏による琉球の「ウタ(歌)」のアンソロジー『沖縄 ことば咲い渡り』の「みどり」の巻の解説は宇田智子さん。美しい本。ブックガイド『復帰50年 沖縄を読む——沖縄世はどこへ』にも宇田さんはエッセイを寄稿している。ボーダーインク発行の2冊の本を購入した。
12月某日 那覇は朝から小雨。空港からふたたび空の旅、夜の石垣島へ。翌日、島で出会ったのは、風とミンサー織りと牛。
12月某日 沖縄への旅から戻り、今年最後の大学の授業。「私たちの好きなもの」をテーマにしたZineの制作をグループワークの演習課題にしていて、年明けの提出をたのしみに。授業のあとショートショートの小説を書いている学生の話を聞いて、東京・分倍河原のマルジナリア書店で文庫本を買って帰宅。
12月某日 『現代詩手帖』2022年12月号が届く。「アンケート 今年度の収穫」に寄稿し、以下5冊を紹介した。
エリザベト怜美詩・訳、モノ・ホーミー絵『YOU MADE ME A POET, GIRL』(海の襟袖)
藤本徹『青葱を切る』(blackbird books)
宮内喜美子『わたしたちのたいせつなあの島へ』(七月堂)
『W. S. マーウィン選詩集 1983-2014』(連東貴子訳、思潮社)
『まるで魔法のように ポーラ・ミーハン選詩集』(大野光子ほか訳、思潮社)
12月某日 訃報に絶句する。ともに本を読む仲間が突然、旅立った。ページをめくる手が、今日は重い。でもそれは、読む時間が自分一人だけのものではないということの証。きみのいる場所には、そのうち追いつくから。本でも読んで、待っててね。
12月某日 東京・西荻窪の忘日舎で、自主読書ゼミ「やわらかくひろげる」を開催。山尾三省『新装 アニミズムという希望』(野草社)をともに読んで、思いつくままにゆっくり語り合うよい時間。
帰路、荻窪の本屋 Titleに立ち寄り、店主の辻山良雄さんに年末のご挨拶。2階のギャラリーで漫画家のカシワイさんの「風街のふたり」展を鑑賞、絵とことばにすっかり感動し、同題の漫画を購入。旅情とノスタルジーを感じるよい作品だった。
12月某日 3か月間、読書会に参加し、ダンテ『神曲』をついに読破! 三浦逸雄訳、角川ソフィア文庫で(この人の訳文には独特のくせがある)。地獄篇はおもしろいけど、天国篇はいまいちと思っていたのだが、他の参加者のみなさんの意見を聞いて、なるほど〜と思うことしばしば。まだわからないことも多いし、もう一度、読み返してみよう。ところで、『神曲』のボッティチェリの挿絵は、パラパラ漫画にしたらおもしろそう、と馬鹿げたことを思いつく。パラパラとページをめくってみたら、何かが動き出しそうな気がした。
12月 偶然のご縁がつながり、尊敬する沖縄の小説家の崎山多美さんからお便りとともに、批評誌『越境広場』11号が届いた。崎山さんはこの雑誌の編集委員をつとめている。今号の特集は「”if”で拓く『復帰』50年」。佐喜眞美術館学芸員の上間かな恵さん、ボーダーインク編集者の新城和博さん、社会運動史研究の上原こずえさんの座談会から読み始める。
12月某日 岸田文雄首相が防衛費増額のための増税の方針を発表。狂っている、と思ったのは自分一人ではないだろう。しかしこの間にも南西諸島では自衛隊のミサイル配備計画が着々と進められ、沖縄の島々はありもしない「戦争」への脅威を口実にすでに軍事要塞化されている。
日米の基地問題を報じる地元の新聞を読み、ニュース番組を見て、人びととことばを交わすことで、沖縄ではその危機感を肌身で感じることができた。現地に行かないと気づけない、というのも情けない話だが、「東京」発の情報圏にいると、しっかり目を見開かない限り見えてこない現実だ。
12月某日 何を読んでいる、といえないほど、山積みされた本やら原稿やらを見境なく読んで読んで読みまくる師走。いま目の前にあるのは『定本 見田宗介著作集』全10巻と『定本 真木悠介著作集』全4巻(以上、岩波書店)。さて、この山を登るべきかどうなのか。
来ませんか、と土地から呼ばれているような気がしたら旅をするし、読みませんか、と本から呼ばれているような気がしたら読んでみる。去年も今年もそうだったように、来年も再来年もきっと変わらない。歩けなくなって旅をすることができなくなるまで、目が見えなくなって読むことができなくなるまで、自分はそうやって生きていくのだろうと思う。