水牛的読書日記 2023年10月

アサノタカオ

10月某日 東京の国立新美術館の「テート美術館展 光」へ家族そろって向かう。展示期間の最終の週末ということもあり、会場の入り口からうねうねと長蛇の列ができる大盛況。館内に入ると、マーク・ロスコの絵画「黒の上の薄い赤」の前には不思議と人だかりがなく、落ち着いて鑑賞できた。韓国の作家ハン・ガンの詩集『引き出しに夕方をしまっておいた』(きむ ふな・斎藤真理子訳、クオン)にロスコをテーマにした連作があり、この機会にどうしても観ておきたいと思ったのだった。

10月某日 鳥取の汽水空港で朝に開催された「気流の鳴る音読書会 第9回」にゲストとしてオンライン参加。午前中のイベントは、頭がすっきりしているのでよいものだ。今年、『うつくしい道をしずかに歩く』(河出書房新社)という真木悠介のエッセイ集を編集した縁でこの読書会にお誘いいただいたのだが、かれの主著『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)を熱心に読んできた個人史についてしっかり話したのは、はじめての体験だった。汽水空港のモリテツヤさんの「ディープ・インサイド論」ほか、お店に集うみなさんのお話も興味深いものばかり。

振り返れば、カルロス・カスタネダのドン・ファン・シリーズなど、ニューエイジ思想や精神世界の本へ沈潜から現在の読書や編集の仕事へ上陸する歩みがあった。あまり人に話したことがないから、その時代のことを知るのはたぶんうちの代表(妻)だけだろう。バリ島でブラック・マジックにかけられた姿も、彼女には見られている。「あのときは目が血走ってたよ」と今でも笑われる。

10月某日 大学の編集論。授業の一環としておこなったビブリオバトルのチャンプ本は、結城真一郎『#真相をお話しします』(新潮社)と三浦春馬『日本製』(ワニブックス)。こだま『ずっと、おしまいの地』(太田出版)を取り上げた学生もいて、これはぼくも知っている本だった。読んでみよう。

10月某日 ガザが戦火に包まれている。大学の編集論では通常の講義を中断して、編集を担当した渋谷敦志さんの写真集『今日という日を摘み取れ』(サウダージ・ブックス)から、パレスチナ・ヨルダン川西岸の「壁」の写真をじっくり鑑賞してもらい(ガザの写真ではないと断った上で)、写真・キャプション・構成から何を読み取ることができるか学生に考えてもらう時間を設けた。

「Palestine パレスチナ ヨルダン川西岸

その土地で先祖代々暮らしてきた多くのアラブ人は故郷を追われ、難民となった。パレスチナ問題の発端だ。そして今も、分断を乗り越える橋はつくられず、人びとを分かつ壁ばかりが増えている。
2002年、イスラエルとパレスチナの境界線に沿ってヨルダン川西岸を旅していたとき、目の前に突如、巨大なコンクリートの壁が姿を現した。
イスラエルがテロ防止の名目で建設していたその壁は一般には「セキュリティ・ウォール」と呼ばれていたが、パレスチナ人は自分たちの移動の自由を奪い、囚人のように塀の中に監禁する壁を「アパルトヘイト・ウォール」と呼んでいた。
異質な他者への恐怖心が生み出した壁。それは本当に人びとの生命と安全を守るものなのか。壁の存在によって深まる断絶は不信を増大させ、結果として先鋭化していく対立や憎悪を抑え込むために、さらなる暴力を引き起こすのではないだろうか。」

 ——渋谷敦志『今日という日を摘み取れ』より

写真集の解説後、授業の前に大学図書館で借りたパレスチナ出身の批評家、E・W・サイード『イスラム報道』(浅井信雄他訳、みすず書房)を紹介した。学生時代に読み、深い影響を受けた一冊として。編集論はメディア論でもあり、自分も含めてそれを学ぶ人間は、パレスチナ・ガザ地区の組織ハマスによるイスラエル攻撃と同国による報復空爆をめぐる報道など現在進行形の情報伝達の政治学と無縁ではいられない。こういうときだからこそ、批判的なメディアリテラシーを鍛えること。そのためには単に情報を収集するだけではなく、図書館などで関連する専門書や人文社会の本を探して読み、その情報を検証し、背後にある複雑な歴史的・社会的文脈を視野に入れる必要があり、またそれ以上に有効な方法はない、ということを強調して話した。

10月某日 早朝から新横浜駅経由で新幹線に乗り一路、京都へ。映画館の出町座で、ヴェトナム出身でアメリカを拠点にする旅する作家トリン・T・ミンハが監督した新作『ホワット・アバウト・チャイナ?』を鑑賞。1993年ごろに中国南東部で客家の伝統的円形集落「土楼」などヴァナキュラーな建築を撮影したHi8ビデオ映像を新たに編集。そこに中国の古典詩歌の朗読や、複数の語り手の声が重ねられるのだが、響きあうナレーションにじっと耳をすませながら、移りゆく中国の農村とそこに暮らす人々の表情を捉えるイメージの流れに身を委ねながら、内側で何かが目覚めるのを感じた。まあたらしい多様性への感覚、とでも言えるような。予想をはるかに上回る、すばらしい作品だった。そしてテレビのニュース番組やネットの情報に毒された今の自分の頭の中にある「中国像」がいかに政治化され、矮小化されたものか、思い知らされた。

その後、KYOTO EXPERIMENT (京都国際舞台芸術祭)2023の会場のひとつであるロームシアター京都にタクシーで移動し、文化人類学者・批評家の今福龍太先生の講演「ことばの混交の果てに 『クレオール主義』30年」に参加。読者として先生の主著である『クレオール主義』(ちくま学芸文庫)を30年近く読み続け、学び続けてきた。アイデンティティの思想ではない、〈差異〉の思想とは何か。講演後、ポルトガル料理店「ビバリオ」で今福先生を囲み、建築史の研究者・松田法子さん、文学研究者・阪本佳郎さんらと歓談。阪本さんから季村敏夫個人誌『河口からIX』を手渡される。夜の定宿で、同誌所収の阪本さん「オウィディウスへの手紙」、ぱくきょんみさんの詩「布がたり」を読む。

10月某日 京都から大阪に移動し、天王寺のレトロな喫茶店「スワン」で臨床哲学者の西川勝さんに会い、近況報告を語り合う。西川さんはジェームズ・ギブソンらの生態心理学に関心があり、いまはエドワード・S・リード『魂から心へ』(村田淳一ほか訳、講談社学術文庫)を読書中だという。体調が悪いと聞いていて、実際に健康とは言えないようだが、プリンアラモードをおいしそうに食べていたのでひと安心。帰宅すると、野間秀樹さん『図解でわかるハングルと韓国語』(平凡社)、『本の教室はじめます』(石巻まちの本棚)が自宅に届いていた。

10月某日 詩人の片桐ユズルさんの訃報に接する。

10月某日 2週続けて、京都へ。今春から蹴上でおこなってきたクリエイティブライティングの講座「書くことの風」、最終の第4回が終了した。「私と場所」をテーマとして設定し、毎回の講義では、今福龍太先生の『クレオール主義』を受講者とともに精読。この日読んだのは、本書の12章「位置のエクササイズ ポストコロニアル・フェミニズム論」。ここはトリン・T・ミンハ論を含む内容なので、先週京都で彼女の映画を観たこともあり、よいタイミングだった。受講者には課題のエッセイ、企画書、地図の最終版を提出してもらい、いよいよ各自で創作の執筆をはじめ 、自分が編集を担当する。最終的には創作集のZineを出版予定。楽しみ。

10月某日 京都駅から近鉄を乗り継いで三重の津へ。午後の久居駅で降りて、HIBIUTA AND COMPANYを訪問。ちょうど秋の「久居まつり」の真っ最中でお店の中にも外にも熱気が渦巻いている。こちらでもクリエイティブライティングの講座をおこなっている。夜の自主読書ゼミでは、会場に集うみなさんと一緒に宮内勝典さんの長編小説『ぼくは始祖鳥になりたい』(集英社文庫)の第3章「出会い」を読み、感想を語り合った。ひとりではたどり着けない、数々の発見があり、おもしろかった。HIBIUTA AND COMPANY の書肆室では、孤伏澤つたゐさんの小説『ゆけ、この広い広い大通りを』と、大東悠二さん&村田奈穂さんのエッセイ『映画と文学が好き! 人情編』を購入。お店の本棚には八巻美恵さんの『水牛のように』(horo books)とサウダージ・ブックスの本がならんでいてうれしい。店内では、古井フラさんの詩集(装画=naoさん)・刊行記念展「音としてひとつ、手のひらにのる」を開催していた。

10月某日 久居駅から近鉄に乗って名古屋駅へ。ちょうど昼時の新幹線の改札前に行くと、人だかりができて大騒ぎになっている。東海道新幹線が線路脇の火事で運転見合わせだという。チケットをもっていたのだが、仕方がないのでカフェで時間を潰して戻るとちょうど運転再開。プラットホームは、いらいらする乗客でごったがえしていたが、東京などの目的地に1分1秒でも早く行きたいという群集心理が働くのだろうか、各駅停車の「こだま」号には誰も乗ろうとしない。ならば、と飛び乗った「こだま」のがら空きの自由席で小田原駅まで遅延もなく快適に移動。おまけに特急券の半額が返金された。

藤沢駅からふらりと江ノ電に乗り換えて夕方の江ノ島へ。橋を渡って神社を参拝。日没後、富士山のくっきりとしたシルエットに秋の空気を感じた。海辺のレストランのテラス席でゆっくり食事をして、旅の疲れを癒す。帰宅後、トラウマ研究の宮地尚子さん、ケアを研究する村上靖彦さんの対談集『とまる、はずす、きえる』(青土社)を読んだ。

10月某日 作家・フランス文化研究者の陣野俊史さんの渾身の新作『ジダン研究』(KANZEN)が届く。800ページ超えのサッカー批評の大著!

10月某日 東京・下北沢の気流舎で開催された今福龍太先生、上野俊哉先生の対談イベント「『気流の鳴る音』からコミューン論の現在まで」に参加。真木悠介の思想の背後にある「メキシコの夢」、マルクス/カスタネダ(政治/詩)という問題意識、「逃亡」や「未完」という隠されたテーマ。いろいろな話題が飛び出した。10月の読書は真木悠介に始まり、真木悠介で終わった。イベント後、下北沢の台湾料理店「新台北」に移動し、大学院時代の恩師のひとりである上野先生とおしゃべり。英語で石牟礼道子論を執筆中だという先生と12月に熊本・水俣行きを計画。気流舎を創設し、現在は兵庫の淡路島に暮らしながらハーブティーやエッセンシャルオイルを通じて植物の力を届ける仕事をしている加藤賢一さんとも再会。インドの聖者ラマナ・マハルシのことなどを話した。