仙台ネイティブのつぶやき(88)心臓ひとつずつかかえて

西大立目祥子

先週金曜日の夕方、母が入所しているグループホームから電話が入った。こういうときは不思議なもので、緊急を要する知らせかただの連絡か、すぐわかるものだ。悪い方だ…と直感して電話に出ると、案の定「ごめんなさい…ミヨコさんが30分ほど前に転倒したんです」と告げられた。ちょうど近くをクルマで走っていたので、すぐ向かった。どうか願わくば、大腿骨骨折ではありませんように。

スタッフに案内されて2階に上がっていくと、母は車椅子に座っていたものの、いつもとそう変わらない表情だったのでホッと胸をなでおろした。痛いとこある?と聞くと、背中に手をやるが顔をしかめたりはしない。これまでの3回の怪我─アキレス腱断裂、坐骨のヒビ、大腿骨まわりの靭帯の損傷─のときの症状とくらべるとだいぶ軽い。平謝りのスタッフに、大した怪我ではないと思うよ、大丈夫と話して帰ってきた。
翌日、かかりつけの医師が診てくれて、大きな怪我ではないから当面は検査もいらないでしょうということになった。プロの見立てに安堵したけれど、いつ何が起きるか気は休まらない。年寄りの転倒はこわい。

翌々日は、叔母が施設から外出して家に戻っていたので、ふた月ぶりに会いにいった。夏の暑い頃に会ったときは車椅子を使っていたとはいえ自力で歩くことができたのに、いつのまにか立つことも難しくなっている。この外出の直前、車椅子に腰掛けようとして滑り落ち、転倒したという。仰向けに倒れ、母と同じようにスタッフが気づくまでの間、起き上がることもできずにいたらしい。筋力の衰えは、足から始まってみるみる全身に広がってしまうものなのか。食事のときは右手で握ったスプーンを、左手で助けながら口に運んでいる。滑舌が悪くなり、話が聞き取りにくい。でも頭はしっかりしていて意思も伝えたいこともあるのだから、身体とのつながりにくさは相当にもどかしくつらいことだろうと思う。

ベッドから起き上がった叔母は、柵につかまっていないと上半身を支えることが難しいので、従兄弟が足の爪を切る間、私がベッドに座り体を後ろから支えた。この5、6年、叔母とよく話し、いっしょに食卓を囲み、ときに出かけて親しくつきあううち、私の体つきは母よりむしろ叔母に似ているのがよくわかってきた。身体が薄く、手首は細く、指先はゴツゴツして、足は平べったい。

素足になったむくんだ足を、老いた先の自分の足のように眺める。小さく丸まった背中と前かがみの首を、自分では見ることができない私自身の背中だと思いながら見る。肩に触るとカチカチだった。これまた疲れ切ったときの私の肩と同じだ。こんなふうに固まると、集中力が落ちだるくて何も手につかないのだけれど、叔母は苦しくないのだろうか。大きく背伸びもできないのだ。かわいそうになって、しばらく肩と腕をもみほぐしたりなでたりした。

固まった背中の奥には、小さな心臓がひとつ。心臓はにぎりこぶしくらいの大きさというけれど、そんなおむすびくらいの大きさの器官でよくまぁ93年も生きてきたものだ。母にも心臓ひとつ、私にも心臓ひとつ。右手でにぎりこぶしをつくって、自分の胸に当ててみる。そのにぎりこぶしを命の源をながめるようなつもりでじっくり見る。
 
久しぶりにいっしょにお茶を飲む時間は楽しかった。施設に戻る車の中で、今日はありがとうね、といったあとに叔母が続ける。もうね、早くお迎えがきてって思うの。若かったときの私なら、そんなこといわないで、といっただろう。もういまは、そんな返事にならないような返し方はしない。とはいっても、まだ声に出して、そうだねとはいえない。もう十分にがんばったものね、というつもりでうなずくしかできなかった。

これまで何匹もの猫を見送ってきた。外で生まれ飼い猫になった猫たちは、年老いたり病を得たりしてやがて死期を悟ると、静かに姿を消し戻ってくることはなかった。家の中で生まれた猫たちは、手の届くところで、でも何も訴えもせずに死んでいった。

では、渡り鳥は。冬の終わりに北帰行した鳥たちが、もうすぐまた戻ってくる。きびしく長い渡りができなくなった鳥は、飛び出つのをやめるのだろうか。渡りの途中で落下するのだろうか。

この原稿を書いているすぐそばで、猫が何度もトイレに向かい、空振りして寝床に戻ってくる。ここ数日間、便秘に苦しんでいる19歳。人間なら90歳に近いだろう。ままならない身体がつらいのか、ときどき何かいいたそうにこちらを見る。

人も猫も老いていく。小さな心臓をひとつずつかかえて。