水牛的読書日記 2023年5月

アサノタカオ

5月某日 先月末、神奈川・小田原へふらりと遊びに行った。菜の花くらしの道具店で布作家・早川ユミさんの展示を観るのと、本屋・南十字を訪れるため。

駅前の地下街にある菜の花くらしの道具店では、高知の里山からやってきた早川さんと東南アジアの少数民族のことなどについておしゃべりし、新刊のエッセイ集『改訂新版 ちいさなくらしのたねレシピ』(自然食通信社)を入手。早川さんは「暮らし系」の人と受け止められることが多いかもしれないが、ぼくは「思想家」だと考えている。南十字では2012年に急逝した駒沢敏器の長編小説『ボイジャーに伝えて』(風鯨社)を購入した。

ということもあり、5月に入り早川ユミさんと駒沢敏器の著作をいろいろ読んでいる。

5月某日 戸谷洋志『SNSの哲学』を読む。創元社のシリーズ「あいだで考える」の1冊。《SNSを使っているあなた自身が何者なのか》。日常的な事柄から哲学的な問いへごく自然に読者を導く読みやすい構成の本、それでいて考えるヒントがぎゅっと詰まっている印象。

本シリーズ「あいだで考える」は《10代以上すべての人のための人文書》で、編集は藤本なほ子さん、装丁は矢萩多聞さん。今後の展開が楽しみだ。『SNSの哲学』を読み終わったら、大学で哲学の勉強をはじめた10代の娘にすすめてみよう。

5月某日 東京の武蔵野方面へ。「かまくらブックフェスタ」(港の人主催)というフェアを開催中のくまざわ書店武蔵小金井北口店を訪問。ここには、サウダージ・ブックスの本も並べてもらっている。お店では『現代思想』2023年5月臨時増刊号(総特集=鷲田清一)を購入、哲学者の永井玲衣さんによる鷲田清一さんへのインタビュー、臨床哲学者の西川勝さんのエッセイ「鷲田さん、とのこと」を読む。

その後、JR中央線で武蔵小金井から三鷹へ移動し、本屋UNITÉをはじめて訪れる。店主の大森皓太さんのお話を聞きながらおいしい珈琲をいただき、時間をかけて本を選んだ。帰りの電車で、大森さんにすすめられて購入した堀静香さんのエッセイ集『せいいっぱいの悪口』(百万年書房)を読む。歌人でもある堀さんのことばを追いかけていくうちに、通い慣れている道のはずなのに見覚えのない景色の中を歩いているような、不思議な気持ちになった。中盤の1編「はみだしながら生きていく」を読み終えて、いったんページを閉じる。ここで深呼吸、よい本。

百万年書房の新レーベル「暮らし」の本は、どれも読んでみたい。シンプルな装丁もすてきだ。

5月某日 先月三重・津を旅した際、HIBIUTA AND COMPANYで三島邦弘さんのエッセイ集『ここだけのごあいさつ』を購入した。出版社の新レーベルとしてこの本の発行元である「ちいさいミシマ社」にも注目している。『ランベルマイユコーヒー店』(詩=オクノ、絵=nakaban)など詩の本の刊行から新レーベルを旗揚げするのを見て、これまでのミシマ社とちがう風を感じたのだった。

詩や小説の本づくりは、文芸誌を発行し、文学賞を主催する大手・老舗の限られた版元の世界に偏りがちだ。でも「ちいさいミシマ社」は、こうしたいわゆる「文壇」とは異なる、かといってリトルプレス的な個人出版とも異なる、ミシマ社らしさも活かした第三の文学の道を切り開いていこうとしている。

なかでもちいさいミシマ社から刊行された前田エマさんの『動物になる日』は、すばらしい小説集でひさしぶりに読み返した。表題作は、ジョルジュ・バタイユが語ったような「世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」いきものの感覚世界、そこに片足を入れていた幼年時代のゆらめく生のリアリティがみごとに描かれていて、読んでいてぞくぞくする。所収の「うどん」もシブい中編小説で味わい深い。

HIBIUTA AND COMPANYが発行する2冊のZine『日々詩編集室アンソロジーVol.1 わかち合い』、南野亜美さん・井上梓さん『存在している 編集室編』も読んだ。

5月某日 出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)のnoteで、詩人・翻訳者の高田怜央さんの連載「記憶の天蓋」の第1夜「ジョバンニの切符」を読む。星と宮沢賢治についてのエッセイ。

5月某日 東京・町田の和光大学へ公開シンポジウム「〈ヘトロピア群島・沖縄〉の精神史 川満信一から仲里効へ」を聞きに行く。登壇者のひとり、昨年90歳になった詩人の川満信一さんは映像での出演。川満さんらしい飄々とした詩の朗読で、100名を超える聴衆の心を一瞬でつかんでいた。そして那覇から会場に駆けつけた批評家・仲里効さんの講演が圧倒的だった。沖縄の「復帰」の複雑な内実について、そしてシンガーソングライター佐渡山豊の歌について。この日のために、『ラウンドボーダー』(APO)から『沖縄戦後世代の精神史』(未來社)まで仲里さんの著作群を集中的に読んできたのだった。

本シンポジウムは恩師の今福龍太先生と上野俊哉先生が企画、台湾からは谷川雁を研究する羅皓名さんが参加した。夜は大学内で焚火パーティー、徳島・祖谷の「なこち LIFE SHARE COTTAGE」管理人である稲盛将彦さんなど、しばらくぶりの知人友人に再会し、うれしかった。

5月某日 吉祥寺ZINEフェスバルに出展。駅前PARCOの地下1階の会場で、サウダージ・ブックスおよびトランジスター・プレスの書籍を販売。本はよく売れたし、購入者にはトランジスター・プレスを創業した佐藤由美子さんが制作したZine『This is Radio Transistor』『Planet News Bookstore』をプレゼントし、持参分を配り切った。日本のZinesterの草分け・佐藤さんのスピリットが伝わりますように。

隣の露店書房のブースでは、驚いたことに自分が編集した山尾三省の詩集『火を焚きなさい』(野草社)を面だしで販売していた。会場では出版社クオンの代表・金承福さんにばったり遭遇するなど、お客さまや才能に溢れる出展者たちとのよい出会いに恵まれ、愉快な1日だった。

5月某日 小田原から新幹線に乗り、静岡・浜松へ。認定NPO法人クリエイティブサポートレッツの営むちまた公民館で開催された、西川勝さん『増補 ためらいの看護』(ハザ)の読書会に参加。会の前に谷島屋書店連尺店に立ち寄ると、レッツ代表の久保田翠さんの姿を発見し、すこし立ち話をする。西川さんや読書会に集うみなさんとゆっくりおしゃべりしたかったが、最終の新幹線で帰宅しなければならず。

5月某日 今年も作家・李良枝を偲ぶ会に。東京・新大久保で開催された李良枝『石の聲 完全版』(講談社文芸文庫)出版記念を兼ねた集いに参加。早稲田大学時代に一時期交流のあった鄭剛憲さんのスピーチなど、心に残るよいお話を聞き、おいしいごはんをいただいた。感謝。

家に帰り、『石の聲 完全版』を読む。巻末に収められた妹の李栄さんによる「没後三十年、あらためて姉ヤンジをたどる」に感動、尊い証言だと思った。李良枝は早逝ゆえにぼくらのちの時代の読者にはやや謎めいた存在だったのだが、このエッセイによって書物の背後にある作家のイメージにはじめてあたたかい血が通ったように感じる。

5月某日 5月は年1回発行される地方文芸誌『徳島文學』の季節。待望のVol.6 が到着。なかむらあゆみさんの最新小説「白鳥ミュージアム」を読む。そこで描かれる人間模様には見慣れた現実から少し外れた「異形」味があるのだが、読後には物語の世界のすべてを肯定したい気持ちにさせられる。なかむらさんの他の作品にも共通して感じる不思議な魅力だ。

Vol.6掲載の小説では髙田友季子さん「金色のスープ」、久保訓子さん「夏が暮れる」を続けて読む。どちらも地方に暮らす人間の生に忍び寄る影を繊細に描く力作で、最後までページをめくる手が止まらない。若松英輔さんの批評「孔子の叡智」も。若松さんの言う「読むとは何かという問い」に深くうなずいた。

5月某日 小田原から朝一番の新幹線に乗車し、香川・高松へ。旅の道中で、韓国の作家ソ・ユミの小説『終わりの始まり』(金みんじょん訳、 書肆侃侃房)を読了。逃れ難い人と人との関係ゆえの痛みを静かに描き出す、読み応えのある小説だった。共感というべきか、共苦というべきか。読み進めるごとに、ページの端を押さえる指の圧がだんだん強くなっていくのを感じた。

JR高松駅で写真家の宮脇慎太郎くんと合流し、石の民俗資料館で開催中の写真展「Photo×Book」へ。宮脇くんがデビュー前から撮影してきた写真、蔵書、旅の資料を一室に集め、写真家として現代の聖地を巡礼するかれの世界観を再構成する趣向。脳内のカオスモス(混沌宇宙)の運動の軌跡を明らかにする実験、と言えばよいだろうか。まさに珍品博物館的な「宮脇慎太郎のワンダー・キャビネット」、圧巻の展示だった。

はじめて訪れた石の民俗資料館は、屋島から高松の町までを一望のもとに収める眺めのよい場所にあった。高松ではデザイナーの大池翼さん、画家・イラストレーターのうにのれおなさん、話題のノンフィクション『香川にモスクができるまで』(晶文社)の著者・岡内大三さんらと再会。ローカルのクリエイターたちに刺激を受ける。

翌日は高松・瓦町で、愛媛・松山の松栄印刷所の桝田屋昭子さんと今後の本づくりについて打ち合わせ。その後、本屋ルヌガンガ、古本屋のなタ書、YOMSというお決まりのルートをあわただしく回って、昼過ぎに成田空港行きの飛行機に乗るため高松空港へのリムジンバスに。

本屋ルヌガンガでは『些末事研究』第8号を購入。特集は「行き詰まった時」で、YOMSを営む齋藤祐平さんのエッセイ、サイトウマドさんの漫画が掲載。なタ書では、深山わこさん『アカイトコーヒー物語』(民宿カラフル)を購入。どちらもよい冊子で、道中で読み終えた。

5月某日 四国への短い旅から自宅に戻ると、韓国SFの作家キム・ボヨンの作品集『どれほど似ているか』(斎藤真理子訳、河出書房新社)が届いていた。不思議なタイトルにひかれて、さっそくひもとく。巻頭に置かれた短編「ママには超能力がある」を読んだだけでもう心の震えがおかまらない。空想科学的なはるかに遠い物語が、ほかならぬ自分の身に沈められた情動を強く喚起させる韓国SFのこの感じ、いったいなんなのだろう?