製本かい摘みましては(182)

四釜裕子

埼玉県の吉見百穴に行った。近くを通って、その日はなかなかの暑さだったので休憩もしたかった。「発掘の家」という売店に入って明治20年の発掘当時の秘蔵写真や資料を見て、ところてんを食べながら店主にいろいろ話を聞くことができた。6~7世紀の横穴墓群といわれる吉見百穴を利用して地下に作られた軍需工場の跡地には、〈崩落の危険があるため点検・調査中〉とのことで入れなかった。昭和20年にもなって突貫で工事が始まり、稼働することなく上書きされて「工場の跡地」となった部分だ。金網にかけてあった説明板には、掘削を担ったのは全国から集められた3000人から3500人の朝鮮人労働者で、ダイナマイトを使用した人海戦術だったとあった。目の前に広場が必要だからと、近くの市野川の流れもこのとき変えられている。

吉見百穴から道をはさんですぐのところに「巌窟ホテル」の跡地があるが、こちらは旺盛な草木に隠れてほとんど見えなくなっていた。明治37年から地元の農家・高橋峯吉さんと泰次さんが2代にわたってノミやツルハシで掘り続けた洞窟で、実際には「ホテル」ではないがそう呼ばれてきたようだ。写真家の新井英範さんが42年前に撮影した写真をまとめて『巌窟ホテル』(2022)を出していて、ネットでその一部を公開している。科学実験室や電話室、バルコニーなどもあり、これは実物を見てみたかった。1980年代になると台風などで崩れるようになり、入り口は閉鎖された。現在は3代目が道向かいで「巌窟売店」を営んでいて、ホテルの資料や写真を大切に保管されているそうだ。

吉見百穴では自生しているヒカリゴケを見ることができた。「天然記念物 ヒカリゴケ 自生地 →」という看板の先にのぞき穴があり、歓声をあげている子どもたちのあとに続いてのぞいたので、たぶん私の目にも見えていたと思う。ヒカリゴケといえば武田泰淳の「ひかりごけ」。熊のような表情(実際に見たことないけど)で肉をくらう三國連太郎、海に逃げようとする奥田瑛二をつかまえて抱きしめた三國連太郎、裁判官・笠智衆の表情などがぱっと浮かぶ熊井啓監督の映画版は観ていたけれども、原作は読んでいなかった。帰って古本で求めて、いわゆる「戯曲」の前の部分も面白く読んだ。

〈殺人の利器は堂々とその大量生産の実情を、ニュース映画にまで公開して文明の威力を誇ります。人肉料理の道具の方は、デパートの食器部にも、博物館の特別室にももはや見かけられない。二種の犯罪用具の片方だけは、うまうまと大衆化して日進月歩していますが、片方は思い出すさえゾッとする秘器として忘れさられようとしている。〉

パク・チャヌク監督の映画『お嬢さん』を観て目をそむけた場面が、なぜだかここに重なった。簡単に言うと、製本道具で人の体を傷つけるシーンだ。そこまでの経緯はいろいろあるのだけれども、稀覯本を模した本を地下で作っては、都合よく姪を”役者”に仕立てあげ”朗読会”を開いて好事家を集め競売にかけている最低で変態で偏執狂な男、だけれども”本への愛”はあると思えた男が、共謀者であった男への憎悪をシザイユやプレス機で果たすという、そんなことはあり得ないだろうととっさに思ってしまった。映画ではその前に、地下室の棚に並んだ秘蔵本を姪の”救世主”がばっさばっさと抜いて破ってインクをたらして畳を剥がして水の中にぶちこんだりするのだけれども、これには一瞬あっ……と思うもまもなく痛快を覚えて喝采したのに、だからこそ、そのあとの道具を犯さんばかりのシーンに過剰に反応した自分の態度をいぶかっている。再見せねば。