水牛的読書日記 2024年3月

アサノタカオ

3月某日 アン・ボイヤー『アンダイング 病を生きる女たちと生きのびられなかった女たちに捧ぐ抵抗の詩学』(西山敦子訳、里山社)を読む。乳がんの診断を受けた著者が同じ病で命を落としたアメリカの女性作家たち、スーザン・ソンタグ、オードリ・ロード、キャシー・アッカーらのことばを辿り直しながら自身の体験を語る。ぼくが知らないこと(知ろうとしなかったこと)ばかりでただただ驚かされるのだが、金儲けに堕した現代医療の実態に憤りつつ、また苦痛をめぐる自己省察の深さに唸りつつ、学ぶことが多い。何よりも、「私」という個の声をより集合的な声のほうに開こうとする、ボイヤーの哲学的で文学的なことばの力に打たれた。訳者の西山さんは、カリブ海人2世のブラックフェミニストの詩人であるロードの著作を翻訳出版するプロジェクトにもかかわっているそうだ。

3月某日 雨、学芸大学駅前のSUNNY BOY BOOKS へ。本を買って帰る前に店内を振り返ると、絵描きの山口法子さんとナツメ書店の企画”All children in Palestine are our children”の絵が目に入った。もう一度レジに戻り、ステッカーとポストカードを購入。SUNNY BOY BOOKSでは、雨の日に本を購入するとポイントが2倍になる。
その後、学芸大学駅の近くで韓国舞踊家の金利惠さんと会う。句集『くりうむ』(コールサック社)が完成し、刊行に合わせて韓国から来日した。日本で生まれ、のちに韓国に渡って舞を学んで二十年。遠ざけていた日本語と、俳句を通じて再会したという。句集の装丁は端正で美しく、もちろん俳句も味わい深い。

《くりうむは花の奥またその奥へ》
《小さきものすみれに語るときは母語》

「くりうむ」は愛おしさ、恋しさ、懐かしさを意味する「크리움」をひらがなで表記したもので、「ぴたりと当てはまる日本語」がないという。なるほど、「크리움」は「サウダージ」と同じようなニュアンスをもつことば、ほかの言語に翻訳することが難しい、人間の奥深い感情の混合体をあわらす単語なのだろう。

3月某日 1章を読み終えて、しばらくデスクに立てかけたままになっていた、あする恵子さんの大著『月よわたしを唄わせて ”かくれ発達障害”と共に37年を駈けぬけた「うたうたい のえ」の生と死』(インパクト出版会)。ふたたび読みはじめる。

3月某日 横浜・妙蓮寺の本屋・生活綴方へ本の納品に。出版社・代わりに読む人の代表で作家の友田とんさんが新著の刊行記念の店番をしていた。生活綴方の店長・鈴木雅代さんに紹介してもらい、はじめてお会いした友田さんから豚汁(!?)をふるまっていただいた。具沢山でおいしい。
『『百年の孤独』を代わりに読む』以来、注目してきた友田さん。『ナンセンスな問い 友田とんエッセイ・小説集1』(H.A.B.)と、代わりに読む人が発行するZINE『試行錯誤1』を購入した。
ついで東京・三軒茶屋の書店twililightで画家nakabanさんの個展「最近の手触り」を鑑賞。夕景のような風景画が1点。印象的な赤に引き込まれ、絵の前でしばし立ち止まった。静物画のシリーズも、スチャート・ダイベック「ライツ」のポスターの鮮烈な作品もすばらしい。nakabanさんが装画・挿絵を担当した、大崎清夏さん『私運転日記』(twililight)を購入。青く静かな佇まいの本。目次を見ると「珠洲へ」とあり、いま読むべき本だと直感した。
そして最後に、西荻窪の書店・忘日舎へ。本日で実店舗を閉店、お店での持ち寄りパーティに参加した。福岡から、里山社代表の清田麻衣子さんも駆けつけている。集まった仲間と楽しくおしゃべりしながら、店主の伊藤幸太さんをはじめ、忘日舎で出会った人びととのつながりのありがたさを思った。伊藤さんとは自主読書ゼミ「やわらかくひろげる」(タイトルの発案は伊藤さん)を3年以上、共同で開催したのだった。在日朝鮮人文学、ハンセン病文学、カウンターカルチャーの文学を、熱心な参加者とともに読み継いできた。大切な記憶の宿る場がなくなるのは、やはりさびしい。でも伊藤さんとはこれからも、なんらかのかたちで本の活動を一緒にすることができれば、と考えている。8年半の営業、ほんとうお疲れ様でした。しばらく、お休みして心身を整えてください。

3月某日 夜、代官山 蔦屋書店で『私が諸島である カリブ海思想入門』(書肆侃侃房)刊行記念、著者の中村達さんと、文化人類学者・批評家の今福龍太先生のトークイベントに参加した。タイトルは「カリブ海思想・文学の現在地 『クレオール主義』から『私が諸島である』へ」。ふたりの対談は緊張感あふれる内容で、英語圏カリブ海文学を学問的に体系化することでその意義を明らかにするか、個別の言語圏を横断するカリブ海文学の批評性を行為遂行的に表現するか、視点のちがいが鋭くあらわれる興味深いものだった。対談の最後には、トリニダードの詩人エリック・ローチの詩「I am the Archipelago 私が諸島である」をふたりで英語と日本語で朗読し、イベントはしめくくられた。
蔦屋書店のイベント会場では、書肆侃侃房の編集者の藤枝大さん、本誌「水牛のように」の仲間でカリブ海フランス語圏文学研究の福島亮さん、そしてバスク語文学研究の金子奈美さんにも会った。

3月某日 東京・三鷹駅で大学生の娘と待ち合わせる。すてきな老舗果実店でお茶をしたあと、本と珈琲のお店UNITÉへ。娘はスーザン・ソンタグとハンナ・アーレントの本を購入、仲間と読書会のようなことをしているらしい。
この日は、代官山 蔦屋書店に続いてUNITÉで『私が諸島である カリブ海思想入門』刊行記念のイベントの第2弾が開催され、中村逹さんとともに自分も聞き手として登壇することになっていた。「お父さんはこれからトークイベントに出演するが、聞いていくか?」と娘にたずねたが、「いや、帰る」と言って帰っていった。
トークイベント「カリブ海思想をめぐる冒険 悲しさと希望の狭間で」の内容はこちらでアーカイブ配信をしているのでよろしければご視聴ください。中村さんがジャマイカの詩人エドワード・ボウや、ダブポエトのジーン・“ビンタ”・ブリーズらの詩の日本語訳を朗読しています。
https://unite-books.shop/items/65cdc754bb977701f65fc9ab

3月某日 UNITÉでのイベント「カリブ海思想をめぐる冒険 悲しさと希望の狭間で」の資料として、1990年代前後の日本語圏におけるカリブ海クレオール文学・思想の翻訳出版の歴史を年表としてまとめてみたら、いくつかの興味深い発見があった。たとえば藤本和子さん、風呂本惇子さん、くぼたのぞみさんら、アフリカ文学からアフリカ系アメリカ文学まで環大西洋的なブラック・ディアスポラ文学に女性として生きる経験の声を探究する、一連の翻訳者の系譜。この人たちは、カリブ海文学・思想の紹介でも重要な役割を果たしている(作家のポール・マーシャル、ジャメイカ・キンケイド、エドウィージ・ダンティカ、マリーズ・コンデの著作の翻訳、あるいは人類学者のシドニー・ミンツの聞き書きなど)。そこに、ウィメンズブックストア松香堂書店や新水社など日本のフェミニスト出版社も関わっていることが興味深い。このあたりには先人から受け取り、未来に受け渡すべきバトンがありそうだ。
アン・ボイヤー『アンダイング』を翻訳した西山敦子さんもいる。西山さんがメンバーを務めるオードリ・ロードの著作集などを翻訳出版するプロジェクト「Political Feelings Collective」も、この系譜に連なる活動なのではないだろうか。注目したい。

3月某日 横浜・東横線白楽駅の本屋と図書室・電燈へ本の納品に。2月にオープンしたばかり、ソファもある落ち着いた雰囲気の棚に、骨太な文学や思想の本がならぶ。山口法子さんと久世哲郎さんが企画した冊子『日本国憲法と夜の星』を購入。タイトルがすばらしいと思う。装画を眺めてからページを開き、奥由美子さんのエッセイ「またたく光を胸に灯す」から読み始める。お店ではベル・フックスの『学ぶことは、とびこえること 自由のためのフェミニズム教育』(ちくま学芸文庫)も買った。近くに大学があるので、学生が来るといいな。
隣の妙蓮寺駅に移動し、本屋・生活綴方へ。日曜日の店内はなんだかにぎやかで、作家の安達茉莉子さんや、地下BOOKSの小野寺伝助さんがいた。ふたりとも真木悠介の話をしていた。
店長の鈴木雅代さんがこっち、こっちと手招きするので奥へ行くと、台湾の人気絵本作家リン・シャオペイさんと、台東縣長濱郷の独立書店「書粥」のオーナー高耀威さんがいて、いろいろな話を聞くことができた。書粥のトートバッグと、高さんの出版社・書粥工作室から刊行された『疫情釀的酒』を購入。この本は台湾の独立系書店の店主らがコロナ禍をテーマに執筆したエッセイのアンソロジーとのこと。何年も前に、自分がトークイベントをおこなった台中の新手書店の鄭宇庭さんも寄稿していて、うれしかった。通訳をしてくださった藤岡さん、ありがとうございました。

今月は編集の仕事用やイベント用に膨大な資料を読んだが(とくにカリブ海文学)、それ以外にはあまり本を読めず、個人的な読書の時間をほとんど取れなかった。多くの読みたい本を未読のまま積み残したまま、新年度を迎える。