4月某日 あたらしい年度の始まりに、神奈川・箱根の温泉旅館で一泊した。旅行中はオフライン状態にして、ネットやテレビを見ない。夜から朝にかけて熱いお湯につかり、大地のエネルギーをからだに蓄えて帰宅すると、メディアが台湾東部沖地震をいっせいに報道していて驚いた。震源地は花蓮だという。花蓮や台東出身の友人たちのことが心配で、胸騒ぎがおさまらない。数日前、横浜の本屋・生活綴方で会った、来日中の高耀威さんのことも思い浮かべる。かれがオーナーを務める「書粥」は震源地に近いはずだ。
ちょうどこの日の夜、東京・下北沢の本屋B&Bで高さんのトークイベントが開催されるので、自宅からオンラインで視聴した。台東のお店の被害はほとんどなかったと聞いて、すこし安心。トークでは、台湾書籍の版権エージェント業を営む太台本屋のスムースな司会と通訳で、高さんの書店や出版の活動を詳しく知ることができてよかった。いつか書粥を訪ねたい。
4月某日 文学研究者・阪本佳郎さんによる本格的評伝『シュテファン・バチウ——ある亡命詩人の生涯と海を越えた歌』(コトニ社)が届く。
台湾の友人から安否確認のメッセージへの返信が届いてほっとするが、誰も「大丈夫」とはいわない。自分のいる地域がこれだけ揺れたのだから、震源地・花蓮の被害が大きいのでは、と心配している様子だ。
4月某日 最寄りの書店、神奈川・大船のポルベニールブックストアへサウダージ・ブックスの新刊を納品しに行くと、取材でお店に来ていたBOOKSHOP TRAVELLER・和氣正幸さんとばったり遭遇した。本の世界の仲間とのこういう偶然の出会いは、いつもうれしい。ポルベニールで、中沢新一先生の新著『精神の考古学』(新潮社)などを購入。この本は、自分も読むつもりだが妻用のもの。
4月某日 午後、新刊の納品を兼ねて書店めぐりをした。横浜の本屋・象の旅をはじめて訪問。店名の「象の旅」は、ポルトガルの作家ジョゼ・サラマーゴの小説のタイトルから。海外文学の棚が大変充実していて心が踊った。フェルナンド・ペソア関連の本を買う。しばらく使っていないポルトガル語の勉強を再開したくなった。
横浜から東横線に乗り込んで学芸大学前へ行き、SUNNY BOY BOOKSヘ。こちらにも新刊を納品。詩人・真名井大介さんのことばのインスタレーション作品の展示を開催中だった。
電車を乗り継いで最後に、東京・三軒茶屋のTwililightへ。すっかり日は暮れて、ひと休みしようとバナナタルトとチャイを注文。お茶をしてすこし本を読んだ後、お店のギャラリースペースへ足を運ぶ。そこで、saki・soheeさんの作品を鑑賞して目を見開かされた。中東オマーンを旅するレバノン出身の友人Amienさんにおこなったインタビューをもとにした、テキスト・写真・映像から構成されるインスタレーション。saki・soheeさんは済州島にルーツを持つ在日コリアンで、雑誌の編集などの活動をしているという。ふたりのあいだでアラブの国々へのアラブ以外の国々に住む人間の歴史的想像力、そして現在進行形のイスラエルによるパレスチナ人虐殺をめぐって、メッセージが交わされている。ことばには親密で落ち着いた雰囲気が漂っているが、他者とともに共に考えぬこうとする姿勢に揺らぎはない。この展示の記録集となるZine『mirage 蜃気楼』を購入。巻末に置かれたsaki・soheeさんの「内省 introspection」という文章がすばらしかった。
4月某日 東京・九段下のメトロ駅から地上にあがると、桜目当ての花見客の大群衆にぶつかった。混雑するなかを縫うように進んで二松学舎大学にたどりつき、非常勤講師の説明会に参加。今年度から「編集デザイン論」「人文学とコミュニケーション」の授業を担当する。その後、神保町へ移動し、韓国書籍専門店チェッコリへ。社長の金承福さん、スタッフの佐々木静代さんとおしゃべり。春から新しい企画がはじまりそうだ。
店内では、いわいあやさんの写真展「はじめての済州、それから」を開催していた。写真とそこに添えられた詩的なキャプションをじっくり鑑賞する。文章には、済州島四・三事件をテーマにした金石範先生の小説『鴉の死』への言及もある。「私の海」と題されたいわいさんの韓日バイリンガル詩も展示されていて、これは目の覚めるようなあざやかな言語表現だった。いわいさんの写真と文を収めた『庭の中』(気儘文庫)、韓国文学Zine『udtt hashtag# 若い作家賞受賞作家編』、そしてイ・スラ『29歳、今日から私が家長です』(清水千佐子訳、CCCメディアハウス)を購入。春だからか、あれもこれもと本に手を伸ばしてしまう。
4月某日 韓国の作家ハン・ガンの小説『別れを告げない』(斎藤真理子訳、白水社)を読む。すごい。この小説について語るには、腹の底の底から、自分ひとりだけのものではないことばが浮上してくる時間が必要だ。
4月某日 ポルベニールブックストアで、アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ『初めて書籍を作った男——アルド・マヌーツィオの生涯』(清水由貴子訳、柏書房)を買った。以前から読みたかった一冊。大学や市民講座のために、この本の他にも図書館で借りたメディア論や書物論の資料を読みながら、授業の準備をする。
4月某日 編集者・ライターの小林英治さんの訃報に接する。『Casa BRUTUS』2010年3月号に掲載された、サウダージ・ブックスの紹介記事「さまざまな声が交わる場所で」の取材と執筆をしたのが、小林さんだった。ぼくらのスモール・プレスの活動を最初期から見守ってくれた恩人のひとり。ご冥福をお祈り申し上げます。
4月某日 二松学舎大学で「編集デザイン論」の第一回目の授業をした。学生の中には、『週刊読書人』の「書評キャンパス」(現役大学生が自ら選書・書評するコラム)に寄稿したり創作活動をしたりしている人もいるみたいだ。
その後、東京・水道橋の機械書房をはじめて訪問。前職の出版社の近くにあるビルの一室がお店だった。マイナーな著者の本も含めて魅力的な詩や小説の本がいろいろ並んでいて棚から目が離せない。店主の岸波龍さんから強くおすすめいただいた、姜湖宙さんの詩集『湖へ』(書肆ブン)を買う。さっそく電車のなかで読みながら帰ると、夜の自宅で同書が小熊秀雄賞を受賞したというニュースを知って驚いた。偶然のことだが、なんというタイミング。「瞬き」という詩がとてもよかった。お店では岸波さんの日記本『本屋になるまえに』も入手。岸波さんはラテンアメリカ文学の愛読者で、お店にはペルーから詩人のお客さんも来たという。日記本のタイトルにはきっと、レイナルド・アレナス『夜になるまえに』(安藤哲行訳、国書刊行会)へのオマージュが込められているのだろう。キューバ出身の亡命作家による、ぼくも大好きな自伝的小説だ。
4月某日 読書会にオンラインで参加した。課題図書は、サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』(寺門泰彦訳、岩波文庫)。この日までに、なんとか上下巻を読了。予備知識なく読み進めたのだが、これほど奇妙奇天烈なマジックリアリズム小説だとは思わなかった。独立後のインドの歴史を背景にしためくるめく物語の渦に飲み込まれて、なにがなんだかわからないけれどもすこぶるおもしろかった。ところで、文庫の巻末には「作者自序」が収録されていて出版までの経緯が書かれており、その中でこんな一節を見つけた。
「(ラシュディの原稿を検討した)最初の査読者の報告は短く、けんもほろろのものだったという。『この作者は長編小説の書き方を身につけるために、まずみっちり短編で修行する必要がある』というものだった」
もし査読者だったら、なんて想像するのは馬鹿馬鹿しいことだが、まったく同じコメントをしかねない小心者の自分の姿がそこにいるような気がして、震え上がった。オリジナルの原稿は語りの背景にある人間関係がより複雑で、時系列がもつれていたというのだから……。「もうすこしわかりやすくしてくださいね」的なことはかならず言うにちがいない。ラシュディの持ち込んだ原稿を不朽の名作の原石として見出した、のちの編集者はほんとうにすごいと思う。こういう人が、真の「エディター」なのだろう。
4月某日 豊後水道で地震が発生し、愛媛と高知が大きく揺れたらしい。まさに宮脇慎太郎写真集『UWAKAI』(サウダージ・ブックス)の舞台で、この本は印刷製本も愛媛・松山の松栄印刷所でおこなっている。まさか四国で……というのがニュースを見た直後の率直な感想だった。香川に住んでいたこともあり、地震が少ない地域と思い込んでいたのだ。電子メールやSNSで関係者の安否を確認。被害は少ないようでひと安心したが、住民にとっては不安な日々が続くだろう。ここのところ関東でも地震は続いていて、いつどこで災害に遭遇するかわからない時代だ。
4月某日 大阪・釜ヶ崎のココルーム(NPO法人こえとことばとこころの部屋)へ。ここを訪れるのは、コロナ禍をあいだに挟んで何年ぶりだろう。代表で詩人の上田假奈代さんと久しぶりに会って、居合わせた人たちと合作俳句などをして一緒に遊んだ。
4月某日 三重・津のHIBIUTA AND COMPANYへ。市民文化大学HACCOA(HIBIUTA AND COMPANY COLLEGE OF ART)で、昨年度に引き続き「ショートストーリーの講座」の講師を務める。前回の受講者の継続参加もあり、予想を上回る人数の熱心な受講者が集まった。この講座は、物語を書く人(書きたい人)のための編集講座としても設計されている。創作に役立つ編集の基本的な知識と技術を学ぶことで、受講者が「編集的思考」を取り入れつつ小説やエッセイのショートストーリーを完成させることが目標。第1回目の授業では、編集の歴史について駆け足で解説。これから受講者には一人二役、作家であると同時に編集者にもなってもらう。どんな物語が生み出されるのか楽しみだ。
講座の後、夜はHIBIUTAで自分が主宰する読書会を開催。お店に集う仲間とともに、宮内勝典さんの小説『ぼくは始祖鳥になりたい』(集英社文庫)を読み続けている。今回の課題、12章と13章は謎やしんどい描写の多い物語上の難所で、「これはどういうこと?」というさまざまな疑問をみんなで共有した。昼の講座の受講者も参加して、普段よりにぎやかな会になった。
HIBIUTAに行く道中では、孤伏澤つたゐさんの小説『ゆけ、この広い広い大通りを』(日々詩編集室)を読んだ。すばらしい小説で、多くの人にすすめたい。「地元」で生きる3人の元同級生、夫と子供と暮らす専業主婦のまり、トランスの女性で音楽の仕事をする夢留、都会からUターンしたフェミニストの清香の物語。お互いにわかりあえるわけではない。でも、わからないままにともにいることの希望が語られていて深く感動したのだった。HIBIUTAでは、孤伏澤さんの小説『兎島にて』(ヨモツヘグイニナ)を入手。
4月某日 HACCOAの講座の翌日、HIBIUTA AND COMPANY では文筆家の大阿久佳乃さんと対談した。拙随筆集『小さな声の島』(サウダージ・ブックス)の刊行トークという枠組みだったが、大阿久さんと語り合うのもこれで3回目になる。前半ではアメリカ文学エッセイ『じたばたするもの』(サウダージ・ブックス)を刊行した後の、大阿久さんの旅と読書についてじっくり話を聞いた。アメリカ南西部・先住民の保留地から、ニューヨークへの旅。気候変動、フェミニズム、クィア・アクティビズムへの現在の関心。フランク・オハラ、アドリエンヌ・リッチ、オードリー・ロード、エリザベス・ショップ、藤本和子さん、榎本空さんらの著作について……。『じたばたするもの』の最終章は「親愛なる私(たち)へ」と題されたアドリエンヌ・リッチ論ということもあり、対談では「リッチの詩はど根性!」なる大阿久さんの名言も飛び出し、ぼくとしては大変楽しく刺激的な内容になった。後半では、こんどは大阿久さんに聞き手になってもらい、『小さな声の島』で書いた台湾への旅ことなどを話した。最後に、大阿久さんがアメリカの詩人エリザベス・ビショップの訳詩を、自分が台湾の詩人・董恕明の訳詩を朗読してトークを締めくくった。
4月某日 三重から帰宅すると、島田潤一郎さんの新著の散文集『長い読書』(みすず書房)、申京淑の小説『父のところに行ってきた』(姜信子・趙倫子訳、アトラスハウス)、『現代詩手帖』2024年5月号が届いていた。『詩手帖』の特集は「パレスチナ詩アンソロジー、抵抗の声を聴く」。今月、パレスチナ侵攻を続けるイスラエルの本土にイランがミサイル攻撃をしたのだった。
4月某日 二松学舎大学で「編集デザイン論」の授業のあと、渋谷に立ち寄り、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERSへ。夜の書店では、本が蓄えることばの体温がすこし下がるように感じられて、それが自分には心地いい。
4月某日 読書会の課題図書、ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』(水野忠夫訳、岩波文庫)を読みはじめる。ラシュディ『真夜中の子供たち』につづいて、これも摩訶不思議な小説だ。人間の脳髄は、なにゆえにこんなわけのわからない(でも、おもしろい)物語をえんえんと生み出し続けるのだろう。
あする恵子さん『月夜わたしを唄わせて』(インパクト出版会)を読み続けている。本書のサブタイトルは「”かくれ発達障害”と共に37年を駈けぬけた「うたうたい のえ」の生と死」。「うたうたい のえ」は、著者・あする恵子さんの子どもで、2008年に亡くなった。ようやく第4章まで、「ノンフィクション作家」であることに徹するあする恵子さんのことばとまなざしを借りて、のえさんの生の軌跡をゆっくりと辿り直す。