母が緊急入院となった。貧血がひどいことから病院で検査を受けると、心不全の診断が出て、即入院。私はもちろん、付き添ってくれた施設の看護師さんも予想だにしなかった展開である。胸の中に不安の黒い雲が広がっていく。この春は、本当に数年ぶりに晴れやかな気持ちで少しずつ開いていく桜を見上げ、やわらかな春の日差しを味わっていたのに。じぶんの時間が暗転する。
こういうことを、「禍福は糾える縄の如し」というのか。やさしい春のあとには、焼き尽くすような夏が来るのか。そう想像すると、来る前から、へろへろして倒れそうな気分だ。
この故事成語を印象的に使っていたのは、脚本家、向田邦子をヒロインにしたNHKのドラマじゃなかったっけ? 仲良しだった黒柳徹子が向田の部屋に遊びに行き、「“禍福は糾える縄の如し”ってどういう意味?」と聞くと、「いいことのあとには悪いことが来るっていうことよ」と答えた向田は、「あ、でもあなたにはいいことしか来ないかもね」とことばを重ねる。「ふーん」とよくわからない表情で返す黒柳。向田は、何事もいいことと受け止める、明るさとタフさを友の中に見ていたのだろうか。
この程度のことで動揺するへなちょこの私である。動揺するのは、年寄りの入院となると、医療と介護の間の渡れないような深い溝を思い知らされることも一因だ。いまどこにいるのか、何のためにこの治療をするのかわからない母を点滴の間じっとさせておくことなどとてもできないから、止むを得ず身体拘束が必要といわれ、家族は承諾書にサインを迫られる。それって本人にとっては虐待なのでは…という疑問を打ち消し、治療ができないからという理由をごくりと無理矢理じぶんに飲み込ませて書類に名前を書き込む。苦しい。動けなくなっている姿を想像すると、いたたまれない。
最近、80代の知人から聞いたひと言も何度も胸に浮かぶ。心臓の手術で入院してね、そうしたら退院するとき歩けなくなってしまってね。ベッドに横になったまま処置され食事をとる超高齢老人の2週間後はいかに。
母のことはさておき。今日4月30日。仙台市一番町にある老舗書店「金港堂」が店じまいした。地元で出版される本だけでなく、市民団体が制作した小さな冊子や地図までお願いすれば置いてくださる書店で、私もお世話になった。夜7時の閉店の店の前には200人ほどの市民が集まり、社長の藤原さんや書店員の方々に花束を贈呈、拍手が鳴りやまなかった。これで仙台市中心部にあった仙台資本の書店は、この20年ほどの間にすべて姿を消したことになる。
金港堂は当初は地下から2階まで3フロアの売場だったが、売場を縮小したあと、2階のフロアを古書市や仙台をテーマにした連続講座に提供してくださっていた。経緯の詳細はわからないが、個人商店のスペースを街に開放してくれたといっていいと思う。初めは、新刊を扱う書店が古書市を呼び込むなんてと驚きもしたが、本好きが集い、また仙台の街に関心を抱く市民の交流の場となり、それは回を重ねるうちにいつのまにかコミュニティに育っていった。
閉店が公にされると、この2階フロアに集っていたメンバーの中から感謝のイベントをやろうと声が上がり、4月20日・21日の2日間にわたり、トークイベント「まちとほんと13のものがたり」が開催された。社長の藤原さんをはじめ13人が歴史や文学、街や古地図などをテーマについて思い思いに話すという内容で、私も大正時代の地図についてしゃべったのだが、閉店の情報もあってか50人ほどのお客様が駆けつけ、フロアには最後のイベントを味わい尽くそうという熱気があふれた。
話しながら、こうやっていろいろな人が集い、話し込み、思いがけない人に会って雑談したりする、これが街に暮らす楽しさでありおもしろさと感じずにはいられなかった。人が交錯する中から、街の中につぎの動きが生まれてくる。小さくてよいから、たまり場のような、誰かのひと言を受け止めてことばを返すような、消費とは異なる場の必要。金港堂は本業は本業として守りながら、おおらかに隣り合わせのもうひとつのドアを開けてくれていたんだな、と思う。
いま地方都市はしんどい。仙台は人口110万人、東北の中心都市といわれるが、中心部繁華街は、ドラッグストアとコーヒーチェーンと高層マンションだらけとなり、地元の店は姿を消しつつある。本社の指示で動く店は、余計なコストと判断するのか七夕飾りも飾らない。地に足をつけない空中商店街みたいなものに変容しているといっていいのかもしれない。
閉店を見届けたあと、藤原社長と書店員さん、お世話になった人たち10数名が集い感謝の打ち上げをした。店の前の通りで一箱古本市を開催したいと社長に談判にいったら快諾してくれた話を披露する人、じぶんの著書の棚をつくってくださったと感謝を述べる作家さん、1階のレジを仕切っていたベテラン店員に何度もありがとうという人…。楽しく飲んで食べた3時間、その間はベッド上の母のことは忘れていたのでした。