水牛的読書日記5月

アサノタカオ

4月某日 毎月はじめの更新を楽しみにしているウェブマガジン「水牛のように」の各連載。うんうん、4月号はこんな感じか、どれから読もうか、などと目次を眺めていて、ふと気がついた。あれ、自分の、「水牛的読書日記4月」が、ない……! 瞬間、頭の中が真っ白になった。連載の原稿を書くことも、八巻美恵さんに送ることも、完全に忘却していたのだ。

4月某日 明星大学人文学部日本文化学科の非常勤講師に就任した。「編集工学」という講義を担当。神奈川の自宅から東京・日野にある明星大学に通うには途中、分倍河原駅で乗り換え(JR南武線⇄京王線)をするので、行き帰りに駅前のマルジナリア書店に立ち寄れることがうれしい。7月には、大阪の阪南大学国際コミュニケーション学部の総合教養講座で外部講師として話すことも決まった。その頃にはしばらく西日本に滞在していると思う。

4月某日 毎年この季節には、ホ・ヨンソン詩集『海女たち』(姜信子・趙倫子訳、新泉社)をひもとく。韓国の詩人でジャーナリストでもある著者が済州島の海女たち、女性たちへの聞き書きをもとに詩を書き、一冊にまとめた本。

《生きているときは 一度もあなたと一緒に触れることのできなかった/夜の海 ひとり水に身をあずけましょう/赤い唇のような椿の花に包まれて/青い舌のような波のしとねに横たわりましょう……》

1948年、済州島でおこった四・三虐殺事件をテーマにした詩のことばと向き合う。

4月某日 雨の日に、神奈川・大船にある最寄りの書店、ポルベニールブックストアで買い物。ゆっくり棚を眺め、雑誌『中くらいの友だち 韓くに手帖』10号などの注文しておいた本を買った。

4月某日 イ・ヘミのルポルタージュ『搾取都市、ソウル』(伊東順子訳、筑摩書房)を一気に読了。ここ数年、小説を中心に韓国文学をいろいろ読んでいるが、こういう韓国社会の今に迫るノンフィクションを読みたかったのだ。おもしろかった。

ソウルで「チョッパン」と呼ばれる最底辺住宅に暮らす人びと、その背後に存在する「貧困ビジネス」をめぐる韓国日報記者の調査報道ルポだ。生々しい格差の現実を伝える文章の随所から、「幼い頃から貧困と戦ってきた」という著者の歯ぎしりも聞こえる。本書では「はじめに」で「私」が「貧者の物語を書く」意味があらかじめ示されている。著者の主義主張ははっきりしているが、語りや文体はクールで私情に溺れることはない。ノンフィクションの内容のみならず、こうした叙述のスタイルも興味深いものだった。

4月某日 東京・学芸大学駅近くのSUNNY BOY BOOKSへ、サウダージ・ブックスの本を納品。新しく作ったPOPも届けた。書店で、自分たちが作った本と読者とのよい出会いがつづいているようだ。

4月某日 香川・高松から仕事で東京にやってきた写真家・宮脇慎太郎と目黒のふげん社で待ち合わせ。2015年、移転前のふげん社のギャラリーで開催されたライター・編集者の南陀楼綾繁さんの企画「地方からの風」の中で写真集『曙光』(サウダージ・ブックス)刊行記念の展示をおこない、南陀楼さん、宮脇くんのトークイベントに自分も写真集の編集者として出演したのだった。

今回、リニューアルオープンしたふげん社へようやく訪問。さらにすてきなギャラリー&ブックカフェの空間になっていた。この場所を拠点に『Sha Shin Magazine』の発行や「ふげん社写真賞」の活動もスタートしている。写真評論家の飯沢耕太郎さんとばったり遭遇した。

4月某日 社会学者・見田宗介氏の訃報に接する。見田氏が「真木悠介」として書いた『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)を読もうと思い立ち、本棚の中を探すが見つからない。本書の初版が刊行されたのは1977年。学生時代から数え切れないほどなんども読み返し、旅先で知り合った人に渡したり、メッセージを残すような気持ちで宿の本棚に置いてきたりして、なんども買い直している本。どこにいってしまったのか。

1983年に刊行された詩人・山尾三省の宮沢賢治論『野の道』(野草社)には、真木悠介さんの「呼応」という序文が掲載されている。2018年に本書の新版を編集した際、三省さんらのヴィジョンに応答できるのはこの人しかいない、と文化人類学者の今福龍太先生に新たな解説の執筆を依頼したのだった。先生は「土遊び、風遊び、星遊び」というすばらしい文章を寄せてくれた。

そして刊行後、当時すでに体調不良のため外出を控えていた真木さんから美しいメッセージが届き、本屋B&Bで開催した今福先生のトークイベントで朗読してもらった。宮沢賢治、山尾三省、真木悠介、今福龍太。『新版 野の道』という本には、詩人思想家たちが呼び交わす声がぎゅっとつまっている。かれらが共有するヴィジョンは、ひと言でいえば「アニミズムという希望」。よい本だと思う。

4月某日 くまざわ書店武蔵小金井北口店では「かまくらブックフェスタ」がスタートし、サウダージ・ブックスも参加することになった。フェア用の書籍やPOPを発送。サウダージ・ブックスの本は少部数の発行で基本的に直接取引店のみで販売している。全国規模の書店チェーンの棚に並ぶめずらしい機会となる。

4月某日 陣野俊史さんの新著『魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ』(アプレミディ)が届く。装丁がすばらしい。フランスのラップをテーマにした本だが、注釈など編集的な配慮も行き届いていて、YouTubeで音源を探し、聴きながら読んでみよう。

4月某日 新横浜から新幹線に乗り、広島の福山へ。編集の仕事をしようと「オフィス車両」の指定席をとったのだが、はかどらず。なぜかというと、道中ですごい小説を読み、没頭してしまったからだ。そして一冊、読み切ってしまった。

韓国の作家ファン・ジョンウンの小説『年年歳歳』(斎藤真理子訳、河出書房新社)。母と娘たちの物語、感想を書きたいがことばがなかなか出てこない。噛み切れない思いが自分の外に向かわず内に沈んでいく感じ。そして胸騒ぎが収まらない。いや、胸塞がる気分が、といったほうがいいだろうか。最後のページを閉じた後、岡山を過ぎたあたりの山あいの風景を眺めながら、「家族」として出会いながら「人間」として出会うことなく別れたものたちのことを、ふと思い出した。

4月某日 福山では「風の丘」という眺めのよい場所にある本屋UNLEARNへ。サウダージ・ブックスの新刊、四国・宇和海に面するリアス式海岸の土地とそこに生きる人々を写したで宮脇慎太郎写真集『UWAKAI』の刊行を記念して、店内のギャラリーで収録作品のオリジナルプリントを展示、宮脇くんと編集を担当した自分のトークショーを開催することになったのだ。彼とともに本を作るのも、これで3冊目。

全国的に新型コロナウイルス感染症対策としての「まん延防止等重点措置」が解除されたことで、県境を越える移動を含む行動制限が緩和されたタイミング。各地で店舗営業やイベント開催をめぐる「自粛」ムードがやや薄まってきた感もあるが、コロナ自体が終息したわけではない。このような状況で、しかしありがたいことにトークショーの会場は満席御礼。イベントの前半は『UWAKAI』収録作品のスライドショー、後半は「四国発、ローカルで写真集をつくるには」をテーマに対談をおこなった。

開始前、本屋UNLEARNについてある常連のお客さんが「ここは文化の灯を守る場所」と語るのを聞いて、ぴったりの表現だと思った。そんな書店に流れる独特の気品のある空気にうながされるようにして、本作りにおいて自分たちが大切にし、守りたいと願うことを語り合う密度の濃い内容になったと思う。

写真集『UWAKAI』をあいだにはさんで、参加者のみなさんとのよい出会いがたくさんあった。店主の田中典晶さんからは、写真集について「厳しさ、畏怖を感じる」と評してもらい、うれしかった。店内の棚に真木悠介『気流の鳴る音』の文庫をみつけたので購入、福山駅前の沖縄料理店で食事をした後、宮脇くんの車に同乗して高松まで2時間ほどの夜のドライブ。

4月某日 高松で終日、書店めぐり。午前中は宮脇書店本店、ジュンク堂書店高松店へ。午後は瓦町界隈の完全予約制の古本屋なタ書、本屋ルヌガンガ、古本屋YOMSを周遊。そして高松港近く北浜まで足を伸ばしてBOOK MARÜTEへ。MARÜTEでは、写真家の川島小鳥さんと画家の小橋陽介さんの展示を鑑賞。

本屋ルヌガンガで店主の中村夫妻から売れ筋の本のことをいろいろ教えてもらい、出版企画のアイデアが次々に湧き出す。韓国文学、人類学、ローカル……。資料として気になるテーマの書籍をいろいろ購入。中村涼子さんから、話題の料理家ウー・ウェン氏の著作をすすめられ、こちらも数冊購入。新刊の『ウー・ウェンの炒めもの』(高橋書店)は装丁や造本がすばらしい、と思ったらアートディレクション・デザインを担当しているのは、尊敬する関宙明さんだった。

ゆっくり本を探しながら書店ですごす時間は幸せな時間。書店めぐりをしながら、あらためてそう思った。おもしろそうなZineもあれこれ買った。

4月某日 本屋ルヌガンガで、宮脇慎太郎写真集『UWAKAI』刊行記念トークの第2弾を開催。宮脇くんと自分のほか、本書のデザイナーで高松在住の大池翼さんも出演し、写真集のデザインに関わるこだわりのポイントや苦労話などを聞いた。大池さん、育児に仕事に超多忙の中、イベントに駆けつけてくれて感謝。著者とデザイナーと編集者、この3人で誕生したばかりの本について話せてよかった。

今回の写真集に関しては、印刷製本を愛媛・松山の松栄印刷所にお願いし、香川県で5年ほど暮らしたことのある自分も仲間に入れてもらえるなら、著者および編集制作チームは「オール四国」で構成。ローカルの本の作り手がそれぞれに抱く思いを間近で聞いて、「尊い時間だった」と感想をつたえてくれた参加者もいた。忘れられない高松の夜になった。

トークの会場にはウェブマガジン「HEAPS MAG」で「香川県モスク建立計画を追え!」を連載中のライター・映像作家の岡内大三さんも来てくれて、久しぶりに会うことができた。香川在住のインドネシア人たちによる「モスク建立計画」について、ものすごいおもしろい話を聞いた。

4月某日 旅から戻ると、高知の布作家・早川ユミさんの新著『くらしがしごと』(扶桑社)が届いていた。サブタイトルは「土着のフォークロア」、手に取っただけでたしかな「思想」が伝わる本。詩人のぱくきょんみさんのエッセイ集『いつも鳥が飛んでいる』(五柳書院)も。「済州島へ」と題された旅の話からはじまる詩、ことば、ポジャギ(布)のこと。こちらは17年ぶりの再販。

病を得て入院していた本作りの仲間Nさんから退院の連絡があり、ひとまず手術は無事におわったとのこと。ああ、よかった、と心の底から安堵した。