ゴダールが死んだ年に、私は朝の4時に起き、鏡の前で化粧し、真っ暗闇の中、空港へ車で向かった。シンプルな服にしたがセーターも長いスカートも、どう見ても東ヨーロッパっぽい雰囲気だと自分でも思った。自分の中でこの服装が、昔よく見かけた女教師の服装だと気づく。でも、小さかった時に周りに女性で大学の先生が一人もいなかったので、よくわからない。喋り方も演技もわからない。誰もそう思ってないのに、勝手に東ヨーロッパのコンプレックスが出てしまっている。髪の毛を結ぶかどうか悩んだ。染めてもいないのに薄い色なので、実際の歳よりも若く見える。自分で弱い人間に見えてしまうと思っている。そうだ、私は山で家畜の世話をして、チーズを作る顔だと言われたことがある。それでも、勇気を出して日本に来てから「大学の先生」になる夢を諦めてない。だから今年、ゴダールが死んだこの年に、秋の冷える朝方に、二人の娘が眠る温かいベッドからそっと抜けて、夢へと向かう。私が東京に着くまで起きないだろうが、この二人の寝顔と温もりがずっと自分の身体に残る。ずっと一緒だったから離れるのが淋しい。
空港までの運転はスムーズだった。慣れないヒールの靴でペダルを押すと違和感があったが良い気分だ。夢へ向かうと必ず良い気分になる。長い間、光がない部屋にいて、ドアを開けると新しい空気が入って、光が入って、そしてなぜかカーラジオで流れていた曲は「グリーンスリーブス」だった。飛行機で隣に座った身体が大きいサラリーマンは何処か淋しそうな顔だった。C Aはコップに熱いスープをうまく入れられず、2回ぐらい普通に自分の服と床にこぼしていた。スローモーションで見えた。それを見ていた彼は言葉も出ず、ジェスチャーで止めようとしたがC Aが冷たい笑顔でなんともなかったように演技を続けたから彼はすぐ諦めた。都会へ久しぶりに出る私には周りの人の全ての仕草と表情がハリウッド並みの演技にしか見えなかった。
電車に乗ると仕事へ向かう人々の姿勢、服装、ブランド名の鞄がみな完璧で、ますます私の東ヨーロッパ・コンプレックスが高まった。でも羊を飼いたいと思わないし、私はチーズが好きだが、ミルクは嫌い。アンドレア・アーノルド監督の『Milk』というデビュー作で描かれた女性の悲しみ。出産した赤ちゃんが死んだ。葬儀に行かず道をぶらぶら歩いて、突然に出会う若い男性とドライブへ行く。出産した間もない女性の体がとても痛いにもかかわらず車の中でその男性と身体の関係を持つ。こんな悲しいシーンがあるのかと思うぐらい悲しい。お互いの悲しみに飲み込まれる二人だが、最後に女性の体から母乳が溢れてくる。死んだ赤ちゃんが飲むはずの母乳をその男性が呑むシーンがものすごく悲しい。それは救いのシーンでもある。お互いに救われた。見ている側まで救われた。女性の身体について考えるとこのシーンを思い出す。アンドレア・アーノルド監督について解説書を書きたいと思いながら関東の電車を何回も乗り越えて最初の面接に向かう。
目的の駅に着くと、そこは大学生で溢れていた。アニメと若者雑誌に出てきそうな格好で歩いているその若々しさが好きだと思った。「大学の先生」になりたい理由の一つは若い人たちと話できるからだと思う。私は、教えることが好き。映画について、学問について、本について。私が受けたかった授業を作りたいからだ。でもそれだけではない、私も彼らから学んでいることがたくさんあるから。この前も自分の研究に役立つようなアイデアを学生から聞いた。駅に早く着いた。周りをうろうろしてから昨日の昼から何も食べてないと思い出して駅のすぐそばの料理店に入る。狭い階段を登ることもこのキツイ服で苦労だ。学生みたいな格好でよかったのに。いつもパーカーしか着ない自分が悔しい。でも、この世の中の全ては見た目から始まるとわかっている。店には客は誰も居なかったけど美味しそうなワインのボトルが並んで良い雰囲気のビストロだった。マスターは私が普通の顔で洋食ではなく、鯖味噌煮定食を頼んだから驚く。でもご飯が少なめというから「足りるのか心配なので」サービスでサラダを出してくれた。この店はとてもいいし、いつか夜はここでお酒飲みたいと思う。またここに来られるといい。会計の時に「先生ですか?」と聞かれたから、私の見た目が先生っぽくなっていたことに安心した。
最初の面接は、模擬授業と質問だった。面接のトラウマが映画大学の受験のときにあるので、模擬授業から入るのは助かった。授業を教えるのが大好き。「人類学入門」として、民族誌映画とジャン・ルーシュの「狂った主人公たち」についての講義をした。とあるインタビューでジャン・ルーシュが「人類学者は私を映画監督と見なしている。映画監督と一緒にいる時、彼らは私を人類学者と見なす」と言ったことも紹介した。自分自身のイメージと重なるから。学生に早く教えたい、ジャン・ルーシュの素晴らしさ、学生に早く作らせたい、彼らにしかできない映像を。もっと面白い、もっと凄いと自分の中で興奮しはじめる。面接に集まった先生の目を見ると、それは伝わったみたい。
だが質問では「子どもと一緒に引っ越すのか」と聞かれた。それはそう、青森に置いてくるわけに行かないと、質問の意味が分からなくなる。昨年の面接でも子どものことを聞かれた。聞かれるたびに目眩がする。子どもがいる私には仕事はできないと思われている。どういう脈絡で聞かれるのか全然わからない。採用面接で女性に子どもの事を聞くことを法律で禁止にするべき。女性の身体は急に「お母さん」に切り替えると弱くなるから。帰りの空港までの5回目の電車を乗り換えた時にそう思った。その日は疲れた。青森に着いたのは夜の10時過ぎだった。山の中にある空港から家まで真っ暗で何も見えなかったので、運転したのではなく、ブラックホールに吸い込まれた感覚だった。
その日から2週間後、1次面接の合格通知がきた。嬉しかったけど次の最終面接のことで一日一日身体が鈍く重くなる。最終面接では大学という巨大組織の偉い人の前で喋るのだ。喋るのが大の苦手な自分にはまた試練のように感じる。授業と違う。それが同じしゃべりであっても。お喋りが得意な人と下手な人は生まれつきだと思う。そして人が人を選ぶ。この場合、私は人間より機械の方がいい。機械の方が冷静だから。人が客観的になるのはただの妄想だから。
ここからはカラーではなく、白黒で、早送りで想像してほしい。日帰りで行くのはさすがに疲れすぎるので前の夜に空港へ向かった。何百年に一回の月食だった。運転しながら月が飲み込まれるのを見ると、SF映画のような雰囲気で自分も飲み込まれるとしか思えない。『Melancholia』という映画を思い出す。地球に近づく大きな美しい青い惑星が人類を滅亡させるその映画は、監督であるラース・フォン・トリア自身の鬱病の症状と感覚を描いている。鬱の主人公は取り乱す健常者の姉とは真逆に世界の終わりを冷静に受け止める。「地球は邪悪です。私たちはそれを悲しむ必要はありません」と、あの青い美しい惑星が地球に衝突する前に彼女は言う。でも、この映画で最後に子どもと女性だけ衝突の光を浴びるとことは、ラース・フォン・トリア監督らしいところでもある。姉の夫はお金持ちで、権勢を振るっていた彼は、もういよいよ終わりとわかった瞬間に事実を受け止められず、家族より一足先に隠れて薬を飲み、厩舎の片隅で一人死んで行くのだった。
横浜の駅に夜中の11時半ごろ着いた。駅の外を出ると後ろから若い男性に「月食だよ」と話しかけられる。ナンパされている。こんな時に。もう一度私の顔を見て、「日本語大丈夫?」と聞かれる。顔もよく見ずナンパするのはどういう神経かと思う。寂しそうだったが断った。
次の日の面接では不思議な空気が流れた。キャンパスに着いた瞬間に前回と同じ、掃除をしている女性が私を見届けた。でも前回と違って、SF映画っぽい雰囲気が抜けなかった。控室で待たされ、事務の方は電話で丁寧に誰かと喋っていたし、面接官がいる部屋に案内された時もセリフのような日本語で案内された。
部屋にはいずれも私よりずっと年配の男性3人と女性1人がいた。誰が一番偉いのか、ネームタグを読む時間がなかったけど、こういう時には女性が一番厳しいと知っている。年配の男性は90年代からルーマニア女性が働く夜の店に行ったことがあるという顔で見られたような気がした。気のせいか。そして質問の山が来た。ニヤニヤしながら左手に座る男性が私に問いかける。答えはなかなか出ないというか、演劇的な質問の演劇的な答えが私の中にない。なんとなく「時代に合った教育を提供したい」という言葉が口から出たが誰にも響いていないと感じる。そうか、この答えではなかったのか。私、脚本を持ってない。なぜか女優のオーデションっぽく感じる。私が研究者っぽい顔じゃないからかもしれない。人と人の間のコミュニケーションとして感じない。目眩がする。バッハの『フーガの技法』が流れていると感じる。面接官の声が聞こえない。年配の女性に可愛いらしい声で本について聞かれたのも雲の上から聞こえた。「一人の女性の経験」としか答えられない。私はニヤニヤする人も、可愛い声で子どもに対するように話しかける人も苦手なのだ。ここは、この部屋は間が悪い、バッハのフーガが強く頭の中で再生される。また、ここで強く傷つけられることになるな、と冷静に思う自分がいた。慣れないスカートを履いていたせいか後で気づいたがストッキングが捩れていたし、「女子学生に寄り添って教育したい」という答え、「女性の身体」の研究、「カラダ?」と面接官の驚きと私の説明不足、どっちがダメだったのか分からない。
家に着いたのはその日の夜9時ごろ。娘たちが笑顔で出迎えた。虹色の熊のぬいぐるみを空港のお土産で買ったら大喜びだった。あとは虹色のクレヨンも。気づいたら前の昼から何も食べてなかった。不採用通知は2週間後にきた。
ゴダールが死んだ年に私が大学の不採用通知を受けた。少しだけ自分にとって世界の終わりに見えた。『アルファヴィル』と『Vivre sa vie』を見返した。世界の終わりと女性であること。ゴダールもポール・ヴァレリーの言葉「今は私たちが知っている、すべての文明は致命的であること」に敏感だった。その夜、次女は寝る前にこう言った「ここ(頭を指す)脳が古くなったから変えなきゃいけないと思う」。5歳児、自分の今日の考え方が古くなって新しく更新しなければならないとわかっているという知恵に驚いた。そうだ、人間とは更新を忘れているかもしれない。また、同じ夜に、「地球はどこいく?もしかして地球は人間だったんじゃない?地球が動いている」と言った。